ミラノの刑務所におけるアート展で思ったことー都市と刑務所をどう繋ぐか?
ミラノの刑務所で開催されたアート展を見てきました。昨年も同じ場所で在監者によるデザイン展を見ましたが、今回の展覧会はより先のテーマに向かっていると思いました。
それは刑務所と都市をどう繋ぐか?がテーマだからです。別の表現では「内と外」の関係です。
在監者の創造力の発揮がメインとなる事例はわりとあります。だが、そのレベルを超え、刑務所は都市に何ができるのか?都市は刑務所に何ができるのか?を考えさせてくれるのは、取り組みとして先端的です。
展覧会のタイトルは「アーティストは騒ぎをおこす連中ーサンヴィットレ刑務所の断片」です。
どのような作品が展示されたのか?
展覧会は既に収監には使用されていない刑務所の一部で行われましたー正確にいえば、刑期が決まる前の人たちが収監されているので拘置所です。だが、国家統一にあわせ19世紀後半から刑務所として使用され、第二次世界大戦中はユダヤ人の収容所としてここからアウシュビッツに送られ、これまで有名な政治犯などが入っていたミラノで知られた場所なので、市民からは一般に刑務所と認知されています。
冒頭の写真は監獄のある廊下の両壁に作品が展示されている様子です。カラフルな紙が並んでいると遠目には見えます。しかし、近寄ってみると、窓が繰り返し描かれ、広告のチラシが切り貼りされているのに気がつきます。
廊下に以上の作品が展示されており、80年代以降、もはや収監には使われていない旧監獄のなかにはスピーカーや映像があり、在監者や看守たちの生の声が聴けるようになっています。
どのようにこれらの作品がつくられたのか?
まず、この試みを主宰したミラノ工科大学のオフキャンパスという仕組みの説明からしましょう。
オフキャンパスはデザイン学部が中心になり、ミラノ市内の何か所に設置されており、研究成果を市民に還元すると共にリサーチの蓄積を増やすのが目的です。例えば、移民の多い地区にある公営スーパー内にもあり、ラジオ局も併設しローカル情報の発信拠点にもなっています。
このオフキャンパスが刑務所内にもあるのです。
(この記事に書いている内容は、ぼく自身が展覧会の会場で実際に見聞きしたことと、オフキャンパスで活動するミラノ工科大学デザイン学部准教授・フランチェスカ・ピレッダさんにインタビューした情報に基づいています)
したがって、オフキャンパスの理念に沿うと刑務所と都市の関係を探るのがテーマになるのは必然です。そのため建築学部の都市計画系の研究者たちも参加しています。
昨年の訪問記にも書きましたが、この刑務所は19世紀の建設当時は郊外だったのが、今や市の中心に近く周囲は住宅地です。したがって、街の真ん中に空洞のような場所が意味もなく存在し続けることはできない―との事情はよく分かります。
そもそもの前提において、刑期を終えた人は外に出たら社会のなかで受け入れられないといけないと憲法で定められている以上、越えずらい障壁が多数あるにせよ、内と外との間に断絶がない関係を探り続けるのは義務でしょう。
オフキャンパスのラボは18歳から35歳までの男性が収容されているゾーンにあります。よって今回の作品は、それらの在監者の成果です。
また、オフキャンパスだけでなくミラノの現代美術館も関与しており、ワークショップのキュレーションも行い、パリ生まれのアーティスト、モリス・ピフラさん(冒頭の作品の前に立つ男性)がコーディネートしています。彼の作品の数々をみると、モチーフとして窓の繰り返しがよく使われています。
しかし、言うまでもなく、彼のモチーフありきではないです。在監者たちはワークショップでコンビを組んだ他人の顔を描くことからはじめます。
こうして表現するとは何なのか?を認識していきます。同時に狭い空間で日々の生活を送る人たちは、身体の動きが人の関係をつくっていくー身体性がすべての源泉であるとも気がついていきます。
ここで興味をひくのは、在監者たちだけが描くのではなく、オフキャンパスのリサーチャーたちもまったく同じスタンスで参加するのです。ワークショップの段階で内と外があって、内と外の境界線をなくすと主張するのはまやかしになります。この活動のなかで、リサーチャー自身も強い刺激を受けたようです。
ワークショップに参加した人たちのバックグランド
刑期が決まっていない人たちが、この施設にいると前述しましたが、収監されているおよそ1700人のうち、7割近くはイタリア国外の出身者です。常に流動しているので割合も固定していませんが、圧倒的にアフリカや中東からの難民であるケースが多いです。
一つの典型でいえば、北アフリカから地中海を小さなボートで渡り、その航海中には同乗者たちの死にも遭遇し、やっとの想いでヨーロッパ大陸にたどり着いたものの、身分を証明するものもない。イタリア語も喋れない。当然ながら仕事もなく、家もない。結果、犯罪に手を染めてしまう―といった人たちです。
ワークショップは今年の3月から6月の4か月間、毎週1回、数人が参加し、合計40人ほどになりましたが、場所の性格から毎回同じ人が参加するわけではなく、違った人たちが参加したのです。
