「コロナ明け祝祭としての慶応優勝」説
慶応優勝にわいた2023夏の甲子園、Facebookの慶応人ただ歓喜、早稲田人「ウチらはあーならん」と諦観、かたやホンネぶちまけ匿名SNSは「社会格差すごい!」から、だんだんと「応援格差ひどい!」と炎があがっていく。野球そのものからテーマが離れていくわけで、それだけの社会現象といえる。
僕は、
だと思った。慶応高チームはこのニーズに圧倒的に答えられる状況にあった。
この4年間ほどをふりかえると、2019ラグビーW杯を最後に、東京オリンピックも空振り。モヤモヤが蓄積されていたところに、今大会から声出し応援がフル解禁された(春は声出し可だが立ったり肩組んだりできない)(夏はこれら規定がどこにも書かれていない)。ついに「コロナ明けを祝うお祭り」ができるようになった。高校生応援団が「盛り上がりがたりない!」というフレーズを好んだのもその現れ。
その恩恵を最も受けたのが、全国に50万人のお祭り参加者がいて、野球を核としたお祭り文化も体験済の慶応だったのだと思う。4年ぶりの大規模なお祭り、卒業生にとっては卒業以来のお祭り。慶応関係者の2%が甲子園に集まればスタジアムの圧倒多数を占拠する(僕の知人にもわりといた)。
アンチ慶応人も多数いて、こちらはこちらでネットを舞台にアンチなお祭りとなる。
これは大きな時代の流れを受けたエネルギーなわけだから、活かせたチームが結果を出すのも、時代のエネルギー。地元開催オリンピックのようなものだ(※2020東京五輪を除く)
この祝祭は、学生スポーツの意義、応援マナー、文武両道、パーパス経営、スポーツ心理学、スポーツ推薦、大学入試・・・と日本の社会課題も投影されていると思い、以下まとめた。
学生のアマチュア競技は「過程」に意味がある
「応援格差」はたしかにあり、競技としては不平等ともいえる。平凡な外野フライを取れなくなるレベルの声援なのだから。
ただ高校生のスポーツで、結果をそんな厳密に見るべきでもない。結果は運でよく、その過程で得たものの方がはるかに大事だから。(誤審という概念も忘れるべき、リプレイ検証とか要らない、とも思う)
そういうと、「仙台育英の選手が可哀想」という反論も予想される(誤審で負けた説ある横浜などのチームもあるし)が、そもそもアマチュアスポーツとは、そういう要素も含む、というのが僕の考え。可哀想な気持ちが嫌ならスポーツしなければいい。
それに、プロのスカウトたちはそんな「結果」は見ていない。ヤクルト村上宗隆は地方決勝で敗退してドラフト1位。NYメッツからオールスターに出る千賀滉大など田舎の無名公立校で3回戦敗退で育生ドラフトにかかった。スカウトはたぶん「負け方」も見ている。「結果より過程」とは美辞麗句ではなく、プロで生き抜くための必須マインドだと思う。まあ甲子園レベルの成果は大学のスポーツ推薦でいくらか有利にはなるだろが。
追記:サンドイッチマン伊達さん、結論をくだしている。野球てそんなもの。「ヤジきつくて捕れませんでした」というプロ野球選手は存在しない。
無知なニワカはジャンル成長の必須要素
野外フェスのごとく熱狂していた慶応応援団のマナーも批判されているが、ここでは『すべてのジャンルはマニアが潰す』ということを考えてはどうだろうと思う(新日本プロレスの再生などで知られる木谷高明社長の名言)
あらゆるジャンルは「無知なニワカ」が参入することで育つ。今回の応援も、ふだん高校野球に興味ないニワカが集まったことの副産物なのだから、いったん受け入れることが、高校野球を育てることにつながると思う。
実力的にはほぼ同等のチームが幾つもあったと思い、時代のエネルギーのようなものを活かしたところが1つ抜けた。同チーム対戦でも春は仙台育英が接戦勝ち、夏は慶応が大勝、となった。
こうした追い風を活かせるのは十分な実力あってこそ。
慶応の実力について、チーム力については、「エンジョイベースボール」の精神がまず注目された。
エンジョイベースボール?
