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日曜日は裁判官国民審査で堂々と「X」をつけて「夫婦別姓」等、大事なテーマでの私達の意思を示そう

私達が審査する!堂々と「X」をつけるべき

10/31、衆議院議員選挙が行われる。同時に最高裁判所裁判官の国民審査が行われる。

投票所で、用紙を渡され、初めて見る見慣れない名前に戸惑い、「やめさせたほうがよいと思う裁判官」にXをと言われても判断つかずそのまま何も書かず投票する人も多いと思う。

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実際には、有効票数の半数を超えない限り罷免はされず、過去にこの制度で罷免された裁判官はいない。Xが着く割合は6−9%程度だ。

だからと言って意味がないわけではない。私達の意思を示すことができる。私達国民は裁判官の仕事をちゃんとチェックしてますよ、と言える。日本人はXをつけるのが苦手だ。でも、これから日本はこうなってほしいという方向に基づいて意思を示すことはとても大切だ。

読む時間もない人も多いと思うので、結論からまず。

○○?!と思う人はこの裁判官にXをつけてみるのもありかも、というものです。

まず、選択的夫婦別姓を希望する人は、別姓を選択肢としても認めなくてもそれは合憲だとする裁判官にX(ややこしいですが)をつけてみる。

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覚え方は「長岡村の林は深し」(長嶺、岡村、林、深山)

逆に家族は夫婦同姓(男性姓)であるべきと思った人は、別姓を認めないのは違憲だと問題視している裁判官にXを。

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その他例えば、色々

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という付け方もありえる。

意思表明の重要性を伝えたくて少し過激で単純化した例をあげたが、良くわからないという理由だけで白紙委任するのも国民として無責任な気がする。アメリカの場合はXだけでなく良いと思う人には○をつける。日本は国民審査を白紙委任させ制度的を形骸化させている。

東大法学部はやめさせるべきとか、本来は学歴逆差別だ。また学歴でなくこれまでの裁判の判決内容で判断すべきというのも正論だ。でも制度的に裁判官の属性に多様性を求めたいという人が意思表明するにはXをつけることが唯一の意思表明なのでこうするしかない。○をつける事もできたら、女性や他大学出身を応援したい場合は○をつける事もできる。制度的に国民が意思表明しにくいようにしてあるところが個人的に好きではない。

最高裁裁判官達は何%の人がXをつけたかを戦々恐々と見守っていると思う。受験競争の勝ち組だ。テストの点数が、95点だったか87点だったか、クラスの誰に勝ったか負けたか、とても気にしている(と思う)。

いい加減につけろ、と言っているのではない。私達の意思は伝わるのだ。無難に判断を避けるよりも多少乱暴でも意思表明する事が大切だと思ってあえて過激に書いている。

上記の例は参考だ。自分の意見に近いものをスクショとって投票所に向かって堂々とXをつけて欲しい。(時間ある人は続きを)

私は裁判官をこう審査した

私も何か割り切れないまま白紙委任していたが、今回は少し調べてみた。裁判所のホームページに色々載っているが、国民が「やめさせたほうが良いかどうか」判断する情報はない。

料理が趣味とか、サピエンス全史が面白かったとか、司馬遼太郎が好き、昭和の新聞の新社長紹介みたいなことは書いてあるが、信条などは「適正妥当な判断を心がける」「最善の努力」等、当たり前のことしか書いてない。

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するとNHKが良いまとめサイトを出しているのでさらに分析してみた。

最高裁の裁判官というと、三審制のイメージから、全国各地の地裁、家裁、高裁において「大岡裁き」で名を上げ「裁判官のなかの裁判官」として勝ち上がって出世してきたイメージをもっていた。バツをつけてやめさせるなど滅相もないと感じていたが、よく見ると恐ろしく同質的なボーイズクラブの典型だ。東京のエリート官僚の代表と司法行政(要するに裁判所の人事・総務担当)の上がりポジションという印象。

