「日本は単一民族国家なので」という反応から考える、フォーカスすべき差別について
今年の5月25日、ミネソタ州でジョージ・フロイドさんが警官に押さえつけれれた上で死亡した事件を機に、全米で巻き起こった「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)」運動。
大統領選挙を控えたこのタイミングで、米国で黒人差別に抗議するデモが再び勢いを増してきているらしい。
「トランプは今すぐ出て行け」「トランプは反逆者だ」。27日夜、トランプ大統領の演説が行われたホワイトハウスの周辺で人種差別に反対するデモ隊が集結し声をあげた。
集まったのは、トランプ氏に人種差別的と受け取られかねない言動が目立つことに反発する人々だ。「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)」とのスローガンを連呼し、駆けつけた警官隊とにらみ合った。
そして、それは今回の大統領選挙の主要アジェンダに登るところまでになっているという。
11月の米大統領選で治安対策・人種問題が大きな争点に浮上している。公民権運動が激化した1960年代以来だ。世論調査では治安対策の強化を訴えるトランプ大統領の支持率に持ち直しの兆しがある。バイデン前副大統領が対面遊説を近く再開する方針で両候補は激戦州で有権者の争奪戦を繰り広げる。
日本ではあまり話題にならないBLM
しかし世界で大きなアジェンダとなっている一方で、日本国内ではBLM運動が話題になることは少ない。話題になったとしても、他人事として話に挙がる印象。それは日本人のマジョリティーの感覚からすると当然かも知れない。僕自身の記憶を辿っても日本国内で黒人と触れ合う機会はほとんどなく、接点といえるのは街で偶にすれ違う人がいるくらい、そしてそんな人に殴りかかったり因縁つけたりなんて当然しないので「黒人差別をしたことがある」なんて認識は皆無だし、そんな”機会”自体も無いに等しいという認識を持っている。海外経験がある方の中には、黄色人種として差別される側になった経験がある人は少なくないと思うので、必ずしも日本人が人種差別と無縁だと思っている人が多いというわけではないと思うのだけども、少なくとも日本国内においては人種差別は存在しないよという感覚が大勢であろうし、だからBLMも自分ごととして社会的アジェンダにはならないのだろうと考える。
(余談ですが、僕が藝大時代にフランスに交換留学したときに差別経験は数え切れない程受けた。仲良くなっても俺には挨拶のときに頬にキスしないとか、レストラン入っても通りから見えない店の奥にやたら通されるなとか、席空いているのに入店断られたな・・・とか。あからさま過ぎて圧倒されてしまった。でも長く滞在するなかで少し面白いことに気づく。後日ひょんなことから差別されたお店に知人を伴って行く機会があったのだが、そのときは先日の対応が嘘みたいに知人にはものすごく丁寧・・・。その知人は自分と同じ日本人なのに!!なんでだ・・・人種差別されてたのでは無かったのかとめっちゃ混乱。しかも同じ様な事が結構出くわしたので、よく観察する様にして気づいたんですが、どうやら彼らは日本人であろうが中国人であろうがフランス語がペラペラだったら挨拶でキスもするしテラスに通しているけども、フランス語がしゃべれない人間には人種に関わらず差別していると思われる。国も色々差別も色々なのかもしれない。)
しかしながら、世界的にアジェンダとなっている問題を、僕も日本人としてこれを機会に少しでも向き合わなくては行けないのではないか、でもそれってどういう事なのだろうかとモヤモヤ考えていた。
そんな時、少なくとも日本国内においては人種差別は存在しないからBLMは他人事になるよねという雰囲気を見事に現したなあと思うコメントをTWITTERで見かけた。それが、
「日本は単一民族国家だから、人種差別は日本にはあんまり関係ない。」
という投稿。おそらく、前述の通りあまり黒人の人と一般生活で触れ合う機会が少ないとか、そういう感覚的なことを言いたくてこのコメントになっているんだろうなというのは感覚的に理解出来る。日本が本当に単一民族国家かどうかを気にしたり宣言したくて投稿した文章ではないと思う。
でも、この、ある種無邪気な投稿を見たときに、BLM問題を日本ではどう受け止めるべきなんだろうかとモヤモヤ考えていた自分には、これが日本の問題の根源かもしれないという問題点のコアを明確に指し示された気がしてならなかった。
