見出し画像

米最高裁判事ルース・ベイダー・ギンスバーグは、なぜ、映画の主題にまでなったのか

篠田真貴子| エール |『LISTEN』監訳

2020年9月18日、米最高裁判事のルース・ベイダー・ギンスバーグ氏が亡くなった。87歳だった。

ギンスバーグ判事の死去と関連ニュースは米主要メディアで大きく報じられている。社会的にも政治的にも、影響が大きいからだ。映画「On the Basis of Sex」(邦題「ビリーブ」)の主題となった人物として、日本でも知る人が増えた。

訃報が流れたその夜、ワシントンDCの最高裁前には大勢の人々が集まり、蝋燭を灯したり弔いの歌を歌ったりしていた。日本では、最高裁判事の名前をほとんどの人が知らない(私もです…)のと比較し、ここまで大きな反響が起きるのは、なぜ?と友人に質問されることもあるので、ここにちょっと整理しておく。

ちなみに私は専門家でもなんでもない。若い頃アメリカで合計8年生活し、現地の高校の社会科でアメリカの政治の仕組みを学習した。今はアメリカの主要メディア記事は一応目を通している。その程度の一般知識でしかないが、今、アメリカで起きていることの背景と文脈を、自分の記録として整理したいと思った。数年後にこの投稿を見直した時、これが歴史の分岐点だったと再認識する可能性もあるから。

アメリカの最高裁の権限

アメリカの最高裁判所には4つの役割がある(米裁判所のウェブサイトより)。
1. 上告された事案の最終判決を下す。
2. 立法府(議会)および行政府(大統領)の活動に対し、違憲であることを宣告できる。立法府と行政府が憲法に定められた権限を逸脱しないよう、ストッパー役となる。
3. 憲法違反となる法律を無効認定する。これにより市民の自由と権利を守る。
4. 立法府および行政府が、少数派に不利益となるような法律や行政命令を出せないよう、適切な制約を設ける。少数派の言論の自由、信教の自由、正当な法の手続き、など。

三権分立の概念は、フランスのモンテスキューが1748年に提唱した。これを世界でも初めて本格的に実装したのが1776年に建国したアメリカ合衆国だ。植民地時代のアメリカの宗主国は英国だったが、アメリカはその強大な王権に苦しめられた。そのため、アメリカ建国の父たちは、連邦政府の権限をなるべく小さく制約しようと考えた。司法権を独立させ、行政権への牽制力を強く持たせる設計は、そうした考えに基づいている。最高裁の独立性を保つため、判事は終身職とすることが憲法で定められた。最高裁判事は大統領が指名し、議会上院が承認することとした。当時の英国では王権が司法権に一定の影響を持っていたことを踏まえると、アメリカにおける司法権の独立は、当時としてはかなりラディカルな社会実験だっと言える。

現在も、最高裁は、トランプ政権の発動する差別的な政策をいくつか阻止している。例えば、幼年期にアメリカに入国した移民が与えられてきた権利(DACA) を剥奪しようとした件がそうだ。一方、トランプ大統領が就任直後にイラン、シリア、イエメンなど7カ国からの入国を禁止する措置に関しては、5-4で「大統領の権限の範囲内である」と支持する判決を出した

画像1

なぜ一般市民は最高裁判事にこんなに注目するのか

ここまで見てきた通り、アメリカの最高裁には強い権限がある。大統領令や法律が最高裁の判断によりひっくり返ることも少なくなく、一般市民の生活への影響は大きい。最高裁では、アメリカ社会が目指す理想や倫理観を踏まえて憲法や法律に関する判断がなされることから、最高裁判事はアメリカの理念の守護神とも言える存在だ。

しかし、それだけでは個々の判事の名前や意見が一般市民に注目されることにはならない。アメリカの一般市民が、大物政治家の名前と同じくらい最高裁判事の名前を知っている理由を、私なりにいくつか考えてみた。

①反対意見を書いた判事の名前と内容が報道される。
最高裁判決の報道では、判決とその理由に加え、判決を支持した判事が何人・反対が何人だったか、さらに反対の判事を代表して1名が執筆・公表する反対意見の内容も伝えられる。

例えば先ほど挙げたトランプ大統領の7カ国入国禁止措置に関する判決を、CNNがどう報じたか、見てみよう。記事には、5-4で措置を支持する判決になったこと、判決理由はロバーツ裁判長が「大統領の権限の範囲内である」としたこと、反対4人を代表してソトマイヤー判事が「大統領はイスラム教徒に対する強い発言を繰り返してきた。本判決はそれらを考慮しないとしたが、その判断は、最高裁の判断基盤たる信教の自由、特に少数派の宗教に示してきた共感を損なうものだ」と反対意見に記載したことが書いてある。

こうした報道に触れていると、判事の名前と考え方が印象に残るようになる。

②終身なので、一般市民が判事の名前を耳にする機会が多い。
最高裁判事に任期や定年はない。自ら引退を決めるか亡くなるまで判事を務める。現時点でロバーツ裁判長は15年、現職判事での中で在任期間最長のトーマス判事は29年、在職している。最高裁判決に関する報道に触れていれば、同じ名前を10年、20年と繰り返し耳にすることになる。

③歴史の授業で習う。
日本で小学校から高校まで日本史の授業があるように、アメリカでも History の授業がある。アメリカの歴史は決して長くない。建国して240年、植民地時代を加えても400年くらいだ。それを1年かけて教えるので、かなりディテールまで入る。しかも建国以降現在まで、アメリカの政治体制は変わっていない。大統領とは何か、最高裁とは何か、歴史を通して位置付けは基本的に変わってないため、学習する生徒たちにもディテールが理解しやすい。私が1年間交換留学したオレゴン州の田舎の高校でも、歴代の最高裁の裁判長の名前を覚え、重要な判決について学んだ。

