リブラとマクロ経済~「派手な議論」より「正しい理解」を~
初めてCOMEMOのテーマ企画に投稿させて頂きます。というのも、私自身、通貨の専門家としてやらせて頂いているわけですが、内外の要請に応じて執筆した以下の記事が多くの方々(とりわけ金融市場参加者でいわゆる「プロ」の方々)からご評価を頂きました。
リブラをめぐる誤解…マクロ経済と金融への「本当の影響」はこれだ!
~正しい理解が必要だ~
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66150
「既存権力 vs. 新興勢力」という二項対立や「もうリブラは止められないのだ」というやや煽り気味の論調もある一方、「話にならないのでこのまま立ち消える」という悲観論もあるかと思います。私が上記コラムで書いたことはどちらでもありません。私は暗号資産に係る専門知識はありませんが、上記コラムで指摘した2点、①「リブラが新興国の金融システムを破壊する」、②「リブラが銀行部門から預金を枯渇させる」といった頻繁に散見される論点が本質的に間違っていることだけはエコノミストの眼から見て言えると思っています。
なお、①、②以前の問題として、「今後、悪意を持った第二、第三のリブラが出てくる可能性があり、それがより脅威になるかもしれないのだからリブラを応援」的な声も目にしますが、話にならない論陣だと思います。そもそも後述するように、米国債を筆頭としてレガシー資産を裏付けに暗号資産の価値を担保しようとしている以上、各国の中銀決済システム(Fedwire、TARGET2、日銀ネットなど)に乗る話になり、「悪意を持った暗号資産」は絶対に許可されないので、国際金融システムの脅威になることもないでしょう(米国がイランに何をできたか?を思い出せば分かる話です。意に沿わない相手ならば国際金融網からキックアウトできるのです)。軽々に通貨主権を乗り越えて物事が進むわけではないということは「リブラをどう評価するか」以前に基本的な話です。FBも当局が承認するまで発行できないことは明言しています。
リブラが新興国の金融システムを破壊するのか?
まず、①です。IMFは自身のフィンテック関連の報告書の中でリブラに代表される暗号資産のリスクとして以下のように述べました:
「例えば、脆弱な政策当局の下、高インフレ体質の国の場合、新しい形の貨幣が普及することによって貨幣の代替が進み、金融政策の波及経路に対するリスクが浮上する(Risks to monetary policy transmission, for instance, could emerge from currency substitution in countries with weak institutions and high inflation if new forms of money become widespread)」
「外貨としてのデジタル通貨の利用が拡がれば、国内の計算単位はデジタル通貨建てに移行し得る(As usage of foreign e-money spreads, the domestic unit of account could switch to that in which e-money is denominated)」
「中央銀行は金融政策のコントロールを失う(central banks could lose monetary policy control)」
IMFがここまで書けば、国際社会は脅威と受け止めざるを得ないでしょう。しかし、これには色々と説明を加える必要があります。これは要するに、リブラがあることで脆弱な新興国の自国通貨が駆逐され、当該国の金融政策が無効化するという懸念です。しかし、こうしたリスクとリブラと本質的に因果関係があるとは言えないはずです。「脆弱な政策当局の下、高インフレ体質の国」はリブラがあろうがなかろうが、資本流出の懸念に苛まされるものです。それがドルではなくてリブラだったからといって特段、新しい議論ではないでしょう。そもそもリブラの裏付けとなる「バスケット通貨(で構成されるリブラリザーブ)」の50%以上がドル建てになると言われていますから、本質的には「ドル化寄りのリブラ化」でしょう。
敢えて違いを見出すとすれば、法定通貨がある国で流通するドルは基本的には違法であり、不適切な闇レートを通じて当該国経済に少しずつ浸透していくことが予想されます。 片や、家計部門や企業部門が高インフレゆえに購買力の低下が危惧される自国通貨を手放し、リブラを選ぶ動きが強まること自体は違法ではありませんから、その意味でドル化よりもリブラ化のスピードは恐らく速そうです。しかし、あくまでも事の発端は「物価の安定に失敗した政策当局」であり、ここにリブラが登場することで自国通貨が駆逐されやすくなるという理解になります。脆弱な新興国経済への影響は確かにあるでしょう。しかし、それはリブラがなくても存在したリスクです。 選ばれない通貨はリブラがなくても選ばれないのです。
リブラが銀行部門の預金を吸い取るの?
さらに、②「リブラが銀行部門から預金を枯渇させる」、それゆえに銀行部門が貸出業務に苦しんで崩壊するという論調も目にします。専門的な言い方に置き換えると「既存の銀行部門の預金がリブラに代替される過程で信用創造機能が低下し、銀行貸出が機能不全に陥る」といった指摘です。残念ながら信用創造の理解が十分ではない指摘だと言わざるを得ません。
細かい制度設計の説明はここでは省きますが、利用者がリブラと引き換えに支払った資金(法定通貨である)はリブラ協会がリブラリザーブとして負債側に記帳し、資産側にバスケット通貨(ドル、ユーロ、円、ポンド)の構成比を意識した短期債や預金で運用することになります。ここで運営主体であるリブラ協会に短期債を売却した売り手(例えば銀行)の預金には代金が振り込まれます。また、リブラ協会も1つの運用形態として自身の「預金」を保有すると述べています。リブラが発行されたからといって、世界全体の預金総量が変わるわけではなく、国際資金循環という大海の中でリブラ協会を通過するフローがあったというだけの話です。リブラ協会がレガシー資産で運用する以上、「誰かの預金」としてリブラの対価は国際金融市場のどこかに存在するのです。「フェイスブックがリブラを通じて銀行部門の預金を吸収するのでマクロ経済における信用創造機能が低下する」という単純な話ではなく、リブラ協会に安全資産を売却する売り手やリブラ協会自身の預金という形でマクロ経済全体の預金は変わらないという点は押さえておきたいところです。
「リブラが民間銀行の預金を代替(吸収)してしまう。ゆえに銀行部門の資金が逼迫する」という言説は一般的には腹落ちしやすいのでしょうが、リブラ協会も振り込まれた代金を何らかの形で運用しなければならず、結局は銀行部門の預金に還流することになる、という点を見落としています。
預金偏在という問題はあり得る
その上でリブラがもたらす影響として議論を進めるのであれば、世界全体の預金総量は変わらなくても預金の属性(所在国や預金者など)に偏りは出てくるのかもしれません。 リブラリザーブの構成比に関しては「50%がドル、そしてユーロ、英ポンド、円」と議会証言されていることを踏まえれば、これらの通貨圏とそれ以外の通貨圏で預金の偏在化が起きやすく、後者においては金融政策の波及経路への影響が議論される事態があるのかもしれません。 IMFも報告書でこの論点に絡んで「より小さな銀行がより大きな資金調達のストレスや変動を感じるかもしれない(smaller banks might feel greater funding strains, or at least experience greater volatility in funding)」と指摘しています。
これら以外にもエコノミストの視点から疑問が抱かれる論点はありますが(例えばリブラに金利が付かないという論点など)、今回は長くなるのでこの辺りにしておきたいと思います。とりあえず「リブラが既存の金融勢力を駆逐するのだ」という勢いのある論陣の声が大きいためか、金融の世界ではごく当たり前の知識が置き去りにされる風潮があるように感じます。センセーショナルなことを言うよりも、基本的な事実を押さえて論をちょっとずつ前に前進させ、このプロジェクトが良い方向に進んでいけば良いとは思います。