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コロナのメディア報道と世論に思う「90年前と同じ無責任な過ち」との酷似

相変わらず、テレビでも新聞でもネットニュースでも毎日のように「コロナ感染者数がどうだこうだ」というネタが続いています。

個人的に違和感があったのは、先日8月6日、75年前のその日は広島に原爆が投下された日、その日の午前8時15分はまさにその時刻です。しかし、その時間に広島の式典の放送をしていたのはNHKだけで、他の民放各局はすべて「コロナ」の話をしていました。ほとんどのワイドショーは8時から始まるのですが、冒頭でも8時15分でも、へたすると番組内で一度も触れなかったところもあります(見逃していたらすみませんが…少なくとも8時15分までに放送していたのはNHK以外ありませんでした)。

広島で行われた式典自体もコロナの影響で参列者の数を制限するという縛りがあったようで、もしかしたら報道機関の数も制限されていたのかもしれません。だとしても、8月6日のあの日あの時を日本人が忘れてしまっていいのでしょうか?被爆者であろうとなかろうと広島にゆかりがあろうとなかろうとです。

こうしたテレビの放送を見て、個人的に感じたのは、メディアが大事な理性的客観性を失っているのではないかという危惧と、「これは、まさしく昭和初期のメディアと世論」とそっくりだという思いです。

こちらの記事にある通り、コロナのパンデミックが起きた時、欧米各国の首脳は「コロナとの戦争」という言葉を使用していました。

各国首脳の口をついて出てきたのはコロナとの闘いを戦争に見立てる発言だった。トランプ米大統領はみずからを「戦時下の大統領」になぞらえた。フランスのマクロン大統領も「戦争」と繰り返した。

昨今の報道、特にテレビは、平日朝のワイドショー関連では民放全局がコロナの話題ばかり流しています。2月あたりから半年くらいずっとです。そして、その論調にはコロナ感染拡大を煽る方向に統一されていて、客観的に見ても偏りが見られます。最近では、厚労省が「陽性者」という言葉を使用しているにも関わらず、無症状の陽性者もすべてひっくるめて感染者という扱いをし、見ている側にも、いかにも3月時点のような「症状のある感染者が増えている」かのような誤解を与えてもいます(「陽性者」という言葉を使っているのは、僕の知る限りでは「サンデージャポン」の太田光氏くらいな気がします)。どんな切羽詰まった事情があるかも知らず、夜、店を開けていたり、通勤する人たちを非難したりするコメンテーターもいて、非常に見るに耐えない。

要するに「コロナは怖い。コロナは駆逐すべき敵だ。コロナに対して国民は連帯して立ち向かわないととんでもないことになる」と各局統一で言い続けているのです、半年も。

コロナを昭和初期の中国や米国に当てはめると、まさに戦争前夜のメディアの報道と瓜二つなのです。

戦前のメディアは、政府や軍に統制されて、嫌々ながらそういう報道をさせられていたんじゃないの?メディアも被害者なんじゃないの?

そう事実誤認している人も多いと思いますが、違います。

1931年満州事変が勃発して以来、新聞各社は号外の売上が爆発的に伸び、売りを作るために自ら、戦争のスクープ合戦、速報合戦へと突き進んでいきました。1929年からの世界恐慌のあおりを受けて、売上低迷にあえいでいた新聞社にとってはこれは天の恵みでもあったのです。

東京日日新聞(現毎日新聞)の七瀬又三郎氏の証言によれば「当時は、血みどろの号外競争をやったんだ。競って戦地に人を出した。戦争の号外を出す度に販売部数が伸びた」とある。また、元朝日新聞記者だった武野武治氏は「戦争になれば部数は確実に伸びる。新しい読者が増える。戦争になれば、新聞にとっては経営面ではマイナスじゃないんです」と述懐しています。

戦争に夫や息子を送り出した家族が心配して新聞を買うだけではなく、不景気に沈んでいた国民にとっても、関東軍の快進撃のニュースは元気付けられるネタだったということもあります。

号外に加え、本紙でも満州事変支持、満蒙を死守せよという論調が主流になりました。政府が「不拡大方針」を打ち出していたにも関わらずです。よって、政府の要請でもなく、本国の軍の圧力でもなく、自ら進んで新聞は戦争拡大を打ち出していったわけです。