見方を変えれば「スポーツの過程を楽しむメンタル・コントロール法」だ。慶応が目立ってはいるが、実際には今かなり普及していると思う。仙台育英もそうだし、おかやま山陽高も、あとピンチに楽しそうに笑っている監督も目にとまった(たしか神村学園)。
慶応だけ目立つのは、
これは進歩的文化人キャラの方にめだつ気もする。外見で人を判断しないようにしましょう笑
おかやま堤尚彦監督は経歴も発言もおもしろくて何試合かTVで見てた。すごい強そうでないのにチャンス活かしきって、たぶん地元のエリート集団の日大系列に3連勝した不思議なチーム(準決勝は土浦日大とあたってほしかった笑)
慶応とおかやま山陽の違いは生徒の質というか、やんちゃ、もっといえば(元)非行少年なども含んでいるっぽいのが、おかやま山陽(監督インタビューより)。監督はともに同年代だが、慶応森林監督は中学から慶応→NTT勤務→筑波の院で教員免許→慶応付属小教師、と整った経歴。おかやま堤監督は青年海外協力隊→スポーツマネジメント会社でプロゴルファーとかのマネジメント等々→ジンバブエ五輪代表監督(兼務)などワイルド。それぞれの生徒にあったキャラなんだろう。
つまり、「エンジョイベースボール」にもいろいろなタイプがある。優勝の前提要素ではあったが決め手とまでは言えない、というレベル感では。
慶応と他との違いを探すならば、いわゆる「パーパス経営」の勝利とはいえるかもしれない。
慶応ならではの必然性ある活動目的=パーパスの追求。全国優勝そのもの
ではなく、優勝を目指して全力を尽くすという過程があり、その先に実現するもの、を追求している。結果にとらわれないことで、結果的に、結果がついてくる。(※日本を超え世界をみているおかやま堤監督の方がスケールはでかいが)
青山学院の箱根初優勝(2015)も少し似ているかもしれない。
文武両道? スポーツ推薦の威力?
「文武両道」と評価する声があるが、日本で伝統的にいわれてきた文武両道とはちょっと違う。「文武の両面をこなす個人の集団」というよりは「文人+武人が融合した組織」ぽくて、
くらいがより正確な気がする。
プロ選手を多数輩出しているくらいで、優れた個人のスカウンティング力は極めて高い。一方で、組織としての融合は実現させているので、SNSなどで散見される"外人部隊"的な揶揄は違うと思う。また武人組でも学校の成績が悪いと容赦なく落第させるので、この点での文武両道はある(というか本来あたりまえなのだが)
野球部の大多数は、中学成績38から出願できる推薦入試組で、20名中17名がそう。難関の高校一般入試から今回ベンチ入りしたのは補欠の宮尾青波選手一人。付属中学からは3人、うち一人は小学校からの清原選手(家庭力の総合選抜=貴族枠?)で、最難関の中学組がいるかは現状不明。
出場校中、平均身重で2位、体重で3位。体重は筋トレ&栄養で健全に上げられ、球速・飛距離を上げる。慶応高は(も)専用の筋トレ小屋、屋内練習場(エアコン有無は不明=つけようとおもえば寄付金すぐに集まるのでは)などある。身重は両親の身長を反映する。
田舎出身の僕が注目したのは、ほぼ硬球のクラブチーム出身。中学野球部は軟球だし、首都圏で野球場を使う中学部活は難しい。世田谷周辺が約7名いるのは多摩川河川敷に野球場が多いのもあるだろう。首都圏で野球とは環境に恵まれていないとできないスポーツいえる。
推薦の要件の38点とは、9科目オール4で36だから、体育とあと1科目が5でクリアする。90年代の愛知・西三河だと学校群の岡崎と刈谷レベルかな。だとクラスの1割ちょっとくらいいそう。少なくとも慶応高入試より難易度はかなり低い。
推薦入試の定員は40名。うち野球部は10名ほどという話を聞いた。2−3年生の約20人の多くがベンチ入りしているわけで、人選を間違えていない採用力が高い。陸上水泳などと違い大会成績では実力を見抜けないので、スカウト組織からの情報は必須では? 推測だが、全国のOBネットワークで「野球ができて勉強も4点レベルで3年300万円の学費(+合宿など活動費)を払える中学生」をスカウトし、受験を進めながら、「好選手リスト」など学校側に情報提供などしてるのかな? ←追記:慶応スカウトチームが中学生側に受験指導しているらしい(ということは、推薦状的なものをもらうなり、同様のコミュニケーションを取るなりして、学校側に伝えることになるかな?)
