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現代貨幣理論(MMT)における「対立の本質」

 最近現代貨幣理論(MMT)が話題になっている。
 特に日本では、消費税の引き上げや予算規模などの重要判断が、このMMTを前提にするか、従来の伝統的な主流派の経済理論を前提にするかで、真っ向から異なるために、この理論を推す人と、批判する人(従来型の経済政策を推す人)との間で激しい論戦が展開されている(例えばKrugman教授とKelton教授の下記を参照)。https://www.bloomberg.com/opinion/articles/2019-03-01/paul-krugman-s-four-questions-about-mmt

 私は、経済学者ではないが、これはデータやAIにも関係する話なので、一度この議論を整理してみたいと思った。
 
 複雑な問題を整理する定石
 
 まず大事なのは問題を整理することである。しかも、複雑な問題では、できるだけ専門用語を使わずに整理することが重要である。なぜなら、専門用語は、専門家以外をむやみに煙に巻いたり、専門家自身も思考停止にしている場合が多いからである。
 データサイエンスでの問題整理の枠組みは、広い問題を整理するのにも有効である。その枠組みでは、解くべき問題を、「状況(コンディション)に応じて、制約条件を満たしつつも、的確な行動(アクション)を選択することで、よりよい結果(アウトカム)を出す問題」という形で、整理するのである。ここで
 
(1) アウトカム(目的変数)   向上させたい結果の変数
(2) アクション(制御変数)   制御や判断において直接操作可能な変数
(3) コンディション(観測変数) 直接操作できないが観測可能な変数
(4) 制約条件          変数の範囲や変数間の関係に関する制約

である。仮にデータやAIを使わなくても、この枠組みは有効である。
 このMMTをめぐる政策議論の問題も、この枠組みで整理することができる。即ち、政府や国の役割は、「景気や国際情勢や技術革新という環境変化(コンディション)の中で、国の予算や金融政策や税制(アクション)を適切に判断や変更することで、国民の繁栄や幸福(アウトカム)を最大化すること」となる。この点については、伝統的な主流派経済による立場も、MMTも変わらないだろう。
 
 国は税収の範囲で支出すべきか
 
 異なるのは「制約」である。主流派は、上記を判断するにあたって、国も家計のように「収入(即ち税収)の範囲で支出すべき」という制約条件を守るべきと考える。即ち、国の財政的な収支がバランスすることを制約条件と考える。もちろん、そのバランスしているかどうかの判断には幅があるが、現在の国の赤字は、その適正な幅を超えていると考えるのである。したがって、この制約条件を満たすために、消費税は引き上げが必要で財政は緊縮が必要という結論になるのである。
 一方で、MMTでは、 国の収支がバランスするかは、本来の制約でも目的でもないと考える。これは、通貨を発行する主体である国は、家計とは異なり、貸し倒れ(デフォルト)することは原理的にありえないからである。むしろ、真の制約は、インフレやデフレを避けることである。インフレやデフレは、お金や商品の価値が制御不能に変動することであり、それは人や社会の努力を無にすることなので避けるべきである。これにより、現在のデフレの状況で、やるべきことは減税であり、さらに財政的な支出の増加という結論になる。しかし、これは消費税の引き上げという現状の政策方針と対立するのである。
 このMMTには強い批判がある。批判は、第1にインフレが制御できなくなる懸念であり、第2に金利の上昇が制御できなくなる懸念であり、第3に動的に政策を変えることに伴う困難である。
 
 主流派はMMTの基本を否定していない?
 
 意外なのは、これらのMMTに対する批判はいずれも、MMTの問題設定や理論自体に対する批判というより、より現実における実行上の課題に終始している点である。その意味で、実は主流派は、MMTの基本的な考え方は認めているように見える。
 むしろ、伝統的な主流派が真に反発しているのは、MMTに従うと、直接は制御できないインフレやデフレの状況に応じて判断を変えなければいけない点である。詰まるところ主流派のこだわりは、「税収に支出を合わせる」という「誰にも分かるルール」に基づく政策でないと心配だという主張に見える。
 一方のMMTは、本質的に重要なのは結果を出すことであり、国の支出を収入とバランスさせるという人が考えたルールは、結果を出すためにある時に作った手段や目安の一つで、これがいつも正しいわけではないと考える。むしろ、状況は多様で変動するので、アクションは状況にあわせて柔軟であるべきと考える。うまくいっているかは、インフレ/デフレの定量数値、即ちデータをモニタリングすることで判断すればよく、それは可能であるという主張である。
 両者の対立は、「固定的なルールで統治すべき」と「データに基づく柔軟な対応で結果を出すべき」との対立に見えるのである。
 
