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スマートホームにおける親子のもめごと

最近、欧州のある研究機関のアンケートに回答する機会があり、質問のひとつに「あなたは、技術発展は新しい社会をつくると心が躍るタイプか?」とありました。それに対して「まあ、その類」と答えました。

テクノロジーオタクでもないですが、数多のテクノロジーがそれまでと異なる世界をつくるに貢献してきたのは確かなため、やはりその世界の到来には期待大です。

さて、今週、どういうわけかスマートホームに引っ越ししました。同じミラノ市内です。

「どういうわけか」と書くのは、もともと1世紀以上前に建設された石造りの建物の家を探していたのです。しかし、空きタイミングなどが合わず、100年前ではなく1年前に完成した建物に住むことになりました。なんたるギャップ!

最新のスマートホームです。

すべてがスマホのアプリやスピーカーでの指示で作動してくれる例のヤツです。これまでもグーグル・ホームで「ヘイ、グーグル パスタの調理完了時間がきたら教えてくれ」とかやってましたが、主にユーザーは20代前半の息子でした。

新しい家では温度調整を含めてすべてがコマンドの対象なので、いやおうなしに我々夫婦もユーザーになります。今度はアマゾンのアレクサがメインです。これまで使っていたグーグルホームも併用しています。デフォルトの言語をそのまま使っているから、メインはイタリア語でコマンドを出し、サブのグーグルには英語で対応です。それによっておこる混乱はご愛敬みたいなものですが、実は家庭内での不和を招く要因は部屋の全体照明のスイッチにあります。

照明のオン・オフはもとより、照度や明かりの色もアプリで自在に変えられて便利です。しかし、部屋を移動してちょっと何かモノをとった後、「アレクサ!リビングの照明をオフにしてくれ」と指示を出すのは、時間を食って面倒です。

部屋の出口の脇にあるスイッチをちょっと指で押すだけでよいのを、数秒かけて音声で指示を出すわけですから。だから、ぼくたち夫婦は思わず手動でオン・オフをやってしまう。そうすると後で息子に怒られるわけです 苦笑。

「パパ、さっき、手で消したでしょう。そうするとアプリで作動しづらくなるんだよ」と。

彼の言うことが本当なのかどうか、これから検証していかないといけませんが(何せ、まだ5日間の新人ユーザーなので)、とにかく、手動とアプリの相性が完全に良いというわけではなそう(という気配を感じています)。

そうすると何を優先するか?という価値観の衝突が家庭内に発生します。結局はシステムをうまく回す方が全体善につながると息子は主張し、ぼくは彼の言い分がわからないでもないけど、わざわざ数秒余計に時間をかけるのが効率なのか?との疑問はついてまわります。

そして、疑問はさらに広がります。

ある限定された目的の空間、例えばオフィス環境、あるいは自動車のような移動体におけるテクノロジーの導入と生活空間におけるそれをどの程度にわけて考えるのが良いか?ということです。

前者は5年や10年での効率化が優先されるのが妥当として、後者の生活空間のスパンはもっと長い。しかも、生活空間は効率だけではく、生きるに必要な手間や心地よさを大前提としています。

だいだい、今の最新システムが数年後には古臭くなるのが常だとすると、生活空間のシステムやデバイスをそれなりの頻度でアップデートしていかないと、「あ、このデバイスはもう使えませんよ。新しいのに替えてください」と言われてしまう。

PCやスマホの買い替え頻度と冷蔵庫や洗濯機といった白物家電の買い替え頻度を比較し、家電がスマホのようになったらたまらないなあ、と思うわけです。

「いや、いや、それは杞憂」とどなたかエキスパートはおっしゃるかもしれませんが、その言葉をどれだけ信頼できるのか・・・と素人ながらに憂うのです。

・・・というのが、スマートホーム生活の新参者、5日目の感想です。

1900年頃の建物にはクルマのガレージはなく、1960年頃の建物にあるガレージは今や小さく、中型SUVでさえ入らず、今どきのクルマをガレージに入れるには今世紀の建物である必要がある。

これが生活空間の時代の流れなんですね。それらがすべて併存していることに素晴らしさがある、という見方もありますが。

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冒頭の写真はエル・グレコの絵画(左)と彼の絵画に影響を与えたヴェネツィア派の絵画(右)を対比して見せているものです。エル・グレコは色の使い方をイタリアで学んだと言われます。

アップデートとは何か?を考えさせてくれます。


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