そうか、日本での差別って”見えない”のかと。
見えない差別
実際問題として、日本は単一民族国家ではない。出稼ぎに来ている外国人や旅行者を除いた日本国籍を持っている人の中で、更にダブルルーツの人を除けば、ほぼほぼ99%がおそらく黄色人種であるからして、感覚的に「単一民族国家」だと口走ってしまう気持ちはわからなくもないけども、それは「征夷大将軍」ってどういう意味だったのかとかを含めて日本の歴史に対しての無知を曝け出すだけでなく、いわゆる”大和民族”では無い日本人に対する暴力的な言葉でもあると思う。
少しでもここら辺の話にご興味を持たれた方には、
をお薦めするとして、少なくとも僕が物心着いたときには右翼しか言ってなかった「日本は単一民族国家」という言葉が、別にそういう強い意志とか思想信条ではなくカジュアルに使われる様になり、そして使っている人はおそらく「日本は黄色人種国家だ」レベルの意味で使われてしまい、しかもそれが何となく許容されつつある事、そのものが日本における差別構造ではないのかと感じたのです。
明らかにわかる肌の色の違いであからさまな暴力を振るう様な、アメリカで起きている「目に見える差別」(もちろんBLMの引き金になった「目に見える差別」も日々の見えない差別の積み重ねの上に周期的に起こる見える差別であるとは理解しているが)は、日本ではそこまで多くはなかったりするのかもしれないけれども、いつのまにか所与のものとなってしまい明確化されづらい構造的差別だったり、個人の責任論にすり替えて差別性をぼやかして正当化したり、「日本は単一民族国家」の様にパッとは被害者が思い浮かばないかもしれない、そんな「見えない差別」が多いのではないかと。ちょっと前に話題になった「美術館女子」だとか、差別界の巨匠として僕が敬愛して止まない石原大先生の「業病のALS」発言とかね・・・。
なので、BLMを日本に置き換え日本における差別問題を考えること、それは即ち日本にある「見えない差別」について考えることだと思うの至り、今月のネットラジオ番組『MOTION GALLERY CROSSING』では、4週に渡り「見えない差別」をテーマに展開しました。
・いとうせいこう(作家・クリエーター)さん
まず前半の2週にゲストにお呼びしたのは、日本語ラップの先駆者でもあり、日本にヒップホップカルチャーを広く知らしめた、いとうせいこうさん。
音楽からみた「ブラック・ライヴズ・マター運動」について、さらには音楽で対抗してきた「見えない差別」について、お話を伺いました。
その中で私がパンチラインだと思ったのは、駅の小売店など誰もが目にする場所に、特定の人種を差別した見出しの本が並んでいる現状に横たわる「表現の自由」の解釈の問題への回答だったり、「マイノリティが潜んでないと思うなよ!」というお話など。流石いとうせいこうさんと感じる深いお話連発でした。
・チョーヒカル(アーティスト)さん
後半の2週にお呼びしたのはアーティストのチョーヒカルさん。体や物にリアルなペイントをする作品で注目されています。
日本で生まれ育ち、中国籍を持つチョーさんは「日本人」でも「中国人」でもない、という状況で「アイデンティティー迷子」だったそう。しかし、ダブルルーツの人も多いアメリカへの留学がきっかけで「アイデンティティー」の捉え方が大きく変わったと言います。ほかにも番組内では「なんで日本人になりたいんですか?」と聞かれる帰化申請の面接など、帰化するのって一般的なイメージよりもとてもハードルが高いというお話や、アーティストから見た「美術館女子」問題、さらには、行き過ぎたフェミニズムへの疑問としての男性優位社会のゲームを勝ち抜いた女性についてなどなど。
そんな感じで取り組ませて頂いた今回の番組特集「見えない差別」の4話ですが、
この記事を読んで、「公助・共助・自助」ではなく「自助・共助・公助」の順番を標榜するスローガンに対して、この「見えない差別」が更に加速・拡大していきそうな懸念をすごく持ちました。すくなくとも公助が最後の手段になっちゃう社会となると、構造的な差別が強化され、且つそれが見えなくなってしまうのではないだろうか。
