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「ケア」と「触発」は同時に起こる ー創造性研究と保育理論を紐解きながら

「触発」と「ケア」はほぼ同時に起こる。

というと、「どういうこと?」と言われることがあります。ぼくは直感的に、ケアには触発が不可欠だし、触発にはケアが不可欠だと考えています。

前半では、この「触発」と「ケア」のつながりを、触発理論と保育理論の2つをもとに繋いでみたいと思います。

後半では、そこに「探究」という概念を紐付け、それぞれにテーマをもって探究する他者・コミュニティの存在が、ケアと触発を媒介することを書いていきたいと思います。

触発はどのようにして生まれるのか?

触発とは、英語ではinspirationと訳されます。インスピレーション、つまり「ひらめき」です。この「触発/ひらめき」とは、どのようにして生まれるのでしょうか。

創造性の研究において、Ishiguro&Okada(2018,2020)では、触発に必要な過程として「Dual Focus」の重要性を挙げています。(https://www.cultibase.jp/articles/2573)

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「Dual Focus」とは、他者の作品を見ながら、同時に自分自身の創作を省察することです。「このテーマ、自分だったらどう表現するだろう?」と考えることで新しいひらめきが生まれるのです。

他者が見ている景色に関心を寄せ、手を差し伸べながら、同時に自分自身はそのテーマや対象をどのように扱うだろうかを省察する。これによって触発が生まれます。

人は生まれながらにして世界をケアをしている

一方、ケアの文脈では、「人は生まれながらにして世界をケアしている」という考え方があります。赤ちゃんはモノで遊ぶ時、モノをケアしていると考えるのです。

大人は、そんな「赤ちゃんがケアする世界」に関心を寄せる。それが子育てや保育における「ケア」のはじまりであると考えます。
(参考:『「子どもがケアする世界」をケアする』|佐伯胖[編著])

このような関心の寄せ方を、まるで赤ちゃんに憑依をして、赤ちゃんの目になって世界を見るような働きかけだとぼくは考えています。これをぼくは本のなかで「Baby View」と呼びました。(『意外と知らない赤ちゃんのきもち』|臼井隆志著、ながしまひろみ絵)

https://froggy.smbcnikko.co.jp/10652/

Baby Viewを通じて、ケアと同時に触発が生まれていくと考えています。赤ちゃんの関心に、関心を寄せる。赤ちゃんがケアする世界を、ケアするように見る。赤ちゃんがモノをどう捉えているのかを考えると同時に、自分がそのモノをどう捉えているのかを省察するとき、Dual Focus状態になります。そのときに、触発が起こるのです。

たとえば、積み木を崩して遊ぶ赤ちゃんを見た時に、同時に積み木に対する自分の見方を省察します。

そのとき、「私は積み木を"積んで遊ぶモノ"だと思っていたけれど、赤ちゃんは"崩して遊ぶモノ"だと捉えているのか!じゃあ、一緒に崩して遊ぼう」といったひらめきは、子育てや保育を経験した人ならば多くの人が思い当たる触発ではないでしょうか。

https://froggy.smbcnikko.co.jp/10664/

こうして、ケアと触発は重なってきます。

他者と共に見ること、他者と自分を比べながら省察することで触発がうまれ、そのひらめきとともに、「相手がケアする世界」をケアする行為が生まれていくのです。

自己ケアとしての「探究」

こうしたケアと触発を生み出す触媒として「探究」という活動を置いてみたいと思います。

MIMIGURI Co-CEOの安斎勇樹さんは、「探究とは自己ケアのストーリーでもある」と語っています。

人は誰しも、探究をしている。自身がどんなレンズ(モノの見方)で、どんな対象を捉えてきたか、学問的・職能的・趣向的なレンズをふりかえり、探究テーマを浮かび上がらせ、その探究テーマをもって仕事や活動を捉えていくと、新しいキャリアが開かれていく。

過去のモノの見方を振り返るとき、過去に偏愛し没頭してきたものごとだけでなく、自分を抑圧してきたものごとについても振り返り、好奇心を注いで探究しながら、過去の自分の抑圧経験を癒す「自己ケア」としての「探究」を、安斎さんは提案しています。

探究、ケア、触発

探究は確かにセルフケアになるかもしれません。そこにはぼくも共感します。しかし、孤独に探究するだけでなく、探究のコミュニティがあることで、他者と触発を与え合い、ケアの交換がより活発になっていくと僕は考えています。

日経新聞に掲載された作家・辻村深月さんのお子さんのエピソードが非常に印象深いです。

本が好きで作家になった辻村さんのお子さんも、偉人伝を好んで読み、親に知られないように家の本をクラスに持ち込み、学級文庫を小学校につくっていたそうです。

その様子に触発されて、他の子どもたちも本を持ち込むようになっていった。おそらく、他の子が持ってきた本を借りて読んでみるようなことも多く生まれていたでしょう。

これまでのコンテクストでいえば、他者が持ち込んだ本を読むことで他者の探究に触れ、自分の探究を省察するDual Focus状態と触発が生まれます。さらに、自分が持ち込んだ本を読んでもらうことは、自分がケアする世界をケアしてもらうことになります。

この子どもたちが自発的に生み出した「学級文庫」が触媒となって、お互いがケアする世界をケアするようにお互いの探究を交換し、相互に触発し合うような関係が生み出されていたのではないでしょうか。

このような探究・ケア・触発の共同体が、学級にも、職場にも、地域にもあったらいいなあと思うのです。

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臼井 隆志|Art Educator
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