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オンラインで変わるアーティストとオーディエンスの関係

音楽にせよ美術にせよ、アーティストにとっては作り上げる作品こそが重要であって、その過程は人に見せるものではない、というのが伝統的な考え方だろう。しかし、コロナによって舞台芸術が軒並み困難に陥る一方、デジタルツールが広範に普及したことで、この考え方が変わりつつある。

多くの人々を支えたライブ・フロム・ホーム(LFH)

ジャズ・ピアニストの小曽根真さんは、大都市圏に緊急事態宣言が発令された直後の4月9日から、自宅のリビングルームにおけるライブ演奏を連日配信した。「Welcome to Our Living Room」と題したこのシリーズは、5月31日に終了するまで、実に53回も連続で行われた。

毎日夜の21時頃から、主にFacebook Liveを用いて配信されたライブは、医療従事者への感謝のメッセージから始まり、トークを交えつつスタンダードなナンバーからポップス、アニメソングに至るまで様々な曲が演奏され、約1時間づつ行われた。筆者も視聴していたが、最終的には数千人が連日視聴していたため、読者の方にはご覧になった方もいるだろう。(なお、これらの動画のアーカイブは2020年8月31日以降は非公開となるようである。ぜひ今のうちにご覧頂くことをお勧めする。

このライブでは、Facebook Liveの機能を使って視聴者もコメントを書き込むことができた。リクエストや、演奏されている曲のタイトル、感想など、視聴者から様々なコメントが記入されていた。そして、小曽根さんはこうしたリクエストに応える形で、普段ではあまり演奏しないであろう曲まで演奏していた。

また、我々視聴者も、他の視聴者のコメントから学ぶことも多かった。他の人のリクエストや、曲名の補足などが知識として役立っただけでなく、他の視聴者からの感想やメッセージが、その場の温かい雰囲気などを作る上で大きな役割を果たしていた。

さらには、このライブ配信をきっかけに、他の世界的なミュージシャンがコラボ動画を作り、アップロードするというエコシステムが出来上がったことも興味深い。生で聞く演奏は格別だが、デジタルだからこそできる広がりもあった。

もう一つ例を挙げると、オーケストラのニューヨーク・フィルハーモニックは、「We Are NY Phil@Home」というシリーズを開始し、団員個人にスポットライトを当てた動画を配信している。

通常、オーケストラ、特に弦楽器セクションは大人数で同じ旋律を演奏するため、個人個人の音や個性は聴衆には分かりにくい。しかし、この取り組みでは、例えばバッハの無伴奏組曲を、一楽章づつ異なるチェロ奏者が演奏するといった動画を配信している。

この動画を見ていくと、一人一人がどんな音やフレージングで演奏しているかを知ることができる。大勢で演奏していたオーケストラ団員がこんなに個性豊かだったのか、こんな名手がいたのか、と新たな発見があるわけで、この後同じオーケストラの演奏を見る際にも、見る目が変わってくるであろう。しかも、自宅から演奏しているため、普段どんな環境で練習し、暮らしているのかも垣間見ることができ、一人一人のアーティストにより親近感が沸くと同時に、より演奏家にコミットした気持ちになる。

その後、ニューヨーク・フィルは「Practice 30」という動画シリーズも提供している。これは、団員が楽器演奏のコツなどを動画で解説するというもので、アマチュアの演奏家にも大いに役立つだろう(実際、アマチュアのチェロ奏者である筆者にも大いに役立った)。

コロナで加速したアートのオープン化

こうした取り組みを整理すると、いくつかの特徴にまとめることができる。第一に、完成品(あらかじめ決まったジャズのセットリスト、クラシックのプログラム)ではなく、通常は提供されない「半完成品」や、オーディエンスとの協働作業によって作り上げるものを提示することだ。

第二に、アーティスト対オーディエンスという関係性だけでなく、オーディエンスとオーディエンスの間の価値交換も重視するということだ。ある意味で作品をプラットフォームとして使い、エコシステムへの参加者同士の価値交換を促進することであり、そのためには作品そのものが「完成しすぎ」ていない方がよいとも言える。

第三に、作品のみが価値を持つのではなく、プライベートやライフスタイル、準備や練習などの周辺情報によって、アーティストや作品へのコミットメントが深まるということである。周辺情報によってアートの価値、便益が高まるといっても良いのかもしれない。

こうした流れは、ファンとの距離をオンラインで近づけるという観点においては、従来から取り組まれてきたことの延長でもある。アートにおいても作品だけを提示するのではなく、舞台裏や創作過程をオープン化することがアートそのものの価値を高めるということが、コロナによって加速されたと見ることができる。

但し、単に何でもオープン化すれば良いということでもないだろう。小曽根さんにしても、ニューヨーク・フィルにしても、高い芸術的価値が中心に据えられているからこそ成り立つ面もある。コアをしっかり活かしているからこそ、プラスアルファの価値を追求することができるのかもしれない。

創作過程こそ芸術の最高の瞬間

以前、村上春樹さんと小澤征爾さんの対話に基づく本において、村上さんがレコードのことについて詳しく尋ねていたところ、小澤さんが村上さんをリハーサルに誘ったという話があったと記憶している。音楽において最も価値あるものは、完成品としてのレコードではなく、それが生み出されている瞬間やプロセスにある、と言っているようだった。

創作過程に立ち会うことは、これまでそれに関わる人の特権であった。コロナでアートもオンライン化する中で、芸術が生み出される最高の瞬間の価値が、多くの人に届くようになるのかもしれない。


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