情報の選球眼-陰謀論、ではの守、べき論にご注意をー
テレビをつけても、新聞を開いても、SNSを開いても、コロナコロナコロナ。「自粛疲れ」を指摘する声もありますが、それ以前に、「情報疲れ」は自覚症状の有無にかかわらず、とても多いように思います。
様々な情報が飛び交う中で、どのようにすれば選球眼を保てるのでしょうか。実はこのコロナ騒動を巡って考えた情報の取り方は、私がエネルギー政策の議論の中で常々感じていることでもありました。皆さんそれぞれの「選球眼」をお持ちだと思いますが、私なりの判断基準を書いてみます。
人は自分と似た意見や情報により偏っていきやすいといわれています。エコーチェンバー現象と言われるものですが、価値観の似た者同士で交流し、共感し合うことにより、「これが正しい」とどんどん思いこんでしまいがち。そうすると違う考え方の方に対して攻撃的になったりしますし、誤情報であっても気がつきにくいといわれています。
私が情報を取るときに気をつけているのは、一次情報を確認するといった当然のお作法に加えて、①陰謀論に惑わされない、②出羽守につられない、③べき論に気をつける の3つです。
陰謀論の描く社会は善悪2色の単純構造で、多くのリスクの中での比較衡量をする必要がありません。悪者さえいなくなれば物事が解決するような錯覚や思考停止をもたらし、かえって解決策が見出しにくくなります。不安にささくれだった心に容易に入り込むので、注意が必要です。
2012年の夏、原子力発電所が停止した状態で夏の供給ひっ迫を懸念する関西電力に対し「火力発電所でわざと事故を起こしたりして、パニックを引き起こし、原子力を再稼働するしかない状態を作り出す『停電テロ』にもっていこうとしている」と述べた有識者がいました。最近発覚した不祥事など問題無しではもちろんありませんが、これまで安定供給を維持することだけには愚直に取り組んできた電力事業者をこれほど侮辱することが許されるのだろうかと驚くばかりでした。彼らが主張したような「埋蔵電力」(=自家発電設備を持っている企業も多いので、そういう設備を活用すればよい)でカバーできた量など微々たるものでしたし、計画停電を実施することは回避できたものの計画停電があるかもしれないという可能性だけでも関西の経済を相当委縮させました。
もう一つは「ではの守」です。今回のコロナ騒動でも「韓国では~」「英国では~」という言葉が飛び交いました。学ぶべきところは学ぶべきです。でも、人口密度を含めた社会環境、医療体制、感染の拡大具合なども千差万別。すぐに「~では」という論は信用できる比較なのか、慎重に考えることが必要です。エネルギーの世界でも多いのです。「ドイツでは~」「アイスランドでは~」。化石燃料資源の有無、再生可能エネルギーのポテンシャル、人口密度や気象条件などによってもエネルギー供給の理想像は異なるわけですが、いかんせん「隣の芝生は青く見える」ものなので、注意せねばと思います。
最後が「べき論」。べき論は一つの正義です。ただ一つの観点から見た正義は注意が必要で、その正義と引き換えに発生する負担やデメリットについて語ることを封じてしまう可能性があります。「希望する全ての方に検査を」も「休業補償を手厚く」も確かに正義ではあるものの、医療現場の負担や財政状況を考えてどこまでできるかのバランスが必要なのに、その議論を封殺してしまう「正義」には要注意だと思っています。エネルギー・温暖化でもこうした「べき論」は多いのです。温暖化ではいま「気候正義(Climate Justice)」という言葉があります。私はこの言葉は注意して取り扱うべき言葉だと思っています。
というあたりを書きました。よろしければご一読ください。
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