「バンクシーは誰のもの?」 〜作品の「所有」と「公共価値」についてのアート思考ドリル
お疲れ様です、uni'que若宮です。
今日はちょっと問題です。一緒に考えてみましょう。
work:バンクシーは誰のもの?
問題:
あなたはビルのオーナーです。ある日、所有するビルにバンクシーと思われる落書きを見つけました。ビルのオーナーとして、以下の5つをすることは許されるでしょうか?それぞれの行動について、やっていいか許されないかを選んでみましょう(※全てバンクシーには無断で行うとします)。また「NG」と思う場合、その理由も考えてみてください
①バンクシー作品部分の壁を売却する 【OK or NG?】
②絵を消す 【OK or NG?】
③壁をくり抜いて自社の倉庫に移動する【OK or NG?】
④バンクシー作品の隣に絵を描く 【OK or NG?】
⑤観に来た人から鑑賞料を取る 【OK or NG?】
「①売却する」のはなぜNG?
少し前にこんなニュースがありました↓
昨年8月上旬、英サフォーク州ローストフトにある古い電気店の壁にバンクシーのグラフィティ・アートが描かれた。砂の城の横にバールを持つ子供が描かれたこの作品は、たちまち地元の人のあいだで噂となり、注目を集めた。
だが、この作品はビルの所有者であるゲイリー、ナディーン・シュワルツ夫妻が売却するために壁ごと撤去されてしまったのだ。
(中略)
この決断に、地元住民だけでなくインターネットユーザーからは「身勝手だ」「強欲なやつらだ」と怒りの声が後を絶たない。
専門家は、この作品は3億円以上の価値があったと推定している。
えー!勝手に売っちゃうなんてそんなの著作権的にアウトじゃん!訴えられるじゃん!と思うかもしれないのですが、著作権では一度譲渡された作品を販売する際、原著作者の承認は必ずしも必要ではありません。
このあたり著作権やcopyrightについては国によってがちがいますし法律の専門家ではないので深くは立ち入りませんが、たとえば絵画を所有しているコレクターがそれを他の人に売る際画家の許諾を取らなくても基本的には問題はありません。(現物ではなく絵の複製を勝手に販売すると著作権の複製権に抵触しますが)
とすると、この絵がバンクシーからビルのオーナーに譲渡されたものとみなせるか、という所有権の問題だとも言えます。ビルのオーナーはこの絵を所有しているといえるでしょうか。
ビルの壁とそこに描かれた「絵」は別物であり、ビルオーナーは絵の所有者ではない、と言えるかもしれません。たとえば所有地に放置されたモノの所有権はもとの持ち主にあり、自動的には移転しません。しかし少なくとも日本では、民法に「不動産の所有者は、その不動産に従として付合した物の所有権を取得する」という規定があります。バンクシーは自主的に無断で描き残していっていることから所有権を放棄しているともいえ、絵は壁と一体物としてビルオーナーの所有物と考えることはできそうです。
「所有権」というのは、所有者がその所有物を自由に「使用・収益・処分」できる権利です。であれば、なぜ「①売却する」がいけないのでしょうか?
法的な整理はともかく、売却で収益を得ておきながら、作者であるバンクシーに一銭もお金が支払われないことに違和感を感じる方も多いかもしれません。
しかしよく考えると、著作者にお金が支払われない売買は日常的に行われています。たとえばメルカリやブックオフで本を売る場合を考えてみましょう。メルカリやブックオフなど二次流通でも、作者には一銭もお金が入りません。
こうした二次流通をする権利は「モノ」の所有者に認められており、著作者への確認は不要です。その「モノ」を対価を払って適正に取得したことが所有者権利の根拠になるでしょう(お金を出して本を買った)。するとお金を払ってビルを建てたオーナーが、そのビルの壁を売ることには問題がなさそうに思えます。
もちろん、この壁の3億とも言われている価値は、壁自体だけにあるわけではありません。そこに後付けで付加された「レア性」の価値です。これは二次流通における「サイン本」や「骨董品」に似ているかもしれません。サインにも著作性は認められませんが、独自の付加価値にはなりえます。あるいは「骨董品」のように、ある事物がその制作時の価値とは別に事後的に価値を高まることはありえます。茶碗がその原価とは関係なく、数千万円の価値になり取引されることはありえますよね。もし茶碗をただで誰かに譲ったあとでその価値が高まったとしても、その取り分を元の持ち主が主張することは難しいでしょう(これはアート作品でも同様ですが海外には後々高値になった分の収益を著作者が請求できる「追及権」が認められていることもあります)。3億円で壁を売ることをあくまで二次流通での価値向上だと考えれば、売却してオーナーが収益を得ても問題はないのではないでしょうか。
「②絵を消す」のはなぜNG?
