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選択肢から解放されたい未来

さて、、こちらはそもそも #COMEMO の #延長線上にない日々 の企画の一環として久々に一筆、、と思っていたのだが、構成はほぼ固まっていたにもかかわらず、80%の出来栄えのまま数週間寝かせてしまい、このままではまたお蔵入りしてしまう(このような状態で未公開の文章が数セットございます💦)、ヤバイ、と思い立って書き上げるものであります。ので、、タイミングを逸した投稿ではあるがご容赦いただきたい。

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で、昨今、ギグワーカーとかパラレルワーカーなる言葉が少しずつ一般化しつつあり(してない?)、私の周りでもそのような働き方をする人がすこしずつ増えております。かくいう私も(自分でそう名乗っているわけではないですが)パラレルワーカー的に複数のプロジェクトや肩書きを使い分けながら、日々各方面で活動をしております。

そんな中、、コロナ禍による変化を感じたり、各方面からの働き方に関するご意見やご相談を受けていくうちに、色々疑問に思うことも生まれてきました。ので、それらを書き留めておこうかと。選択肢の広がりと多面性がもたらす功罪の話。自分でもまだ結論が出ておらず、ひとまず論点を散らしておくので、気になる点なり追加情報のある方はぜひご一報ください。

広がる「働き方の選択肢」

働き方の幅は広がっていると言われていますよねぇ。私が理事をやっている一般社団法人at Will Work の掲げるテーマも「働き方を選択できる社会づくり」なんですよ。

個人からすれば、自分の環境とか意志、状況に応じて働き方(雇用携帯、労働時間、勤務場所、立場などなど)を流動的にできると良いよね、ってことですよね。雇い手目線で言えば、事業環境の変化に併せて、都度必要となる人材を集めることができる、とも。もちろん労働時間の管理とか契約の徹底、労使の義務と権利のバランス等々、資本主義の根源的な課題がセットになってはいるものの、、総論では「人材流動化」を想定した準備を進める必要がありそうですよね。

ちょうど先日、厚労省から兼業副業にまつわるガイドラインが発表されました。内容について色々見直す余地があるのでは?という声も聞こえますが、「兼業・副業は是か非か?」という議論から、「どう受け入れるか?」というテーマにシフトしているのは現実に促しているなぁとは思います。労働管理や雇用契約の徹底のためには、もっとITによる業務効率化の余地はありそうですけど。

厚生労働省は27日、兼業・副業をめぐる新しいガイドラインを公表した。残業時間が生じる労働者は就業先の2社に上限時間を事前申告する。企業の労務管理の煩雑さを解消し、兼業・副業を認める企業を増やす。ただ、働き過ぎる人が増える恐れもあり、面談などを通じた健康確保措置も促した。

また、ちょっと支援させてもらっている会社の中で、「複業マッチング事業」を手がけている会社があるのですが、このコロナ禍を経て複業希望者の登録が伸びており、並行して「複業就業者」の受け入れ企業も増えているらしいんです。

主要な専用仲介サイトでは、コロナ前までは特定企業と雇用関係を持たないフリーランスの登録者の方が多く、副業者は3割程度だった。コロナ以降は副業者の割合が6~7割以上になっているサイトもあるという。

先行きの見えない労働環境において、選択肢を増やすためにも自分で道を切り拓かねば、という方が増えているんでしょうか。

選択肢を掴むための投資

「リカレント教育」と言う言葉もありますが。今年2月の at Will Workのカンファレンスで担当したセッションでも「成長機会への投資」をキーワードとして取り上げまして。変化に追いつくためにも継続的な成長機会への投資が欠かせないが、”働き方改革”の延長にある生産性向上の一環で、そしてコロナ禍の影響もあって、組織が研修や教育の機会を提供する時間が減っている、という話なんですよね。

企業にとっては、この時期に人材育成に投資できるかどうかが変化適用できるかどうかを左右するだろうし、個人からすると自身の「働き方の選択肢」を広げたいなら自己投資が必要だよね、って話になるようです。

大学などが幅広くオンライン教育の機会を提供するということは、多くの社会人にとって、リカレント教育の機会を大きく広げることになる。今までのいわゆる社会人向けの大学教育よりも、はるかに幅広い分野で教育資源が提供されることになるだろう。

成長機会への投資方法はたくさんありますが、大学教育のオンライン化の延長には、社会人の学びの機会増加にもつながりそうだという見立てもありますね。

働き先が増えたら人格も増える?