自己推薦制度は2004年開始らしく、実際にプロ野球で活躍する選手も多い。1つの高校からの輩出数では最多レベルでは? もともとこうで、今回はチームとしても成果を出した、ということだ。
野球部は100名超の巨大チーム。推薦30名+一般入試70名。後者のチャンスは極めて小さいので、ぜひ東大受験して神宮で活躍してほしい。まあ「野球部です!」といいたいだけの子もいそうだが(応援席がそう見えたというわけではありません笑)、それはそれでデータ分析チームの役割もあり、一般入試組にとっての居場所、適材適所の実現となる。
なお慶応高の男子生徒数2180人は今回の出場校で最多では。仙台育英も大きいが男子1700名ほどだ。
スタンフォード的な「文武両道」
この慶応的な採用スタイルの類似例(or上位互換)がアメリカのスタンフォード大学。2020東京五輪では出身者の金メダル10個(フランス・ドイツ・イタリア・オランダと同数)(アメリカ代表に限った数字で、冬季スキーのアイリーン・グー/谷愛凌のようにアメリカ育ちのスタンフォード大生だが国籍のある中国から出場、などカウント外もいそう)、リオ五輪では11人が16個(日本12個より多い!国別ではドイツ17個に次ぐ6位相当)、と大国並みだ。
スタンフォードはスポーツ中心で入学しても勉強は厳しい。それに応えてくるのもスタンフォード生で、競泳女子長距離の世界記録を劇的に引き上げたレデッキー神は心理学部でほぼオールAだと。すなわち
という点で慶応と共通しそう。
スタンフォードと慶応の違いは学費。慶応は高校300万大学500万、計7年800万円くらいか。スタンフォードはゼロが後ろにつくのでは? イエール大で半年で4.3万ドル=600万円かかったそうで(こちら上限年9.5万ドルの柳井財団の支援なのでたぶんカバーできる)
ただスタンフォードとかは学費免除も充実しており、トップレベルのアスリートならかなり有利にはなるだろう。高額の授業料はかれらへの支援金も含んでいる)
アメリカと比較すると、慶応とかは高校から入ってもむちゃくちゃ安い。経済的に余裕がなくても学資ローンを組んでも入るべき価値がある。
日本の大学入試が「慶応化」している
慶応の特徴は、何パターンかの強みのある生徒を、各年代ごとに取り込みながら、野球の応援のような「お祭り」を有効に使って、組織化していくこと。すると、一般入試=学力テストの割合は下がる。
22年春の大学入試での一般入試は、慶応大は57%、早稲田は56%。学力入試はほぼ4割ほどにすぎない。中学段階から学力優秀層を抱え込み、学力以外の個性ある多様な学生をある程度取り込んでいくのが、今の大きな流れだ。
受験生の68%が第1志望の大学に入れる時代で、伝統的な受験は一部の上位校だけのものになりつつある。こうした変化を先駆けてきたのが慶応。
なお、この流れは「都会の大企業勤務の中流上位家庭」出身者を増やす。
この属性は、就活でもプラスに働く。「個性を重視した大学入試」というと美しく響くのだが、現実に起きているのは格差拡大、というのはある。
高校野球も、野球トップレベル+学力も最低限保証、という社会の上位層が慶応(と早稲田)に集中する状況はある。ただ、野球に限った話でもなく、世の中全部がそうなっている1つのあらわれ、というところだろう。
という話には、「だから自分はチャンスがない」みたいな反応がSNSには多そうだが、たしかに、そのように認識してしまう人には、チャンスは訪れないだろう。「このゲームのルールの中でどう戦うか」と認識することで戦えるようになる。見えていないものとは戦いようがないから、戦いたい人に向けて、僕はこんな文章を発表している。
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本文は以上なのですがついでにつっこむと、慶応も早稲田も付属高校は男子偏重が激しいのもある。甲子園でチア担当してる慶応女子高は1学年200名弱、高校入試での受け入れは学年100。男子は学年700だから男女格差が激しい。
東京圏の難関私立は全体にこうだ。「勉強は男の子がするもの」という時代に作られた枠組みが続いている。
その分、公立高に優秀女子が集中するが、東京都は「男女同数」に固執、高得点女子が不合格になってきた。平等を取り違えた差別の連鎖である。まあその層をとりこんだ渋谷や品川女子など新興勢力の成長をたすけた、ともいえるが。