ではこの絵を売却するのではなく、消してしまったらどうでしょうか?少なくとも「強欲」と非難されることはなさそうです。先ほど説明したように所有者は「処分」する権利も持ちます。だとすると絵を消すことは所有者の判断で可能なはず。
そもそもバンクシーの絵は所有者に許可なく描かれたラクガキです。オーナーが一方的にされたラクガキを消してはならない、とはさすがに言えない気がします。作品に価値があるとしてもそれはたまたまであり、見る人によってはただのラクガキと感じる人もいますし、所有者が気に入らなければ消してもいいはずです。
著作権的にも「同一性保持権(=勝手に改変してはならない)」というルールがありますが、廃棄することは禁じられていません。
しかしたとえそうでも、この絵をオーナーが自分だけの判断で消した時に「身勝手」と言われる可能性はあるかもしれません。それは誰に対しての「身勝手」なのでしょうか。絵を処分するのに誰の許可が必要なのでしょう。
もしゴッホの絵を所有している個人が、勝手に絵を捨ててしまったらどうでしょうか?「人類の重要な文化遺産を失わせた」と批判を受けるしれません。だとすると価値が生まれた文化財は所有者が自由にできない公共性をもつともいえます。これは「所有」とくに「私有」の考えからすると不思議なことです。お金を支払って所有してもその扱いの自由を制限されるということなのですから。
あるいはバンクシーの作品だけを消さずとも、ビルの建て直しで壁を壊す可能性もあります。この場合はどうでしょうか?実際、文化財とも言える建築物の取り壊しが決まり残念がる声が上がることはありますが、私有物であり持ち主の事情もある以上、「壊すのは身勝手」とはさすがに言えない気もします。
こうしたケースでは消したり壊すくらいなら売ってくれ、という声があってもおかしくはありません。少なくともその方が作品が存続できるからです。果たして「②消す」と「①売却する」ではどちらの方が「身勝手」なのでしょうか?
「③移動する」のはなぜNG?
作品を消すのではなく、オーナーが作品部分を壁から切り取り、自社の倉庫に移動することは許されるでしょうか?外の壁に描かれた作品は、そのままだと風雨にさらされ傷んでしまうかもしれませんし、ビルのオーナーがたまたま描かれたその絵を気に入って自社の倉庫に移動することはありそうです。
所有権の考え方からすると自社のビルの壁をどこに移動しようが問題はなさそうに思えます。東京都がネズミをくり抜いて都庁で展示したケースもありましたね。
ただそれでも、街の人たちからすると作品が見れなくなるわけで、移動するのは「身勝手」だと言われるかもしれません。こうした声はまたバンクシーの作品は「公共価値」をもっているという考えの反映でしょう。外から見えるところにあった絵を見えないところに持っていくのは公共価値を減らしており、「身勝手」だというわけです。しかし一方、所有者の側からすれば、もともと自分の持ち物だったものに勝手にラクガキされ、それを公共物だから動かすなと制限されるのは納得いかない気もします。
あるいは勝手に切り取るのは作品を毀損するからダメ、という理由もあるかもしれません。たとえば絵画をだれかが所有していたとして、その作品を一部分だけ切り取ったら非難されるのではないでしょうか(著作権にも勝手な改変を許さない「同一性保持権」というのがあります)。
いや、作品の一部じゃなくてど全部をくり抜けば問題ない、とあなたは主張するかもしれません。しかしパブリック・アートやストリート・アートにとって「作品の全部」とはどこまでを指すのでしょうか?作品を街という文脈から切り離すとその意味合いは変わってしまいます。
これは拙著『アート思考ドリル』でも取り上げたトピックですが、
ストリートアートやパブリックアートの場合、どこまでが作品か、というのはかんたんな問題ではありません。果たして東京都がネズミを移動したことは作品の部分的改変や破壊には当たらないのでしょうか?
「④隣に絵を描く」のはなぜNG?
では、バンクシーの作品には手を加えず、その隣に勝手に絵を書いたらどうでしょうか?
「勝手に」とはいっても、そもそも自分のビルですから、本来壁にどんな装飾をしようと自由なはずです。
たとえば、バンクシーの作品の隣に自社の広告を描いたらどうでしょう。バンクシー作品が報道されたり観客がくるので自社の宣伝になります。あるいはアーティストを目指している息子の絵を売り込むこともできるかもしれません。それはバンクシーの絵を別の目的に利用しているからNGなのでしょうか。それはfacebookがユーザーの投稿をつかって人を集めて広告を出すのと何がちがうでしょう?
