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うちのステンレスキッチンから考える、失敗を許せない社会について。

はじめてステンレスのキッチンをつかったのは19歳の時だった。

大学時代のアルバイト先。横浜駅の近くにある六国世喜(むこくせき)というアジア料理店のキッチン(今はもうない)。

いかにも「業務用」という雰囲気で、自分がプロの料理人になったかのような勘違いを起こさせてくれるキッチンだった。

あれから20年。

そんな原体験もあって、3年前に注文住宅を建てる時は、まずステンレスのキッチンを見に行った。

当時のおぼろげな記憶を辿りながら、近しいキッチンを探した。

ショールームの奥の方で、ちょうど似たようなキッチンに遭遇してジロジロと見回しているとスタッフさんに話しかけれた。

「これ、カッコいいですよね」

ちょうど同じ年くらいの男性スタッフだった。
彼は続けた。

「これ、カッコいいんですけど、ご家族の意見が揃わなくて他のになってしまうことが多いんです。ステンレスはやっぱり細かい傷が目立つので・・・」

確かに、アルバイト先のキッチンも傷だらけだった。
傷だらけだったけど、それも含めてカッコよかったから気にしたことはなかった。

しかも幸か不幸か、僕にとっては独り身で買う家だ。
反対するパートナーも居ない。

「やっぱりこれだな」

そう心に決めて、この日は帰宅した。

後日、設計士さんに「キッチンはこれにしようと思うんです」とカタログを見せた。

「細かい傷が目立つらしいのですが」

と付け加えたら、設計士さんは言った。

「いいじゃないですか。ステンレスのキッチンって傷がたくさんついて、最終的には模様っぽくなるんですよ。



傷が、模様になる。


素敵な発想だと思った。
言われてみれば、その設計士さんのつくる家具はすべてそんな感じ。

コーティングなどあまりしないで、ありのまま。

耐久性は落ちるのかもしれないが、どの家具も味わい深くて気に入っている。

傷も染みもつくダイニングテーブル

しかし一般論は少し違う。

ハウスメーカーはどこも「傷つきにくい!」を売り文句にしている。

「傷が模様になる」なんて売り文句を使うメーカーはない。

でも改めて考えてみたい。

傷は隠すべきものだろうか。
傷は恥ずべきものだろうか。

使ったら傷がつくのは当たり前だ。

確かに1つ目の傷はショックかもしれない。でもそれは、模様の一筆目でもある。逆に言えば、傷がつかない方が不自然だ。大袈裟に言えば、傷は「生きた証」かもしれない。

それなのに私たちは、傷がつかないものを欲しがる。ずっと新品のようなものを価値とする。傷はなるべく見ないようにして、傷をなるべく隠そうとする。

それはどこか、

・失敗を許せない社会
・挑戦をさせない社会

にも通じる。

特に日本はその傾向が強く、それが世界との差分になっている気がする。

日本の製造業の人が「我々は10年壊れないものを作っている。なぜITでそれができない」と言うことがあるらしい。

ITのものづくりでは、ミスやバグが当たり前で、それとどう付き合っていくかの方が重要だ。

しかしこれが、日本の価値観と乖離している。そんな「失敗」に対するアレルギー体質が日本をIT後進国にした節がある。

もちろん、ミスや失敗、傷はない方がいい。

ない方がいいが「隠した方がいい」ことではないし「恥ずべきこと」でもない。むしろ「あって当たり前」のものだ。

日本はいつから「傷」が苦手になってしまったのだろう。新品信仰が根付いてしまったのだろう。

そんなことを考えながら、今日も傷だらけのキッチンを愛おしくつかっている。

まだまだ、模様と言えるまでには程遠い。


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小島 雄一郎
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