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クリエーターの中年の危機は「体験の枯渇」

私はいわゆる中年です。マーケターや新規事業担当として会社勤めをする傍ら、書籍や記事を書く物書きの仕事をしています。そして、この記事は私と同じ中年の皆さんに向けて書いています。特に、クリエイティブ関係の仕事、クリエイティビティーを活かした仕事をしている中年の皆さんです。

マーケティングの世界で良く使われる講演のネタに、チャールズ国王とロック・ミュージシャンのオジー・オズボーンは同じデモグラ、というのがあります。「デモグラ」というのは「デモグラフィック」の略で、性別や年代、居住地などの人口統計的な人のくくり方のことです。

イギリス出身の男性で、歳も全く同じの二人ですが、国王とロックミュージシャンでは趣味趣向は大きく異なるでしょう。オジー・オズボーンは、若い頃ステージ上でコウモリを食いちぎったエピソードが有名ですが、当時のチャールズ皇太子は、きっと世界で一番コウモリを食いちぎらなそうな人だったに違いありません。

要は「デモグラ」なんて大した意味はないんだよ、みんな人それぞれなんだよ、ということです。

しかし、私は同じ中年のクリエイターたちに、禁じ得ないシンパシーを感じます。人生はもちろん人それぞれ、なのですが、それでも私たち中年クリエイターには共通する何かがあると感じるのです。

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それは、おそらく「オフピーク感」なのだと思います。

ピークを過ぎた感じ、です。

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中年全般の話をすれば、中年になっても、それ以降も、それまでと変わらずキラキラしている人は沢山います。ギラギラしている人も、ギトギトしている人もいるでしょう。

もっとも、そういった人たちとて、体力のピークは確実に過ぎているはずです。それまで右肩上がりだったものが30代で踊り場に差し掛かり、40代以降は緩やかな下降が始まる。体力にせよ、知力にせよ、気力にせよ。中年とはそういう時期です。

だからと言って中年が不幸なわけではありません。仕事や人生が充実していないわけでもありません。

それまで培った経験や実績、人的ネットワークを活かして、衰える体力や気力を補ってあまりあるパフォーマンスを発揮できる人も沢山いるのです。人を育てる、という、若い頃にはなかったやりがいが、仕事や人生に付け加わる人もいるでしょう。

今が人生で一番楽しい。一番充実しているし、何なら一番青春している。そう考える中年世代も少なくありません。

むしろそちらの方が多数派かもしれません。中年世代の「ライブハウス」とも言えるFacebookには、そんな投稿が日々溢れています。

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脳や身体の機能としてはピークを過ぎるものの、経験や人脈、処世術などといった社会的な能力がそれを補うことで、確かに中年は仕事において最も高いパフォーマンスを発揮できる時期でもあります。いわゆる「働き盛り」です。

ここでふと疑問に感じるのが「クリエイティビティー」はどうなのか、ということです。

クリエイティビティーとは、脳や身体の機能に基づくものなのでしょうか。それとも社会的な能力に基づくものなのでしょうか。はたまた、上で議論した総合的な仕事力のように、その組み合わせなのでしょうか。

もし前者なら、中年は30代で踊り場に達したクリエイティビティーが下降を始めるタイミング、ということになります。

一方で社会的な能力や、それと機能的な能力の組み合わせがクリエイティビーを規定するなら、むしろそのピークは中年以降にある可能性もあるのです。

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青年期から高齢期まで活動を続けているクリエーターやアーティストというのはとても稀有ですが、その数少ない例の1つにローリング・ストーンズが挙げられます。

彼らは24枚のアルバムをリリースしていますが(ベストアルバムなどを除く。数え間違えていたらごめんなさい)、ボーカリストのミック・ジャガーの年代で区切ると内訳は以下の通りです。

20代:12枚
30代:6枚
40代:1枚
50代:2枚
60代:1枚
70代:1枚
80代:1枚

「Sticky Fingers」や「Exile on Main St.」など、名盤と言われる作品は20代の後半に集中しており、量的にも質的にも、20代が彼らのクリエイティビティーのピークであったことがうかがえます。

そもそもミュージシャンは早世だったり若くして引退してしまったりが多いですが、作家はその傾向がより顕著です。そんななか、大江健三郎は若くしてデビューし、80代になるまで活動を続けていたので、今度は彼の作品数を年代ごとに数えてみましょう。こちらもまた数え間違えていたらごめんなさい。

20代:7作
30代:4作
40代:3作
50代:5作
60代:3作
70代:3作
80代:2作

「個人的な体験」や「万延元年のフットボール」などの代表作は、同じく20代後半から30代前半に生み出されています。やはりこの時期が、質的にも量的にも、大江のクリエイティビティーの一つの最盛期だったと見ることができるのです。

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こう見ると、クリエイティビティーというのは、体力や知力、食欲や性欲などのように、30代で踊り場に達し、40代からは下降を始めるもののように思われます。

テレビにもソーシャルメディアにも「旬の人」というのがいます。私は広告の仕事を長らくやってきたのですが、CMなどへの起用を検討するタレントやインフルエンサーはそうした「旬の人」です。「旬の人」自体は時代を反映して移り変わりますが、その年齢は大体20代から30代と相場が決まっています。

私自身も、インフルエンサーとまではいきませんが、メディアの取材を受けたり、情報番組への出演依頼を受けていた時期がありました。30代中盤の頃です。

その頃は大手メディアに記事を寄稿すれば読者ランキングの1位を取って当たり前、ソーシャルメディアで何かを投稿すれば月に1回くらいはバズる(1万以上いいねがつく)と言う状況でした。