当初慎重論だった朝日新聞でさえ、全国的な不買運動が起きると、軍部の行動を追認する方向に社論を転換、戦争加担の方向に舵を切りました。

その後、内閣情報部と情報局によって言論統制が徹底され、1941年の国家総動員法にもとづく新聞事業令で大本営発表を報じるしかなくなりますが、それは結果論で、当初は新聞各社の自発的な行動に起因するものです。

なぜ、そうした世の中の空気が生まれたかというと、満州事変の前に起きた陸軍の中村震太郎大尉が敵情視察中に中国軍によって捕えられ惨殺された事件によります。耳や鼻を削がれ、手足を切り落とされ、いわゆる拷問死させられたという報道によって、日本国民は同情と怒りにより「中国人は敵だ」という空気に一変しました。

そうした人の死が空気を変えた事例は、コロナにおいて志村けんさんの死が衝撃を与えたことと酷似しています。

戦争報道が中心になると、記者たちはどうしても情報源の関東軍との接触を密にするようになります。自分たちだけのスクープを求め、軍に意向に沿うようになっていきます。そうして、軍にとって都合のいい情報だけが国内に報道されていくことになります。ひとつ念押ししますが、この時点では、軍はそうした行為をメディアに強要はしていません。むしろ、メディアの方が、センセーショナルな話題に飢え、軍をけしかけたと言えるでしょう。

これも何かに似ていませんか?

関東軍を「コロナの専門家」に変えると、まさに今の報道やワイドショーの有りようそのものです。メディアはコロナの不安を煽り、恐怖を訴求して、国民を扇動する物語を先に作り、それの裏付け事実として専門家の口を使っています。そのためにコロナというウイルスは極悪非道のヒールであり続けてくれないと困る。だから「コロナはそれほど恐れる必要はない」と番組で発言した専門家がいれば、その人は二度と番組に呼ばれません。

勿論、コロナ自体を軽視するつもりはありませんが、どこのメディアも報道も判で押したような論調になっていくことは、まさに満州事変のあの時となんら変わらないという恐怖を覚えます。

「満鉄爆破は中国軍の仕業ではなく、関東軍が仕掛けた謀略だ」という事実も、新聞各社は当時の陸軍から直接聞いていました。しかし、それらの事実を報道する新聞は一社もなく、終戦までその事実は隠ぺいされました。

国際連盟のリットン調査団による報告書で「満州国は認めない」とされると、日本中の大手新聞社が共同で世界に向けて「そんな報告書は断じて受け入れられない」という共同宣言を出します。もう、メディアではなくまるで外務大臣のような振る舞いです。そして、政府より先に、メディアの大政翼賛会化が実現していたわけです。

さらに、新聞各社は「そんな国連からは脱退せよ」と連日報道します。世論もそれを支持します。当時の高橋是清蔵相が、荒木陸軍大臣に「新聞の報道をなんとかしろ」と言って困ったと言われます。政府や軍が統制していたどころか、政府や軍すらメディアと世論をコントロールできなくなったのです。

その後、松岡外相が国連を脱退したわけですが、松岡氏は帰国に際して「よくぞやってくれた! 」と英雄のような扱いを国民から受けます。もう、メディアだけではなく、国民全体がそういう空気に侵されていました。誰も異を唱える者はいなくなります。

これは、メディアが作った世論に、自分たちメディア自身もいつしか巻き込まれて行って、そもそも誰がその情報の発信者だったかという意識はどこにもなくなっていきます。国民は「メディアが言ってるんだから」、メディアは「国民がそういう世論なのだから」と、互いに無責任な状態に陥るのです。

これこそが無意識の全体主義であり、独裁者のいない独裁国家の姿なのです。

90年前と同じ過ちを今、我々は繰り返してないでしょうか?

コロナという病気を敵としているうちはまだいいですが、昨今の状況は、いつの間にか敵はウイルスではなく、そのウイルスにかかってしまった人間に向けられています。岩手の一人目の陽性者に対する誹謗中傷だったり、ただの無症状の陽性隔離者を「施設から脱走」などと、まるで犯罪者のように扱うようになってきたら、もうこれはいよいよおしまいな気がしています。



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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。