悪意なき独身いじり"ソロハラ"の脅威【コラム15】
日大アメフト部や日本レスリング協会の件など、スポーツ界におけるパワハラが大きな話題となりました。表面上謝罪していても、本人たちの心の奥底には「こんなのどこが悪いんだ?」という意識が透けて見えたところが、世間の非難を浴びたと思っています。
今回は、同じハラスメントでも、結婚にまつわるハラスメントについて書きます。
結婚しない男女に対するハラスメントを僕は拙著「超ソロ社会」の中で、「ソロハラスメント」、略して「ソロハラ」と命名しました。
もちろん、なんでもかんでも「○○ハラ」と名付ける状況への批判もあるでしょう。しかし、ソロハラには、結婚する・しないの問題を超えて、「ソロで生きる」という個人の生き方そのものを否定しかねない問題をはらんでいます。そういう意味も込めて、あえて「ソロハラ」という言葉を使用します。
かつて、ソロハラの対象(被害者)は、その多くが女性でした。
それこそ高度経済成長期には、適齢期の女性社員に対して男性上司が「そろそろ結婚しないのか?」「彼氏いないのか?」なんて声をかける風景は日常的なものでした。それでも未婚のままでいると、今度は「なんで結婚しないんだ?」という追及的な質問に変わり、果てには「結婚というものはいいもんだぞ~」「人というのは、結婚して、子どもを育ててこそ一人前なんだぞ」という飲みの席での説教に変わっていきます。経験者の女性は多いと思います。
昭和であれば、許されたかもしれませんが、いまやこれは立派なハラスメントと認定されます。しかし、いまだに上司や先輩からの「イジリ」ネタ程度で処理されていないでしょうか。
また、男性からだけではなく、同性の女性既婚者からのソロハラも多いようです。
以下は、私が実施した独身女性に対する対面インタビュー調査で出た意見です。
「既婚者の職場の先輩(女性)から、独身は自由でいいわよね~、時間もおカネも全部自分のために使えるし……と、いつも嫌味っぽく言われます」(34歳女性)「結婚したいなんて一言も言ってないのに、先に結婚した同期から顔合わせるたびに説教されます。理想が高すぎだと。もう若くないんだから、自分のレベルをちゃんと見極めなさいって、延々と。本当にしつこいし、うざい」(30歳女性)
厚労省がまとめた平成24年度「職場におけるパワーハラスメント実態調査」によれば、結婚などの個人的な問題について過度な干渉をすることを「個の侵害」として類型化しています。その被害率は、全体で19.7%で、女性の被害は23.2%にも達します。もはやソロハラは、立派なパワハラ案件なのです。
そして、見過ごされがちですが男性に対するソロハラも存在します。前述の厚労省調査でも男性の被害率は17.1%です。女性より低いとはいえ、男性に対するソロハラは、今まで可視化されていなかっただけで、実際2割近い男性がこうしたハラスメントを受けているのです。
具体的な例で言うと、2016年に秋田県大館市議会で発生した、女性から男性に対するソロハラ事件があります。市議会において、60代の既婚女性議員が40代独身の福原淳嗣市長に対し「未婚の市長とは議論できない。結婚を」と発言した問題で、ニュースでも報道されました。結果、当該女性市議には戒告処分がなされました。
https://www.sankei.com/politics/news/160302/plt1603020022-n1.html
戒告を受けたこの女性市議はこう弁明しています。
「親心で子育ての重要性を訴えた。結婚は私的なことで、誤解を招く表現だったが、悪意はなかった」
女性市議の言い分の是非はともかく、彼女の言う「悪意はない」というのは本心でしょう。そして、ソロハラにおいては、この悪意のない「善意の結婚強要」こそがもっとも厄介なのです。
そういう意味では、結婚とはある種の宗教に近いものなのかもしれません。未婚者に対して、「結婚しなさい」と言いたがるのは、宗教における勧誘の「入信しなさい。救われますよ」と似ていると、そう感じるのは私だけでしょうか。結婚を薦めてくる既婚者たちは、結婚教の宣教師であり、勧誘者なんです。
そもそも結婚しようがしまいが放っておけばいい話なのに、彼らはじっとしていられない。自分の信じることこそが絶対的に正しく、それがわからない人は「かわいそうだ、救ってあげないといけない」と、そんな心理が働きます。大館の女性市議が「親心」だと言ってるのもまさにそれです。そうした善意のお節介が、すべて悪いとは言いません。それこそが、かつて日本の婚姻システムを機能させていたものだからです。
しかし、何度説得しても「結婚しない」、つまり「入信しない」ことがわかると、この勧誘者は途端にその人間を異分子扱いします。それは、いわば異教徒を敵視するのと同じです。そっとしておいてくれるどころか、「結婚しないあの人には何か問題がある」というレッテルを貼り、陰での偏見を助長し、あまつさえ攻撃するようになってしまうこともあります。これは、集団の中のハミダシ者を異分子扱いして、いじめの対象にする心理と変わりません。
「多様性を認めよう」と言いながら、相変わらず標準性・統一性を強く求め、「結婚すべき」という自分たちの信じる価値観を、一方的に絶対的正義として押し付けてしまうこと。これが、表面上善意として行われていることに、ソロハラの本質的な脅威があります。
言った側は「そんなつもりはなかった」と軽く考えてしまうでしょう。冗談で済ませようとするかもしれません。しかし、ソロハラされた側は、「結婚できない自分は何か欠落しているかも……」と、精神的に深い部分をえぐられているのです。そうしたことが、未婚者の幸福度の低さと決して無関係ではないはずです。