かといって有名だったというわけでも、ましてや成功者だったわけでもありませんが、そうして慎ましくも持っていた「勢い」は、中年にさしかかると同時に徐々に衰えていきました。

時代が変わり、求められるものが変わったのだ。そう考えて補正を試みても、新しい世代の文化を吸収しようとしてみても、状況は大きく変わりません。

自分自身のクリエイティビティーが、中年期になって衰えてきたのかもしれない。

そう結論づけざるを得ませんでした。

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いや、そうではないのかもしれない。

そう思うようになったきっかけは、自分の好きな音楽や文学、絵画などを改めて振り返ってみたことでした。

上に挙げたローリング・ストーンズのアルバムのように、自分の愛する作品の多くは、その作者が20代・30代の頃に生み出されたものでした。

しかし、例外もいくつかあったのです。

例えば、大江健三郎の後期の代表作であり、私の一番好きな作品でもある「新しい人よ眼ざめよ」です。この作品を発表したとき、大江は48歳でした。

改めて上の整理を見てみると、大江は40代で比較的寡作になった後、50代で再び多作期を迎えており、もう一つの代表作である「燃え上がる緑の木 三部作」もこの時期に生み出しています。

中年を過ぎて、質量ともに第二のピークを迎えているのです。

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ピカソは晩年になっても創作意欲が衰えない、どころか、晩年になるほど多作になりました。代表作の「ゲルニカ」「泣く女」「ドラ・マールの肖像」などはいずれも50代の創作です。

「ドラ・マールの肖像」の「ドラ・マール」は、ピカソの恋人の名前です。ピカソには、50代中頃にして「恋人」がいたわけです。

その5年ほど前に書かれた同じく代表作の一つである「夢」や「鏡の前の少女」は、やはり当時の恋人だったマリー=テレーズ・ウォルターをモデルにしている、と言われています。

1983年発表された大江の「新しい人よ眼ざめよ」は、核時代を生きる新しい人間のあり方を、知的障害を持った主人公の息子「イーヨー」を通して描き出そうとした作品です。イーヨーのモデルは、知的障害を持った大江の息子、作曲家の大江光さんだと考えられています。

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ピカソにせよ大江にせよ、偉大な芸術家により中年期以降に生み出された傑作は、それぞれ中年期以降の新しい人生体験に基づいて創作されているのです。

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多くのクリエーターが20代・30代にそのクリエイティビティーのピークを迎えるのは、それまでの人生体験を燃料として創作活動をするからではないでしょうか。

つまり、貯蔵庫に石炭のようにストックしてある二十数年間の人生体験を、勢いよくエンジンにくべて消費しながら汽車を走らせているのです。

そんな人生体験には、恋愛や友情もあるでしょうし、家族との関係もあるでしょう。勉強をしたり、本を読んだり、映画を見たりもそうでしょう。

そうした体験は、中年期以降もなくなるわけではありません。中年以降になって初めて体験する喜びや苦労もあるでしょう。

しかし、思春期の感受性をもって、時間の全てをそうした「インプット」に費やした二十数年間に比べれば、中年以降追加で貯蔵できる石炭の量は当然限られてきます。

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脳や身体の機能は下降線を辿る一方で、社会的な能力がそれを補って働き盛りを迎える中年世代。そんな中年世代のクリエイティビティーは、貯蔵庫に貯蔵されている石炭の量=消費していない人生体験の量で決まる、というのがここでの仮説です。

それまでの二十数年間に全身全霊で貯蔵した人生体験を、エンジンにくべて走り続ける青年期。そんな青年期のクリエイティビティーが旺盛なのは当然です。

また、そんな人生体験を消費し尽くしてしまった後のクリエイティビティーが、以前より劣ってしまうのもまた当然です。

しかし、40代で寡作期に入った大江が、40代後半から50代にかけて再び多作期に入ったように、そこで再び思春期の二十数年間に匹敵する人生体験を積み重ねることができれば、クリエイティビティーの汽車はスピードを取り戻すことができるのです。

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正直、それは並大抵のことではないでしょう。芸術鑑賞一つとっても、「失われた時を求めて」を通読したり、「論理哲学論考」について徹夜で議論したり、フェリーニの映画をすべて3回づつ見たりする時間は社会人には普通ありません。

家庭を持つ人が恋愛にうつつを抜かすのは許されませんし、そうでない人でも、親友と恋する人との間で心を引き裂かれる、みたいなドラマチックな経験は社会人には普通できません。

中年以降になって、青年期までの二十数年間に蓄えた以上の燃料を貯蔵するのは、正直難しいでしょう。だからこそ思春期は尊いのだし、アーティストの若き黄金期は尊いのです。

でも、だからといって、燃料の貯蔵ができないわけではありません。

また、しなくてもいいという道理もありません。

例え思春期・青年期の二十数年間のような体験の貯蔵はできないとしても、中年期にだってできるやり方で、むしろ中年期にしかできないやり方で、新しい創作に向けて新しい体験を貯蔵し続けるのです。

ピカソのように、とまではいかなくても。才能に応じて生み出せるインパクトの違いはあれど。そうすれば、私たちはきっと、生涯クリエイティビティーをキープし続けることができるのではないでしょうか。

おわり

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#NIKKEI

<参考にした記事>
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD238F00T20C24A5000000/

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