この経過から分かるように、驚くようなクリエイティブな才能をもった1人の在監者の手による作品ではなく、一人一人が違った個性を発揮しながらも、全体の作品がひとつの作品になるーコレクティブーという狙いが見えてきます。アーティストのモリス・ピフラさんがリードしながら、多数の窓があるひとつの都市をつくったことになります。そして近くからみると、窓の間にスペースがあり、人の顔があったりするのです。
都市のもつ暴力性に振りまわされ、母親に過ちを謝る人たち
前述したように、窓だけでなく広告のチラシが切り貼りがあります。それも数字です。商品の値段や割引率が切り取られ貼り付けてある。これはかなり奇妙です。
そこでアーティストのモリス・ピフラさんに理由を聞いてみたところ、次のようなコメントが返ってきました。
このコメントとフランチェスカ・ピレッダさんの解説による収監されている人たちの状況を考え合わせると、路上を彷徨うしかない人たちが過剰な消費の煽りのなかで、足を踏み外してしまう危うさを作品は表現していることになります。
しかしながら、さらに考えてみると、路上を彷徨わざるを得ない人たちだけでなく、彷徨う人が路上から眺める暖かそうな窓の内にいる人たちにおいても、案外似たようなところなのかもしれないとも思い至ります。
いずれにせよ、在監者たちの声には二つの特徴があります。
一つ目は言うまでもないですが、自由が制限された空間で過ごす他の人との生活のしんどさです。その一方で監獄の静けさが何よりも精神的な重荷になります。
二つ目は、罪を犯したことについて母親に謝るのです。ここにいる人たちは18歳から35歳の男性。多くは故国を離れてきているだけでなく、今や家族とコミュニケーションすらとれないのですが、彼らは母親の心を想い、母親に申し訳なかったと謝る気持ちが強いのです。
そのようなメッセージをポストイットに記し、それを作品のなかに入れ込み、あるいは自分の声で残しています。
ここで以前みたひとつのドキュメンタリー映画を、ぼくは思い起こします。
Netflixのドキュメンタリー映画”Daughters”で描かれていたこととの差異
ネットフリックスで今年公開されたDaughtersというドキュメンタリー映画があります。米国の刑務所で、収監されている父親たちが自分の娘に所内で会い一緒にダンスを踊るというプログラムがあり、この出会いとそこに生じる葛藤を描いています。
父親たちはスーツを新調し娘たちを待ち、娘たちもオシャレな服で刑務所に向かいます。そして親子が数時間を一緒に過ごすと、データによれば、9割の父親が再び刑務所に戻ってくることはない、というのです。ある絆ー会うべき人がいることーを再認識することで罪を犯さずにすむ―。
ミラノの刑務所での展覧会をみたあと、ぼくは次のように思いました。
「今度は外で会おう」というメッセージ
本記事の写真はすべてRiverselabの提供を受けています。Reverselabは本プロジェクトの名です。刑務所に入るにはすべてデジテルデバイスを入口のロッカーに預けないといけないので、自分で撮影ができません。
さて本プロジェクトに期待がもてるのは、継続性が見込まれる点です。
ボランティア団体による刑務所でのプロジェクトはスポットであることが多く、一回きりの経験がエピソードとして終わり勝ちです。特にこの刑務所のように在監者が極めて流動的なケースでは、在監者自身にとっても、刑務所の組織にとっても、いわんや外と内の関係にとっても、全体的な変化を生みずらいです。
だが、オフキャンパスには設置期限そのものがなく、今回の作品を現代美術館でも再現することも考えているようです。Riverselabは次回以降のことも検討しており、基本方針としてアートを活用し、それも「コレクティブ」を維持する意向です。
実は、この「コレクティブ」は在監者、アーティスト、リサーチャーだけでなく、看守やそれ以外の刑務所スタッフも含まれています。それだけでなく、この展覧会を見に来た人も「コレクティブ」の一員です。
作品にポストイットでメッセージを残してあるのは、在監者だけでなく訪問者のものでもあるのです。そのなかで目立っているポストイットが「外で会おう」というメッセージです。
いくつか見かけました。それも、内の人が書いたのか、外の人が書いたのか、即分かりません。
ある日、フランチェスカ・ピレッダさんが見学者たちを案内したとき、19歳の在監者も案内役でいました。別れの最後、彼は訪問した人たちに「みなさん、どう思いましたか?」と尋ねたそうです。
そうしたら、イタリア中部のアドリア海に面したペスカーラから来た1人の中年女性が「ありがとう」と自己紹介をしながら話しかけました。
彼はペスカーラに行ったことがあり、とても親近感を覚え「ぼくもペスカーラ、行ったことがあります!」。女性は「それでは、今度は海でお会いしましょうね」と誘い、彼は「ぜひ!」と弾けるように即答しました。
とても心に響く絶妙なやりとりだったそうです。
いつ刑期が決まるのか、刑期はどのくらいの年数なのか、あるいは無罪の判決で社会に戻れるかもしれない。何もわからない。
次に考えるべきは、このような不安定な状況でもお互いに「また会いましょう」とはっきりと声に出せ、願わくば、その再会を具体的に約束できる環境条件を整えていくことなのでしょう。
もちろん、この2人の間だけでなく、です。
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