一人でいられない人は、誰と一緒にいても寂しい
ベストセラーにもなった下重暁子さんの「極上の孤独」や五木寛之さんの「孤独のすすめ - 人生後半の生き方」などを、不用意な孤独礼賛本だとして否定する人がいます。本当に大きなお世話だと思うんですが、「孤独」や「一人でいること」を、ことさら悪の権化みたいに扱う人がいるものです。
「孤独っていうのはね、怖いんだよ~」
とか目ん玉ひん剥いて迫ってくるんですが、「怖いのはあんたの顔だよ」っておばちゃんもいます。僕にしてみれば、そうやって「孤独を悪にしないと気が済まない人」こそが一番孤独でさびしい人なんだ、と考えています。
ソロランチをしていると、「一人で飯食ってて寂しくないの?」って、孤独におびえるおばさんやおじさんは言ってきますが、逆に聞きたい。「一人でご飯食べるのが、なぜそんなに寂しいんですか?」と。
ウートピさんにインタビューされた連載記事、最終回では、そんなお話をしています。
一人でいるという状態は、孤独であっても寂しいものではありません。寂しさは状態で感じるものではなく、あなたの心の中が空虚だから感じるものです。
そういう人は、ソロ社会になると、一人暮らしが増え、孤独に寂しさを抱える人たちが多くなる「絶望の未来だ」と言うんですが、それはあなたの価値観であって、「一人だろうが全然絶望しないし、むしろ快適だ」と思う人も多いのでは?
それでも孤独おばさんは負けない。
「家に帰っても一人だとさびしいでしょう?」とか、「灯りがついてて、温かい部屋からおかえりと言ってもらえる部屋に帰りたいでしょう?」とか言うんですが、いやいや、逆です。「真っ暗で誰もいない冷たい部屋」に帰りたいんですよ。そういう場所に戻れるとほっとします。
孤独は悪おばさんは、それでも引きません。
「そんな人はね、少数派です。みんな、誰かと一緒にいたんです」と言うんですが、「そうですか、では、そのエビデンスは?」と聞いても出てきやしない。
エビデンスなんかあるわけない。そのおばさんが寂しいから、世の皆も寂しいのだと決めつけてしまっているんです。
「一人でも寂しくない」率は未婚者では年々増加して、18-34歳の男性ではもう5割に達しようとしています。女性もほぼ4割です。
だからといって、この人たちが全員、誰ともコミュニケーションを取れない孤高の人たちではありません。
大事なことを忘れています。
一人であることを楽しむためには、誰かと一緒の時間がないとできないんです。一人の部屋に帰ってほっとできるというのは、それまで会社や外で誰かと一緒に仕事したりしていたからそう思えるんです。ずっと一日中一人で過ごしていたら、「一人の価値を感じられない」のです。
僕の言う「接続するコミュニティ」とはそういうことです。だから、たとえ一期一会でも継続的でも、人とのつながりは大事にできると思うんです。
誰かとのつながりなしに人は生きられない。でも、誰かといつも一緒である必要はありません。
定年後の夫が、用もないのに妻の後をついてまわり、妻がらウザがられ、あげくの果てに妻から三行半を突き付けられてしまうのは、妻唯一依存症の成れの果てですが、物理的に一緒じゃないと不安で仕方ないという、もはや病気に近いと思います。
それは、まるで乳幼児が、母親の姿が見なくなると泣きわめくことと同じです。
よく思い出してほしい。母親の姿が見えなくても泣かなくなったのはなぜだったか。
それは、物理的に一緒にいなくても、母親は自分を見捨てないし、必ず戻ってくるはずという確信が自分の中にあったからではないですか?
そうなんです、自分の中に母親と対峙することでできた新しい自分が生まれたからこそ、母親が傍にいなくても大丈夫になる。
寂しさというものは自分の外側で感じるものではない。自分の内側に誰もいないから感じるものなんです。
一人でいて寂しい、寂しいと言う人は、誰かの温もりを求める前に、「あなたの中のあなたが足りない」のだという自覚を持ちましょう。自分の内側を充満させない限り、自分の外側にどんなにたくさんの人間を揃えても、その寂しさは消えません。
この連載、一気読みするとまた違った読み応えがあります。ぜひどうぞ。
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