で、この働き方の多様化が広がると何が起こるのか。パラレルワークなり、短期間で勤め先を変化させながら働く人は、複数の「人格」を使い分けるようになるよね、と言う考え方があります。

芥川賞作家の平野氏が提唱する「分人」という言葉が有名ですね。

(人は関わる相手によって別々の人格『分人』を持つという)『分人主義』を私が思いついたのは、アイデンティティーの問題に悩んでいたときだった。
先日、海外の友人とオンラインで話をしていたとき「分人」が話題になった。「それまで彼は『分人』という概念がよく分かっていなかったが、コロナ禍で閉じこもり、ピンときたらしい。会う人が限られたことで自分の『分人』数が減り、違和感を覚えたのだろう。強制的にそうした事態に追い込まれていることが問題なのですが」

かつてパソコン通信やネット掲示板文化においては、リアルとは切り離した匿名による別人格を嗜む人々も存在していましたが、「分人」は「複数のリアルな自分」。つまり「働く場」が細分化していくと、それに併せて人格も細分化していく感じですね。

アイデンティティの確立には、自分にとって重要な他者やコミュニティからの承認が必要であり、社会性の中で確立されていくとされています。つまり、働きながら他者との関わりを重ねていくことで、徐々にアイデンティが確立されていくと。

で、働き方が多様化し、関わる人々や出入りするコミュニティが断片化していくと、応じて生じる人格も断片化していくよね、と言うことで。

かつて、心理的発達の観点では「複数の人格」が存在することは、自我の揺らぎ、つまり精神の不安定につながると解釈がされていたようですが。昨今では、多元的な自我も安定した精神構造につながるという考えもあるようです。なるほど。社会構造の変化に伴って、人は適応していくのかもしれませんね。

選択肢の功罪

ただ、「分人」がよしとされることは、多様な自分を使い分けたり、複数のコミュニティに所属することを後押しされることにもつながって良いことに聞こえますが。天邪鬼な私は、みんなが分人を使いこなせなくったていいんですよねぇ。とも思います。さらに派生して「選択肢が多い」ことは良いことなの?とも。

VISIONGRAPH(未来予報)さんが毎年出してる未来予報の中で、「多面性不安症」という言葉が紹介されていまして。気になって、ここ最近あちこちで話題を振っては皆さんの反応を見ています。

複数の名刺を持つ日本の人たちは「自分は一言で表せない」という悩みを抱えることになるでしょう。私たちはそれを「多面性不安症」と呼んでいます。選択肢が多くなればなるほど不安になる、贅沢ともいえる病です。

「選択肢を増やすために、もっと色々幅を広げないと」とか「結局自分は何者だっけ?」という不安にかられたり、いつまでも「選ばなかった選択肢の可能性(失った可能性への焦り)」に落ち着かない人も増えるんじゃないでしょうか。

不安から逃れるために?

選択肢の広がりやそこから生じる多面性を、難なく乗りこなせる人は良いかもしれませんが、上手く乗りこなせない人はどうしたら良いものか。

選択肢に囚われすぎぬよう、SNS断ちして「隣の芝生」を見ないようにするのも一手かも知れません。「よくない選択」をしてしまったら、すぐに切り離すことも大事になりそうですね。変化適応が必要だとはいえ、「合わないな」と思ったサークルからはすぐに離脱する。複業やフリーランスが合わないな、と思ったら、潔くやめたっていい。

また、VISIONGRAPHさんのレポートにも記載されていますけど、今後はそんな悩める人を救うサービスがもっと増えてくるんでしょうね。「自分の嗜好や特性を確認する仕組み(ストレングスファインダーのような、自己を内省したりラベリングするため)」「自分にマッチしたコミュニティのレコメンド」「もっと気軽にカウンセリングやコーチングを実施できるような仕組み」などなど。

まだ、自分でも結論が出ているわけではないんですが、「選択には慣れが必要で、常に最善の選択ができている必要はない、また選択し直せば良いし、判断経験を積めば判断力が向上する」というビジネスにおけるセオリーは、キャリア選択やライフプラン選択にそのまま当てはめられない気もしております。そう簡単にやり直せない現実もあるからね。とはいえ、変化適応のために選択を繰り返さねばいけない”ライフシフト信仰の呪縛”にモヤモヤとしております。

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