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コンピュータなしでも、今日からAIは使える

「AI」というと、ある種のマシンかターミネーターや鉄腕アトムの世界というイメージがありますが、私は全然違うように捉えています。

私は「AIというのは、我々、人間の生きる方法論だ」というふうにずっと思っています。

未来は本当のところ誰にも分かりません。その未知の状況にいかに的確に対応するか。AIはそのような方法論の1つです。判断をより科学的に行う方法論です。だから、極端な場合には、AI(という方法論)を使うのに、コンピュータは実は必要ないと思います。

20世紀というのは、生産性が50倍くらい上がったと言われていますが、その非常に大きな原動力が、いわゆるオートメーション(自動化)です。そのオートメーションを可能にしたのが、フレデリック・テイラーという人です。20世紀の最初に、一見複雑に見える職人だとかベテランの仕事も決まったプロセスに標準化できて、プロセス化できて、無駄なものを省けるいうことを提唱しました。そうすると、素人でもそこそこの生産性で仕事ができます。

そういうことを徹底的にやっていって、標準化できるところをマシンに置き換えたり、その途中でコンピューターが出てきてコンピューターにも任せたりという、そのような形でオートメーションが進んできました。

ここで重要なのは、テイラーのこの科学的管理法という方法論が先に存在し、それを加速、具現化する1つの手段としてコンピューターやマシンが出てきたという順序です。

この「方法論」と「具現化する手段」というのはセットでなければなりません。今のAIの状況で非常にいびつなのは、マシンというか「具現化する手段」の方が先に出てきて、その方法論とか、そもそも何をやりたいんですか、ということがあまり語られていないことだと考えています。

「方法論が先で、手段は後」を今こそ徹底させなくてはいけない、というのが私のベースとなる考え方です。そもそも、AIというのは何のためにあるのかと。どんな新たな方法論を実現するための手段なのか、を問うことです。

先ほどのテイラーなどが20世紀にいろいろとやってきたことが、ルールを中心にした方法論の体系で、現代のAIはそれと真逆なものだと思うのです。

20世紀の主導原理というのは、「広い意味でのルールをきちんと作って皆で従おう」それがいいことだ、というものだったわけです。

しかし一方で、ルールというのは杓子定規で硬直的です。

そのため、ルールはむしろ顧客や需要の多様性や変化に対し適応を妨げる面があります。そうした変化は未知なものであり変化するからです。したがって標準化したルールを皆で作って、皆で守ろう、というのでは今では駄目で、それに代わる方法論が必要なのです。

では、その方法論、つまり、変化や多様性に耐えうる方法論、20世紀のオートメーションやルールに代わる方法論とは何でしょうか。

変化や多様性、未知の状況、不確実性に対応するために、我々がシステマティックに実験し、そこから科学的な方法論を抽出する場こそが、AIだと思っています。

たとえば、80年代、90年代にいわゆる第2次AIブームというのが起きました。その当時はいろいろなルールをたくさん集めて、「こういうときにはこうやればいい」という方法論を作りました。当時はルールベースだった訳です。「ルールとルールを組み合わせてより複雑なルールを作ってそれに従うというのはいいことなんだ」ということでした。

この第2次AIブームというのは、実は、20世紀以来のルールやプロセスを皆で作ってそれを守ろうということを極限まで進めてみたらどうなるかという実験をやったことにあたるわけです。

そして全然上手くいきませんでした。上手くいかなかったのは、「AIが駄目だったからだ」と受け取られたのですが、これは間違っています。

間違っていたのは、「ルールやプロセスをちゃんと作って守るということがいいことなんだ」という我々の信念の方です。むしろ我々の信念が間違っていたということをAIの開発が実証しました。ルールの組み合わせで何とかなるということ自体が間違っていることです。

複雑で多様な状況では、ルールの組み合わせでは駄目なのだということを証明した、ある意味で、大成功の活動だったんです。実は、まだ実社会はこれを正面から受けとめていません。

逆に、それを社会は「(第2次の)AIが駄目なんだ」というふうに、間違ってとらえてしまっています。

それと同じように、我々は人工知能の追求を通して、いろいろな実験をしており、成功したこと、または上手くいかなかったことがたくさんあります。ここから学び、我々自身の問題解決や判断の仕方にフィードバックすることが重要なのです。