目に見えずそして線引がセンシティブな差別が多いと、どうしても面倒に思う人や重箱の角をつついている様に見えてしまい「ポリコレ警察」と揶揄されてしまうこの手の話題ですが、実際にそういう行き過ぎた「ポリコレ警察」は置いておいたとしても、あまりにこの問題を放置してしまうと、いつか自分が今思いもしないマイノリティ要素によって迫害される側になり被害を被るかも知れないという意識は小さくありません。そんな意識を多くの人と共有して行ければと思いますし、そのきっかけに今回の『MOTION GALLERY CROSSING』の特集がなれればいいなと思います。
プロテストソングとしての「上を向いて歩こう」
最後に、前回の特集「東京ラブストーリー2020から考える、バブル世代とミレニアル世代」に続き、今回もプレイリストも作って見ました。
「見えない差別」特集ということで、様々な差別に抵抗する新旧のプロテストソングをまとめたプレイリストにしました。
木にぶら下がる黒人の死体を”奇妙な果実”として歌ったビリー・ホリデイ「Strange Fruit」や、いとうせいこうさんがプロテスト・ソングとして番組内で挙げたマーヴィン・ゲイの「What's Going On」から、
番組パーソナリティの長井短さんがよく聞いていると挙げたMoment Joon、
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、チャイルディッシュ・ガンビーノ、ケンドリック・ラマーまで。
プレイリストを組んでみると、プロテストソングはかなりの名曲ぞろいで、それぞれの時代を象徴するような曲ばかり。音楽の初期衝動の1つがプロテストなのかもしれないなあとすら思いました。
そんななかでプレイリストの中で、海外に比べるとプロテスト・ソングは日本は少ないなと思うのですが、そんな日本を代表するプロテスト・ソングなのではと僕が感じた2曲をご紹介させてください。
・「Sai no Kawara」
もう、まずは聞いて頂きたいというしかない、素晴らしい日本語HIPHOPの曲ですが、その背景というか何についての曲なのかを知ると本当に衝撃的です。
これを「見えない差別」と言わずしてなにを差別というのかと強く思う曲です。
こういう「見えない差別」がまだまだ日本には社会にしれっと実装されているんだよなと思い起こされるそんなすごい真に迫る曲です。最近僕のヘビロテ曲です。
・「上を向いて歩こう」
言わずとしれた坂本九の名曲。僕の親世代かそれより少し上の世代では坂本九のスターぶりはすごかったと聞きます。そして、なんでこの曲がこの「プロテスト・ソング」としてプレイリストで入っているのと思われる方も多いと思います。
僕自身も、なんとなく、そのスターな感じや、「明日があるさ」とか「上を向いてあるこう」とかの楽曲のタイトルやパブリック・イメージからも、坂本九のと言えばめっちゃ前向きな頑張れソング歌っている人というのが僕の認識で、失礼ながら全く好きとかいう感情が坂本九や「上を向いてあるこう」にはありませんでした。なんか復興とかそういうときに急に流れ始める曲だけど、一致団結して上ばっかり見て歩くのはどうなんだろうとか天の邪鬼にも思っていたりもしました。
しかし、永六輔氏が死去した時に、NHKの永六輔特番をぼーっとみていたら、この僕の認識はお門違いもいいところで、なんにも理解していない事が分かりました。
番組の中で、在りし日の永六輔が自分の言葉で語っていたのは、彼が作詞した「上を向いてあるこう」は、 60年安保闘争に敗北(樺 美智子さんの死亡事件)して帰途についた時の心情を書いた歌とのこと。え、あの歌って、プロテスト・ソングだったの・・・?と衝撃を受けた記憶がいまでも残っています。
正直、全然世代が違うので安保闘争に関してはほぼ知らないのでどっちがどうとかをいえないですが、そういう政治的な話は横に置いておいても、少なくとも永六輔がこの曲に込めた思いや感情を理解してからこの曲を聞くと全然違う曲に聞こえました。これぞ、日本のプロテスト・ソングだと強く思います。冷静に考えると、前向きソングだと思って聞いていると意味がわからない歌詞がちょこちょこ出てくるけども、その意味がわかるようになる!ある意味カメ止めみたいな伏線の回収を味わえるので、ぜひ改めて聞いてみてくださいませ。
そんな感じで、ぜひこのプレイリストも多くの人にフォローして聞いてもらえると嬉しいなと思います。
そして、来月の『MOTION GALLERY CROSSING』の特集は、ステイホームで急伸しているゲームについて取り上げます!お楽しみに、