人が動くお膳立てとは?
山形県議会で、「笑いで健康づくり推進条例」が可決、成立したというニュースがあった。
県民に対して1日1回は笑うことや事業者に対して笑いに満ちた職場環境を整備するよう努めることなどを求めているとのこと。但し、の条例には法的な拘束力はなく単なる努力義務らしい。
努力目標なら別に条例化する必要もないとは思うが(単に条例案を提出した議員のなんかやった感のためだけだろうし)、「笑うこと健康にいい」ということはその通り。
そもそも「しあわせな人はよく笑っている」のではなく、「笑っているからしあわせを感じられる」のである。
人間の脳というものは、笑っているという身体的信号を受け取ることで「ああ、自分は今楽しいのだ」と認知するようにできていて、それが心からの笑いでなくても、単に口角をあげている状態を作るだけでも「笑っている→今自分はハッピーなのだ」と錯覚する。
逆にいえば、しかめっ面ばかりしていると脳は「今、自分はなんかよろしくない状態にある」と錯覚し、身体の中のストレスもたまるというもの。
それくらい、行動というか身体性は人間の心理を左右する。
たとえば、独り言で「馬鹿が!」「クソが!」「クズが!」のような罵倒言葉を言うことが癖になっている人がいるが、あれは他者に対して発した言葉であっても、自分で発した言葉を耳で聞くという身体性を通じて、脳は「自分が言われた言葉」としても認識してしまう。
要するに、誰かを罵倒するということは、結局自分を罵倒しているようなもので、むしろ悪い効果を自分に及ぼすことになる。
自分の行動は、それが良い行動でも悪い行動でもすべて自分に返ってくるようにできているのである。
さて、笑うことはとてもいいことなのだが、だからといって条例化すればみんなが笑うかというとそうはならない。笑ってほしいと本当に思うなら、もっと賢いお膳立てを考えた方がいい。
スペインやフランス等で営業するgoodnewscoffeeというカフェがあるのだが、そこが実施した「Smile to get in」という仕掛けがとても素敵なのでご紹介したい。
要は、入店するために「笑顔じゃないと自動ドアが開かない仕掛け」になっている。入店しようとした客は、最初は自動ドアがあかないからいぶかしがるが、ドアに貼ってある「笑えばあくよ」という張り紙を見つけると、みんなぎこちなく笑顔を作るわけだ。
すると、ドアがあいて中に入れる。本当に「笑うとドアが開く」ということを体感した客は、「マジであいたwww」と、そこで本当の笑顔になって入店してくる。
https://twitter.com/i/status/1814234343545659482
こういうシンプルだけど、結果本当に笑顔になるという仕掛けがみんなをしあわせにすねんじゃないだろうか。
とかく、人に何かをさせようとすると規則を作ればいいという考えの者がいるが、何かをさせたいなら、その何かを直接的にさせたりするのではなく、結果としてその何かをしているという仕掛けが効果的なんです。
だから、命令とか禁止令なんてものはなんの役にも立たない(独裁国家の恐怖政治の中で、これをやったら死刑という国でもなければ)。
たとえば、公園などで「ゴミを捨てるな」なんて貼り紙をしたところでゴミを捨てる人がなくなるわけじゃない。
しかし、ゴミ箱の上に、バスケットボール競技のような板を設置しただけで、みんながゴミ箱をゴールに見立て、ゴミがなくなったというナイキの事例がある。
みんなスリーポイントシュートみたいにゴミをゴミ箱に入れようとするし、入らなければ入るまでやるだろう。そして多分みんな笑顔になっているだろう。
「ゴミを捨てるな」なんて一言も言わなくても「誰もゴミを捨てなくなる」という結果が生まれる。こういうことがお膳立てというものである。
一事が万事、政府の少子化対策が的外れなのは、「子どもの数を増やしたい→子育て支援を拡充すれば子を産んでくれるだろう」みたいなアホな思考回路だからである。
出生数が増えるのは結果の話である。
なぜ出生数が減っているかといえば、それは婚姻数が減っているからであり、なぜ婚姻数が減っているかといえば、それは若者の経済的・心理的余裕が失われているからである。
逆にいえば、今子どものいる人たちはある程度の経済的・心理的余裕のある人なのであって(もちろん苦しい人もいるだろうけど)、余裕のある人に支援したって新たな出生は増えない。むしろ今いる子の投資に使われて、結果便乗値上げや子育てコストのインフレを招き、さらに「裕福じゃなければ子どもを持てない」という悪循環に陥る。
同様に、婚姻増を狙って婚活支援なんてのも的外れだ。そういうことじゃない。
子どもを持ちたい、結婚したい、恋愛したいと若者が思うようになるためには物理的にも心理的にも若者の心の余裕が必要なのである。
心の余裕を増やすにはどうすればいいか。それを真剣に考えてほしいものだ。