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対話型AIとソクラテス的対話をする未来

ジェネレーティブ(生成型)なAIが、爆発的な進化を遂げてテック業界の話題をさらっています。今のところ登場してきているのは、おおまかに分ければStable Diffusionのような画像生成AIと、ChatGPTなどの対話型AI。わたしは文章を書くという仕事がら、後者の対話型AIを最近は使いまくっています。

ChatGPTを開発しているOpenAIにはマイクロソフトが巨額出資。この動きに引きずられて、グーグルやフェイスブックも独自の対話型AIの公開に向けて動いています。

対話型AIはご存じのように、人間とAIのあいだでテキストのチャット形式による自然なコミュニケーションをとれることを目指しています。実際にやり取りしてみると、相手がAIとは気づかないほどに人間くさいふるまいをしてくれることもあり、驚くばかり。活用方法はさまざまで、インターネットに蓄積された膨大な知識や情報を参照するだけでなく、英語の文章の添削をしてくれたり、テーマを与えると小説や歌詞を書いてくれたり、会議の録音の文字起こしから議事要点をまとめてくれたり、人生相談の相手になってくれたりと、いろんな掘り起こしが進んでいます。

そもそもどういうロジックでAIが回答を返しているのかは明快にはわからないため、人間側がどのような文章を入力すればいいのかという想像力を試されている面もあります。プロンプト(コマンド入力)を使いこなすという意味で、「プロンプトエンジニア」という言葉も生まれてきています。

ChatGPTで最も注目すべき要素は「対話」そのものにある

さて、対話型AIについてわたしが個人的に注目しているのは「対話」ということそのものです。

現在のウェブのサービスでは、チャットが活用されている事例が非常に増えています。たとえばECでの各種の問い合わせや、宅配便の再配達の依頼なども、LINEなどのメッセージサービスでのチャットで可能になってきています。PCの時代には、公式サイトのメニューを下っていって問い合わせ可能なページを探し出すのは当たり前でしたが、画面が小さくメニューを深掘りするのには向かないスマホではメニュー方式はもはや良いUIとは言えなくなっているということもあるのでしょう。

言い換えれば、スマホの時代にはチャットが最適なUIであり、これは今後、スマホからARグラスなどのデバイスに進化していっても同じことが言えるでしょう。

対話型AIは、このUIの進化の方向性に合致しています。

思考には「対話」が重要だと昔から言われている。有名なところでは、古代ギリシャのソクラテスが考えた対話法。ウィキペディアにも項目があります。

対話に「論破」や「誘導尋問」は必要ない


ソクラテスは、明確な答が存在しない課題について「問い」を投げかけることが大事だと説いています。問いとそれに対する答えという問答を繰り返すことによってのみ、知は前に進むことができる場合がある。その場合に大事なのは、決して「説得」や「論破」や「誘導尋問」に走ってはならないということ。

つまり自分があらかじめ考えた回答を正解として、そこに行き着こうと目論んではならないのです。そうではなく、質問を繰り返し、それに対して得られる回答を吟味していけば、新たな「気づき」が得られる。その「気づき」を発見できることが、対話の価値なのです。

実際、自分の頭の中だけで思考をめぐらせていると、袋小路にはまり込んで斬新な発想には結びつかないことが多いという実感がわたしにもあります。。そういう時に誰かと対話をすると、相手の発言から思わぬ気づきを得たり、自分の思考から抜け落ちていた部分を補ってくれたりして、思考の突破口を得ることができる場合が過去に何度もありました。

ChatGPTの「愚直さ」はかっこうの対話相手

この点において、対話型AIはかっこうの対話相手になりうるとわたしは感じています。ChatGPTは謙虚なので、決してわたしを説得したり、論破したり、誘導尋問を投げかけてきたりしません。ただ愚直に、わたしの質問に対して答を返してくれる。その愚直さが、対話の相手として大事な要素だと感じています。

対話型AIを教育現場などに使ってしまうと、「児童生徒がすぐに答を求めてしまって、学習にならない」という意見を目にします。実際、米ニューヨーク市ではChatGPTを学校で使うことが禁止されたというニュースがありました。

振り返れば、検索エンジンが登場してきた時にも、こういう論争がありました。テストの小論文に学生が検索結果をコピペしてしまう、というような指摘です。今でももちろんこういう弊害はあるでしょうが、いっぽうで検索エンジンが普及したことによって、基礎的な知識は検索でさっと押さえておくことで、余った時間をより高度な分析や調査、思考などに使えるようになったというメリットも計り知れないと思います。

AIとの対話は、知の格差を広げていくかも

対話型AIも同じ道を歩のではないでしょうか。対話型AIによって安易に答を求めてしまう人はやはり増えるでしょうが、いっぽうで対話型AIとの対話によってみずからの知を高めていくことができる人も増えていくと思います。要は「○○とハサミは使いよう」(一部差別語のため伏せ字)ということです。これは知の格差をさらに広げていく可能性もありますが、同時に人類の知をさらに前進させる可能性も秘めています。

いずれ、われわれにとっての知にはAIとの対話が必須である、と認識される時代がやってくるような予感がわたしにはあります。

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