 データやAIの活用を阻む壁
 
 これは実は、データを活用する時に常に起こる対立なのである。私は、企業のデータやAIの活用の現場で、この対立を数えきれないほど見てきた。
 従来仕事は、20世紀初頭のフレデリック・ウインスロー・テイラー以来、標準化して横展開することがよいこととされてきた。即ち、ルールやガイドラインやマニュアルで統制するのが効果的であった。
 このルール指向の業務や経営の世界に、敢えてデータやAIを導入するというのは、状況にあわせて動的に対応を変更するためである。なぜそうするのか。それは、その方が結果がよくなることが過去のエビデンスが示しているからである。根本的に世の中は変化や多様性に満ちており、柔軟性が必要だからである。これから、AIとデータを使うことは従来の固定的なルールやガイドラインによる統制を考え直しましょう、ということになるのである。
 しかし、これは常に従来のルール指向で成功してきた関係者の反発を受ける。これがデータ活用の普及を阻む最も大きな障害となってきた。特に、状況を複雑にしているのは、従来のルールに従って仕事をしている人は、ルールを標準化し、それを普及、横展開して徹底することは「良いこと」という信念を持っていることである。確かにルールもなく場当たり的に対応するよりも、ルールを定めることで、よりうまくいってきたのである。
 
 ルールという硬直性
 
 しかし時にルールは、対応を硬直的で杓子定規にし、状況変化に対応できくしてしまう。私の友人が、お母さんが急病で、病院に車で一刻も早くお母さんを連れて行かなければならなくなったことがある。途中の交差点の信号は、車も歩行者もいなかったのだが、無情にも赤であった。友人は、お母さんの命を助けるために、赤信号の交差点を、ルールを破って車を進めた。交通ルールは、本来、人の命を守るためにある。しかし、ルールは杓子定規である。時に人の命を奪うことすらある例である。
 データやAIを活用すれば、このような緊急の人を優先するように動的に信号を制御できるだろう。しかし、これは、一律の分かりやすいルールとの決別を意味する。ここに対立が生まれる。
 MMTに関する対立の本質は、「国の終始をバランスさせる」というシンプルな「ルールに基づく政策」と「インフレとデフレを避ける」という「本来の結果を出すことを優先した柔軟な政策」との対立と捉えられる。
 日本は、この「ルール指向 vs 結果指向の柔軟性」という選択において、過去20年間、ルール指向を常に選択して来た。その結果、データやAIを使ったビジネスでGAFAなどとは比較もできない差がついてしまった。日本人には、このようなルール指向へのバイアスがあり、それはこの変化の時代にうまくいっていないことは、まず認識すべきだし、素直に反省すべきであろう。MMTの議論では、日本人のこの固定ルールを過度に尊重するバイアスに振り回されないことが重要である。
 
 日本は秘めた力を蓄えているのか?
 
 もう一つの重要な視点は、日本にとって今は大変なチャンスかもしれないということである。
 MMTによれば、日本は過去20年以上に渡るデフレにおける緊縮財政により、本来のパフォーマンスを出すための政策とは、ある意味で逆の政策をとってきたことになる。これは、一見、残念なことのようではあるが、見方を変えれば、これほど素晴らしいことはない。というのも、より厳しい条件に自らを追い込むことで、贅肉を取り除き、体力や筋力を高めてきたことになるからである。いわば空気の薄い高地でのトレーニングを長年こなしてきたアスリートのようなものである。そして、勝負の時を待っていたと見れるのである。
 MMTに従うならば、日本は山を下りて平地に戻れば、まだまだ記録を上げられる余力をたっぷり残していることになる。しかも、それを自分の意思で決められる。時は今、データやAIを活用した新しい社会(Industrie4.0/Society5.0時代)に突入する大きな転換点にある。中途半端な時代に足かせとなる投資をせず、この好機を待ったのは、意図したことではなかったとはいえ、ある意味でよかったかもしれない。

 現在MMTに関する論戦は大変混乱している。このように、一段、俯瞰的にみることで、この重要なテーマについて、より建設的な議論ができればと思う。

参考文献
L. Randall Wray, "Modern Money Theory: Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems," 2nd Edition, Palgrave Macmillan (2015) 

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