あるいはこれも作品の観点からみれば、改変や作品の毀損と言えるかもしれません。実際バンクシーの作品の下に「テディベア」が書き加えられて物議をかもしたことがありました。しかしだとしたら、バンクシーの絵からどれくらい離せば手を加えてもOKになるのでしょうか?バンクシーは「街全体をカンバスとして作品として描いた」というかもしれません。そうなったら街のどこも変えてはいけないことになってしまいます。
「⑤鑑賞料を取る」のはなぜNG?
では売却も消去も移動も追加もせず、作品をそのまま保持し、鑑賞料を取るのはどうでしょうか?
バンクシーに無許可で収益を得るのは、売却しないにしてもダメだろう、という意見もあるかもしれません。しかし、こうしたことは割と普通に行われています。
作品を保持するのにもお金はかかりますし、神社仏閣や庭園などでも鑑賞料を取っているところはたくさんあります。あるいは絵画の展覧会も原著作者の許諾なく、所有者の許諾のみで行われていたりします。
もし鑑賞料を取るのがNGだとすると、バンクシーの展覧会はほとんどがNGということになってしまいかねません。日本でもバンクシー展がありましたが、基本的にこうした展覧会は下記著作権条項に則りバンクシーにではなく所有者のみに許諾をとっています。そしてそれで儲かったお金は、展示の企画者と所有者で分配されます。
第四十五条1項 美術の著作物若しくは写真の著作物の原作品の所有者又はその同意を得た者は、これらの著作物をその原作品により公に展示することができる。
2 前項の規定は、美術の著作物の原作品を街路、公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所又は建造物の外壁その他一般公衆の見やすい屋外の場所に恒常的に設置する場合には、適用しない。
実際バンクシーは各地で開かれる「バンクシー展」に対しては非公式なFAKE、と否定的な立場をとっています。
バンクシーの公式サイトでは、「FAKE」と題したページで非公式展の開催地と入場料をリストにして「アーティスト本人は関与していない展覧会です」と抗議文を掲載している。
あるいは、公共価値の観点からNGという事も言えるかもしれません。本来タダで街の人が観られていたもので収益化するのは、悪どい「強欲」というわけですね。しかし、前述の通り作品の維持にもコストがかかることを考えれば、その維持の負担を街の人や鑑賞者が払うのはそれほどおかしくはないのではないでしょうか。
バンクシーのアートは誰のもの?
以上のように、バンクシーのアートは作品の「所有」や「公共価値」の観点から色々な論点を含んでいます。
それは端的にいえば、バンクシーのアートは一体「誰のもの」か?という問題でもあります。バンクシーでは匿名性とラクガキという違法な手続きによって、権利関係が非常に曖昧にされています。さらに、ストリート・アートやパブリック・アートは「売買」や「所有」という概念と馴染まないところもあります。「公共価値」という考え方は特定の「誰か」が「所有」するという考えと相性が悪いのです。
バンクシーは確信犯的かつ批判的にわざわざこうした「作品」や「所有」を逸脱するような仕事をしています。(の割に、展覧会をFAKEと言ったり、グッズに商標権を取ろうとしたりと旧来型の著者概念を主張してしまっているのが捻れてはいるのですが…)
アートは作者だけのものでも、所有者だけのものでもありません。作品として公共価値も有しており、そういった意味では誰か一人だけが意のままに「使用・収益・処分」できるものではないのです。
通常、お金を出して買った「モノ」は、「所有者」が自由に使えます。しかしアートでは「公共価値」によって所有者の自由に制限がつくのです。所有者は作品の特権的な支配者になるというより、パトロンのような文化の庇護者となって保存の責任を負うと言うべきかもしれません。
バンクシーの作品では、その無差別なbombによって、庇護者の心構えがない人が突然意図せずに所有者にされてしまいます。そう考えると、ある意味では被害者のように偶発的に所有者になった人にだけ責任を求めることにそもそもムリがあるのかもしれません。作品に公共価値を認めるなら、公共としてその責任を分有しどのように維持・保存していくのか、という議論も必要なはずですよね。(強欲!身勝手!というなら鑑賞料を払うぐらいは文句をいうべきではないのかもしれません)
もし明日の朝あなたの家に、バンクシーの絵が見つかり突然バンクシーの所有者になったらあなたはどうしますか?
その想像からアートにまつわるお金と所有、公共価値の関係を改めて考えてみましょう。
(↓Voicyでもちょっと違った観点からお話ししてます)