格差ニュートラルを目指せ:減らすべきはカーボンだけではない
事業活動によって経済的な格差を増やす企業は、いくら利益が出ていても、社会のコストやリスクを増やし、その負担を周りに押しつけている。その意味で社会における問題児であるが、そのような評価は、現在誰も行っていない。実は、一見優良な企業がこの罠にはまっている可能性がある。
というのも、誰かの利益(黒字)は、誰かの損失(赤字)で、貨幣の総和は一定だからである(ただし、例外的に貨幣の総和を増やす道が1つだけある。それは銀行から融資を受け、信用創造により世の中の貨幣の総量を増やすことである)。
この融資以外では、黒字とは誰かのお金を奪っているとも捉えられる。だから桁違いな利益とは、周りに巨大な損失を生み出し、社会に格差を生んでいる活動ともいえる訳である。
もちろん利益は、顧客に喜ばれている場合が多いし、赤字は、その反対の場合も多い。だから、社会に喜ばれる企業や人が、未来に向けた、より高い判断権限としての資金を持つこと自体は、その意味で理に適っている(もちろんそれだけの責任も生ずる)。
しかし、桁違いな利益は、周りに過剰な損失を生み出し、格差を増やす。格差は不幸な人をつくる。これは社会的に望ましくはないことである。
さらに、格差は悲観的な人を増やし、その結果病気になりやすい人を増やすので、医療コストがかかる。うつ病などのメンタルな病気になりやすいだけでなく、糖尿病や心臓病や脳卒中にもなりやすい。寿命は平均で10才も短いという研究が最近大量のデータによって明らかになった。さらに格差と悲観的な人の増加は、離婚の原因にもなり、片親の世帯を生む確率を上げ、経済的に困窮するケースにつながりやすくなる。
これらによって生じる経済的、社会的な損失は、社会全体を不安定にし、階級闘争や全体主義につながりやすい状況をつくる。これにより、民主主義や自由が脅かされ、社会全体を不幸にしていくことにつながる。
結局、巡り巡って、利益の基盤をも破壊するのである。
これまで、経営者が、利益以外を考慮することは、経営者倫理に反するというミルトン・フリードマンの主張が強い影響をもってきた。
しかし、この地球環境の変化が目に見えるようになり、カーボンニュートラルが叫ばれるようになった。利益を多少目をつぶっても、カーボンニュートラルを考慮することが必要になった。実は、そのお陰でカーボンを考慮しないと利益も出にくくなった。
しかし減らすべきはカーボンだけではない。
社会インパクトでは、格差の方が遙かに影響が大きい。格差を生む理由は、桁違いの利益だけではない。もっと複雑である。丁度、気候変動とカーボンの排出量の関係が複雑なのと同じである。だから、事業が格差を生んでいるかを知るには、労力が必要である。しかし、これは必要なことである。
事業活動が格差を生み出していないかを意識した経営やガバナンスが必要な時代になったと思う。今や「格差ニュートラル」な事業活動が求められる時代だ。
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