社内公募はサラリーマンを起業家に変える〜#キャリアの社内公募制度
(Photo by Amy Shamblen on Unsplash)
日経COMEMOから、「キャリアの社内公募制」というお題が出たので、「これは答えねば」と思った。なぜなら、独立する前に働いていた富士ゼロックスのKnowledge Dynamics Initiative(以下KDI)というチームは、私自身も含め、私の所属していた13年間で、毎年社内公募でメンバーを増やしていたからだ。そこには、涙なしには語れない、悲喜こもごもがあった。
#日経COMEMO #キャリアの社内公募
私自身の社内公募の経験
私自身が富士ゼロックスの「最初の社内公募」で、研究所からKDIに異動したのは、1998年、今から20年以上前のことである。「世界で活躍できる研究者求む」という社内公募がイントラで公開され、私の研究所の同僚が、「これ、野村さんにぴったりだと思うよ」と教えてくれたのだ。
そして、私の社内公募が実験的に行われた翌々年から、正式に富士ゼロックスに社内公募制度が導入され、毎年100人以上の人が社内公募で異動するようになった。当時の日本企業にとっては革命的なできことであった。
KDIも、私の異動した翌々年に新たに3人のメンバーを社内公募し、新規事業としてのナレッジサービス事業を立ち上げることに成功している。それからも毎年、2名程度を社内公募で加えながら成長していった。
KDIの事業内容が、「イキイキした組織をつくり、イノベーションを生み出す」というものだったため、我々は自分たちの組織自身がそういう存在になろうとしていた。今で言うところのティール組織のような運営をするために、公募では、一人ひとりの想いを徹底的に聴き、「組織の中での役割」ではなく、その人が「一生かけてやりたいこと」を明確にする手助けをした。その上で、敬意を持って「KDI Crew」として迎え入れていた。
社内公募だからこその「自らの肩書きづくり」
そして、ひときわKDIがユニークであったのは、自分自身の肩書き、つまりビジネスタイトルを「自分で決める」というプロセスであった。社内公募で移ってくると、「あなたは何をする人なのか」と他のCrewたちから毎日のように問われ続けるのだ。最長で、肩書きを決めるのに1年かかったメンバーもいた。
その上で、このお手製の肩書きを名刺に刷り込むのだ。当時、もちろん富士ゼロックスの公式な肩書きではないものを名刺に入れることは社内ルール違反であったが、こういう取り組みをまず社長や会長に説明し、理念に共感してもらったら、それを錦の御旗に実践をしていった。
新しいお客さんに会うと名刺交換をする。そのたびに、当然のようにビジネスタイトルの話題になる。「これはどういう想いなの?」といろいろな人から何度も聞かれて、説明するチャンスを得る。こうして、いつの間にか「そういうことをする人」だとセルフブランディングされていくのだ。
社内公募から社内起業家へ
この一連のプロセスを通して、「社会に対する自分の想い」を明確にしていっていたわけだが、このプロセスになくてはならないのが、社内公募制度だったといえよう。想いのない異動からは、こんな熱いやりとりは生まれないだろう。個人にとっても、この社内公募は「サラリーマンから、アントレプレナーに変わる」大きな転機であったと思う。
社内公募で「社会に対する自分の想い」が明確になってくると、それは「一生を通しての自分のやりたいこと」につながる。それは、「自らのやりたいことの実現のために会社を使う」という、「社内起業家マインドへのシフト」につながっていく。
次の記事は電通が一斉に始めた早期退職制度で独立した社員のストーリーだが、興味深いのは、独立後も電通と強いつながりを保っているところだ。言うなれば、「社内起業家としての独立を可能にする仕組み」なのである。
社内公募、複業、起業はホップステップジャンプ
これは私の個人的な経験なので、誰もに適用できるものではないが、社内公募で自分の想いが明確になったなら、次のステップとして、自分でその想いをカタチにする予行演習をしたくなる。それに最適なのが「複業」だ。私の場合は、富士ゼロックスのKDIでフルタイムワークをしながら、複業として国際大学GLOCOMで主幹研究員を併任するという機会に恵まれた。
社内公募で異動してから、13年間にわたってKDIでリーダーシップを発揮したが、次第に大企業の枠を超えて試してみたい仮説が生まれてきていた。具体的には、社内公募後に嬉々として立ち上げた「企業のイノベーションコンサルティング」であったが、それを超えて、「社会起業家と企業の共創」をプロデュースできないかと思っていた。そこで、国際大学GLOCOMでの複業で、それを試してみることにしたのだ。この経験が役立ち、その後の起業へとつながる。
複業を当たり前にしたパイオニアは、サイボウズであろう。社員を囲い込むよりも自由に越境させることによって、主体的な起業家精神に富んだ社員を集めることにも成功してきた。企業が社員を囲い込まなくなれば、社内公募制度があろうがなかろうが、社外の人材募集にさえ応募してしまうことができるようになる。
社内公募がなくとも起業家精神を養える時代
そしてリモートワーク時代が到来し、企業は否応なしに物理的にも社員を囲い込めなくなった。コワーキングスペースやワーケーションを使う人も増えていて、会社の仕事のアウトプットさえ出していれば、職務規定違反にならない範囲で、どんなトライも可能になってしまったのだ。
次の記事は、「越境が日常」となる場所が沖縄・コザに集積し始めていることを伝えている。沖縄にワーケーションで行って、仕事をして遊んで、さらに創造的な人たちとの出会いがあって、そこで複業を始めてなど、想像はふくらむ。社内公募よりも、ワーケーションの方がさらに自由度が高そうだ。
当時、社内公募は、終身雇用の日本企業においては、夢のようなシステムであった。上司に何も言わずに公募を出せるということに、まるで下克上のようなインパクトを感じていたことが、なんとも懐かしい。
今となっては、社内公募システムは不要なのだろうか? いや、違う。
社内公募は、きっと今でも「自分の社会に対する想い」を明確にする手助けをしてくれていることだろう。同じ会社の中で、自ら手を挙げて、新しい部署に移るというのは、「自分がなぜこの会社に入ったか」という原点とつながる機会になっているはずだ。
だからこそ、社内公募は、誰もが「サラリーマンから起業家に変わる」ための最大のきっかけであり続けていることだろう。