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・全員が昭和28-33年のわずか5年間に生まれた60代の同世代

・東大法学部が11人中8人で7割超、男性が8割超で男性は「全員」東大

・弁護士連合会、検事、行政官枠、法学研究者枠等、枠を割り振られている模様

・裁判官も経歴見る限り、各地方からの叩き上げというより東京地裁、東京高裁が多く、また最高裁の司法行政(人事・給与)や法務省との調整に携わってきた人多い。

*司法行政という聞き慣れない仕事について興味のある方はこちらを参考に

例えば「夫婦別姓」について、彼らの判断

各紙も、裁判官に関する比較参考記事を出し始めた。

例えば「夫婦別姓」「一票の格差」について裁判官の間でも違憲が分かれる判決内容はこうだ。

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違憲とする側の裁判官の意見は論理明快だ。現実的に女性に不利益を与えていて、婚姻の自由と夫婦の平等を保障する憲法の趣旨に反するというもの。

三浦:夫婦の名字を同じにする現在の制度は現実的に女性に不利益を与えている。夫婦別姓の選択肢がないことは婚姻の自由を不合理に制約していて憲法に違反する。しかし、法律の定めがないまま解釈によって夫婦が称する名字を書いていない届け出を受理することはできない。
草野:選択的夫婦別姓を導入することによって向上する国民の利益は、減少する利益よりはるかに大きいことは明白だ。それにもかかわらず導入しないことは、あまりにも個人の尊厳をないがしろにしている。
宇賀:夫婦の名字を同じにしないと結婚を法的に認めないという制約を課すのは合理性がない。婚姻の自由と夫婦の平等を保障した憲法の趣旨に反し、不当な国家介入にあたる。6年前の判決後、旧姓の通称使用が拡大し、国の機関の公的文書でさえ認められるようになったことは重大な事情の変化だ。通称使用を認めることは、夫婦同姓が不合理だと認めることにほかならない。


合憲とする側には明確な論理はなく、3人とも役所の答弁を一言一句違えず表明している。


国民の意識の変化については、国会で評価、判断されることが原則だ。しかし、選択的夫婦別姓の導入が、今そのような状況にあるとはいえず、女性の有業率の上昇など社会の変化と併せて考えても、規定が憲法に反する状態になったとは言いがたい。選択的夫婦別姓の導入をめぐる最近の議論の高まりについてもまずは国会で受け止めるべきで、国会で国民の意見や社会の変化を十分に踏まえ、真摯な議論が行われることを期待する。
(深山・岡村・長嶺裁判官は同じ補足意見)

プロフィールと夫婦別姓や一票の格差等の判断を見ると透けて見えるが、法務省出向が長いとか霞が関から送り込まれてきたとか役人出身(深山、岡村、長嶺)は、行政(内閣)よりで合憲との判断。大手事務所のバリバリの企業弁護士(草野)や法学研究者(宇賀)は、法的合理性から違憲と言っている。

最高裁裁判官に届いていない夫婦別姓の選択権を求める国民の声

「女性の有業率の上昇等の社会の変化を併せて考えても」という表現は幻滅させられる。女性の有業率が低い状態は世界に恥ずべき状態で日本は遅れているので、合憲の根拠にすべきではない。

研究者等個人でグローバルに活動している人は論文などの実績が姓が変わると継続性が消え、検索しても実績がでてこなくなってしまう。ある研究者はわざわざ離婚して事実婚状態とし第3国で婚姻証明をだしてもらう選択肢まで取らざるを得なかったという。

日本以外の国でも、通例として妻が夫の名前を名乗る、などの国もあるが、法的には同氏に合意できない場合は各自の氏を名乗る選択肢はある。各国では通称の使用というあいまいな運用はないため、パスポート等混乱が起きる。

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国連は夫婦別姓を認めない日本の民法規定が差別的だとして是正勧告を3回出している。

