ダイバーシティー&インクルージョンの制度充実の落とし穴
ダイバーシティー&インクルージョンに力を入れているある企業のお話をきいた。「当社は制度が充実しています」という。資料には
などなど、数々の制度が並んでいる。
パッと見て、私は強い違和感を覚えた。
その場ではうまく説明できなかったが、違和感の元はこういうことだ。
こうしていろいろな切り口で「マイノリティー」をくくり出して定義づけて…をやればやるほど、「マジョリティー」の存在がくっきりと浮かび上がってくる。絵で影を描くと主題が強調されるように。
30年前の「女性活用」は、「男性並み」つまり「外側は女性であるにもかかわらず中身はマジョリティーである男性と遜色ない」という世界観だった。つまり、マジョリティーと同じになれ、マイノリティーだからといって違いは受け入れない、という世界だった。
今は、マジョリティーと違う様々なマイノリティーがいて、まずその存在を認め違いを受け入れよう、という前提だ。
でも、現在の数々の制度にはマジョリティーが「基準(スタンダード)」だという暗黙の前提がある。「基準」との差分を「あなた方は違う属性だ」と認め配慮する、けど、スタンダードは変えないよ、という前提。
これだと、下手するとむしろ分断を強調し、インクルージョンから遠ざかるリスクさえある。
というか、実際そうなってるところがある。
その顕著な例が、女性にとっての育休や育児に伴う時短勤務の運用だ。
たとえば、ある企業の男性幹部が話してくれた。「女性社員に育休をなるべく長く取れ、時短もどんどん取れ、と奨励していた。良かれと思っていたが、それだとキャリアを積みたい女性にはマイナスだと最近教わり、間違いに気づいた」と。
目指すべきは組織における従来の「スタンダード」の前提がなくなることではないか。様々なマイノリティーに合わせて制度を増やしていくのではなく、あらゆる人がその人にあった働き方ができる制度1本に集約することを目指すのではないか。それがインクルージョンではないか。
例えば以下の記事に紹介されたカオナビの「スイッチワーク」は、はじめは育児中の社員向けの制度だったが「その後、子育て中の社員だけでなく、すべての社員にスイッチワークを認めた」。
上記記事に紹介されたSOMPOホールディングスの事例は、「マジョリティーとそれ以外」の構図を緩める方向性の施策ではないだろうか。
欧米企業では、ダイバーシティー&インクルージョンという表現は使われず、DEI (Diversity, Equity, and Inclusion) と称されるのが一般的だときく。
Equity (平等)には、属性の違いをもってマジョリティーとマイノリティーを分けたり、「基準(スタンダード)」とそれ以外を区別することはしない、という示唆があると、私は考えている。
今日は、以上です。ごきげんよう。