古典は意外にヒリヒリしてる
先日、PRディレクター・クリエイティブ・ディレクターの三浦崇宏くんが率いるGO主催のイベント「Z特区2」にお邪魔させていただきました。このイベントの趣旨はZ世代からビジネスのヒントを学ぼうというもの。そんなわけで、自分の役目は裏千家の茶道家であり、お茶の製造から販売まで手掛ける企業 株式会社TeaRoomを経営する岩本涼さん(27歳)から、カルチャーとビジネスの関係性を聞くこと。
もちろん、なぜ、岩本さんご本人しかり世界の人たちが、お茶の世界に惹かれるのかという話になりました。それに対する岩本さんの答えが非常におもしろかったので、noteにも書いておきたいと思いました。
その一瞬を無駄にしたらもったいない
そもそも、今の世の中、「分断だ!」などと言われていますが、お茶が始まった戦国時代の日本はそれこそ「大分断時代」だったと思うのですが、戦国大名たちは何を求めて茶室に集まったのか?というのが自分のかなり素朴な疑問です。
岩本さんいわく、日本にはとんでもなく天災が多くあらゆるものが儚い存在であるといいます。その上、世は戦乱のさなかでしたしね。そんな環境ですから、誰もがこの一瞬を大事にしようとするし、今、会っている人とまた会えるという保証もない。そんな、「一期一会」の状況で不変の価値に触れる体験が求められた。それがお茶だとおっしゃるのです。
日本の暦が「二十四節気七十二候」で、5日に一回という頻度で日本人が季節の変化を感じ、虫が鳴き始めましたね、花が咲き始めましたねと言語化していたのも、いつ死ぬかわからない状況の中で季節の変化を体感しなければもったいない!という感覚からだというお話もしてもらいました。
岩本さんいわく、世界では今人災が多数起きていて、信じれれる不変なものが揺らいでいる。だから世界の人もお茶を必要とするのだといいます。
浮気や仕事のミスもタダではすまされない
なるほど、そうか!と思いました。自分は20年ほど前に人形浄瑠璃文楽の太夫竹本織太夫さんと知り合い、それから東京での公演は欠かさず見に行っているのですが、江戸時代の事件を再現ドラマ的に脚本化した「世話物」と言われるジャンルでも、「忠臣蔵」や「義経千本桜」など史実をベースにしたドラマ「歴史物」といわれるジャンルでも、文楽で描かれる世界では失敗が許されません。騙されて背負ってしまった借金や、浮気の発覚、上司の命令に逆らったり、指示通りに任務が遂行できない時、死罪や切腹が待っています。
今の世の中のように、レストランでスマホのデジカメで何枚も料理の写真を撮って一番いいやつを選ぶとか、そんなことはやってられないんですよね。やり直しができない。うーん、すべての行動、一挙手一投足が真剣勝負なんですよ古典の世界ではは。
そうか、古典は意外にヒリヒリしているんだ。
起業家や経営者がその場の雰囲気に流されずに本質的な価値を捉える瞬間的な動体視力を捉えるために古典から学ぶことは多そうです。
仕事のいち場面いち場面も二度と同じシーンは巡ってこない
ちなみに、日経新聞で「一期一会」がどう語られているか見たみたら、日本シリーズでDeNAの左腕アンソニー・ケイのチェンジアップを打てなかったソフトバンク主砲の山川穂高の「何年やっても0点何ミリの差で打てないことがある」という試合後のコメントに、「何本もホームランを打ったけれど、私は一本たりとも同じ打ち方をしたことはないと思っている。投手も違えば、球種もコースも違う。自分の状態も同じとは限らない。同じ球は二度とこない『一期一会』の世界だから、一口に一本足打法といっても、全く同じスイングで打ったわけではない」という王貞治ソフトバンク球団会長の言葉をリファレンスしてコンマ何秒の人間業の及ばない野球ドラマを解説する記事がありました。
仕事は同じプロセスの繰り返しの側面もあるけれど、一瞬一瞬すべて違うものであるべきと認識した「Z特区2」でした。