内閣府が17年に実施した世論調査で賛成派は42.5%と反対派を13.2ポイント上回り、30代は賛成が52.5%。「家族の姓が違っても一体感に影響がないと思う」とする人も64.3%にのぼっている。国民の意識も変わっている。

上記の深山、岡村、長嶺の3名は、三権分立の制度のなかで、国民の意識に関することは立法で判断すべきとする。要するに、夫婦同姓の国家による強制は、憲法違反を議論するレベルの話ではなく、国民の意識の問題の範疇で国会で受け止め判断すべきと逃げている。しかし内閣府の第4次男女共同参画基本計画まで明記されてきた「選択的夫婦別氏制度」の文言自体が与党保守派の意向で削除され、自民党公約にも言葉そのものがない。

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最大与党が争点としない立法府の選挙でどう国民の意思を伝えれば良いというのだ。日本における三権分立はどうなっているのか?

日本における三権分立とは

日本国憲法は、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三権分立」の原則を定めている。

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ここでの、最高裁判所の裁判官の国民審査は、選挙での議員の投票、内閣支持率などと並び重要な主権者の参政権だが、機能していない。また、違憲立法審査についても先程の夫婦同姓の違憲判断を避けているように海外に比べて極めて消極的だ。

『高度な政治判断は裁判の対象外』として、最高裁が重要な判断を避ける傾向がある。(統治行為論)そしてその理由の一つが、そもそもの裁判所の民主的正当性の薄さにあるらしい。(はい、国民審査の話題に戻ってきました)

要するに、「私達は試験受かっただけで、国民の多くに特に知られていない存在なので、そんな民主主義の根幹の憲法に関わる大事な判断できません、ということなのか。国民審査制度が形骸化していることが、結果として司法の違憲立法審査権を弱めている。なので、重要な判断が、上記のようなまずは立法府で議論してくださいという理由で消極的に合憲とされる。結局、日本は何も変わらない。

特定の裁判官をやめさせたくてXをつけるのではない、民主的コントロールを効かせて裁判所に民主的正当性を与えるための国民がXをしっかりつけることが大切なのだ。

「いい生活?!」してないなら参政権を行使しよう

麻生副総裁は、若者が政治に関心がないことを「政治に関心がなくても生活ができるくらいいい生活してるというですから」と悪いことではないと発言している。すごい事言うなあ、皆さーん、いい生活してますか?

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良い生活しているからではなく、政治に期待できないから関心がないのではないか。アメリカでも日本でも、国、政府に対する信頼は落ちている。

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しかし、コロナ禍と気候変動等の危機は、その政府を信頼しているか、いないかに関わらず、機能しているか有能かを厳しくチェックすることの必要性に気づかせてくれた。

「有能な政府が本当に重要であり、だめな政府は僕らの暮らしをめちゃくちゃにしてしまうことにも、改めて気付かせてくれた。」

そろそろ本気で声を上げないと行けない。

これまで政治的な発言を避けていた芸能人達も声を上げ始めた。

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選挙と審査で明確に自分達の意思を示さないと、ひどい目にあうのはいつの時代も若者だ。

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参考:海外と日本の司法制度の違い

アメリカでは、大統領は様々な権限を持っているが単独では何もできない。トランプ大統領の大統領令は、議会や連邦裁判所によって次々と差し止めされ、トランプ元大統領は期せずしてアメリカ民主主義でBalance of Powerが機能することを証明した。

最高裁判事は重要な役職で国民が顔を名前も知っていてその適格性と判断を注視している。エリート判事といえども、10代に犯した過去の性暴力疑惑を徹底して追求される。

ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事は、ドキュメンタリー映画も大ヒットしアマゾンで人形が売られるほどの人気。トランプ大統領再選選挙、直前のその死は選挙に大きな影響を与えたと言われる。

フランスには違憲立法審査のためだけの機関、憲法院があり、積極的に審査介入している。

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