それらは多様な不確実性に対して、システマティックに対応する方法論の候補の正否を科学的に追求する挑戦なのです。

この知見は、もちろん企業経営にも役立ちます。ディープラーニングも、その意味でコンピュータのアルゴリズムだと思うと間違います。私は、まさにディープラーニングとは、複雑な組織や企業経営の方法論そのものだと思っています。

ディープラーニングというのは、実はやっていることは非常に単純です。要するに、入力があって出力を出す、ある意味足し算とか掛け算を組み合わせた式を一旦仮につくり、それにパラメータが沢山入れておくわけです。正しいパラメータの値はわからないので、とりあえずランダムに適当な値をいれておくわけです。

当然、はじめは、でたらめなパラメーターで予測式を作っているわけなので、全く当たらないわけです。でも1,000個パラメーターがあり、1つ1つ少しでも予測が当たる方に増減させたら、誤差が少しづつ小さくなります。これを1,000個パラメーターがあったとして、1,000個パラレルに、尺取り虫的に少し上げて、近づくかどうかを行っているわけです。

即ち、大量のデータを入れて、パラメータを調整することで、条件に対して、結果が予測できるような式に近づけます。それだけの単純な原理です。

実はこれをコンピュータのアルゴリズムとしてではなく、我々の経営や判断方法論として見ると、我々にとって学ぶべきところがたくさんあります。

ディープラーニングではその構成要素(ニューロンと呼ばれますが名前はどうでも良いのです)がそれぞれが判断を行い、それらが繋がりあって全体の判断を行う仕組みになっています。これは実社会で組織と人が行っていることのモデルになっています。

企業組織は、人は互いに繋がって、それぞれの人が日々判断、行動し、業績という結果を出しています。業績という結果に近いところにいる人もあれば、遠い人もいます。

ここで、ディープラーニングが教えてくれていることがあります。実は業績あるいは結果の近いにいる人も、そこから離れた末端にいる人(例えば新入社員)も、そうした繋がりのどこにいるかは一切気にせずに、全体結果の出力がどうなるかをそれぞれが予測し、全員が同時並行で判断基準を更新し、それに基づき判断し行動します。

ここで重要なのは、それぞれの人は、周りとの調整は一切しないことです。

それぞれ全部パラレルに動くことを前提にするので、「他が勝手に変えたから私のアクションが結果としてうまくいかなかった」というようなことが普通に起きます。しかし、不平不満を一切言わないのが重要です。

他の人は変わらないと仮定して、自分が判断基準を少し変えてみると、結果がよくなるかどうか、だけを見て、判断するわけです。周りと調整せずに最終的なアウトカムだけを見るわけです。これを各人が全員同時並行で行うのです。ディープラーニングはこういうやり方をやっているわけです。

その結果、大変複雑なことが的確に判断できています。大変うまくいっているのです。

これは実は、複雑な変化の中で、いろいろな人が協力しないといけない時に、そうした複雑性にどう対応するか、に対する答になっています。まず、各人に、それぞれの行動が、全体のアウトカムにどう影響するかの予測ができる環境を与えます。そして、それぞれの人は、周りとの調整を一切行わずに全体のアウトカムだけを見て、同時並行的に、判断基準の見直しや行動を行います。これが複雑な状況を解く最も有効な科学的な方法であるということです。実はディープラーニングは、そのような複雑な問題解決に関する壮大なモデルなのです。複雑な社会問題や経営問題の関係者が多数いた時に、それぞれの人がどのようなディシジョンをしたら、その複雑な問題が解けますかということを科学的に追求しているわけです。

この結論は、実は我々が信じていることと大きく乖離しています。我々の会社組織では、複雑な問題を解くとき、上記の同時並行方式とは全く違うやり方をやっています。それぞれが、周りのことや上司が納得するかどうかといったことを気にし、互いに調整するのが普通です。

しかし、ディープラーニングが教えてくれるのは、そうした周りとの調整は一切気にしないほうがよいということなのです。その調整をしないことによる損失よりも、メリットの方が遙かに大きいのです。

これが新しい我々の判断や経営の方法論なのです。即ち、我々の知能レベルが向上したということです。

そして、この新たな方法論がまずあり、その実現手段として、再度ディープラーニングなどのアルゴリズムが活用されるのです。

以上の例以外にも人工知能の開発や実験が教えてくれる新たな生きる方法論は沢山あります。その多くは、コンピュータを使わずとも、今日から活用できることなのです。



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