画像2

④ここ約25年の政治状況の影響
ここまで述べたように、最高裁の権限はかなり強い。4年に一度選挙があり最大2期8年で任期を終える大統領よりも、任期に定めのない最高裁判事の方が、長期的な影響力がある。アメリカ政治はここ25年ほどの間に、保守もリベラルも、中道派が少なくなり強硬派が力を持つようになった。その影響は最高裁判事の人選にも及んでいる。保守・リベラル共に、自分たちの主張を反映する最高裁判事を望む傾向が強くなってきた。そのため、判事一人ひとりの考え方に、一般市民が寄せる関心は高い。

ギンスバーグ判事が特に注目を集めてきた理由

ここまで見てきたように、アメリカの最高裁は権限が強く、一般市民が個々の判事に注目しやすい構造と文脈がある。

「米ピュー・リサーチ・センターが今夏に行った世論調査によると、大統領選で投票先を決めるうえで最高裁判事指名が「とても重要」との回答は64%にのぼった。経済や医療に続いて3番目に多い。」(日経記事)のは、このためだ。

しかしその中でも、ギンスバーグ判事への注目は特に高かった。何故だろうか。私なりに考えた背景は3つある。女性の権利向上に関して画期的な判決を勝ち取った実績、最高裁判事の保守化、そしてトランプ政権誕生の3つだ。順番に見ていこう。(1点目と2点目は、The New Yorker の記事を参考にした。)

①女性の権利向上
ギンスバーグ判事は1970年代、女性の権利に関する最高裁の裁判で6回原告側の弁護人として立ち、うち5回勝訴している。中でも1971年の裁判で、ギンズバーグ氏は、「すべての人に対する法の下の平等」を定めた憲法修正14条は女性にも適用される、という解釈を初めて勝ち取った。逆に言えば、わずか50年前までアメリカでは憲法解釈上、「すべての人」に女性は含まれておらず、男女同権ではなかった訳だ。ギンスバーグ氏の勝訴は、まさに歴史的な業績と言える。

②最高裁判事の保守化
歴史を通して最高裁判事は中道穏健な法解釈をしてきた。しかし、レーガン大統領が指名したスカーリア判事(2016年死去)以降、共和党の大統領が指名して就任した判事は、いずれも保守的な法解釈をする人たちだった。ギンズバーグ判事は、1993年に就任した時点では「私は保守でもリベラルでもない」とのスタンスだった。しかし判事の人員構成が保守寄りに変わっていった結果、彼女の立ち位置は相対的にリベラル寄りと見られるようになった。ギンズバーグ判事が判決に反対する側となる案件では、判事歴が長いこともあり、彼女が反対意見を書く機会が多くなった。彼女の反対意見が報道される機会が増え、the great dissenter と呼ばれることもあった。

③トランプ政権
2016年、ドナルド・トランプが女性蔑視の発言を繰り返しながらも大統領候補となり、当選したことは、アメリカ社会にとって大きな衝撃だった。女性の権利向上を目指す人々は危機感を持ち、声を上げるようになった。世論もその動きを後押しした。そうしたムードが、ギンスバーグ判事の人気を盛り上げた。

ギンスバーグ判事は、政治ニュースだけでなく、Saturday Night Live (人気の老舗コメディー番組)で何度もネタになり、映画「On the Basis of Sex」(邦題「ビリーブ」)の主題となり、ドキュメンタリー映画「RBG」も制作された。ギンスバーグ判事は人柄はシャイだし、「判事としての信頼と判断の中立性を保つために、メディア等には出るべきでない」という考え方もある。そんな中で、80歳を超えて高まる一方の人気を、ギンスバーグ判事は喜んで受け入れていたようだ。

スクリーンショット 2020-09-22 22.11.26

ギンスバーグ判事の死去は政治的影響が大きい

現在の最高裁判事のうち、ロバーツ裁判長を含む5人が共和党の大統領に指名されており、保守寄りとされている。ギンスバーグ判事の死去により、リベラル寄りの判事は3人となった。大統領選は2020年11月3日に予定されている。この日には下院435議席と上院100議席中33議席の選挙も行われる。最高裁判事候補を承認する上院は、現在、53-47で共和党が優勢だ。一方、大統領選に向けたトランプ大統領(共和党)の現在の支持率は、バイデン候補(民主党)より数ポイント低い。

この状況の中で、共和党はトランプ大統領の今任期中である2021年1月20日までに、次の判事を大統領が指名し上院の承認を得られるよう、候補者選びを急いでいる。そうなれば最高裁判事の9人中6人が保守寄りとなり、仮に大統領選で敗北しても長期的に大きな影響力を残せるからだ。一方の民主党は、大統領選後まで指名・承認を待つべきと主張している。また、ギンスバーグ判事の死後、民主党への献金が急増している。「9月19日の献金額は1日として過去最高の7060万ドルに上り、1時間当たりの献金額は過去最高を二度にわたって更新した。」

ギンスバーグ判事自身、亡くなる数日前に孫娘に声明を託していた。

My most fervent wish is that I will not be replaced until a new president is installed.

「新しい大統領が就任するまで、私の後任が決まらないことを強く望む。」

しかし、ギンスバーグ判事の後任をめぐる与野党間の綱引きは、すでに始まっている。

トランプ大統領は、米国民の間の対立を深めることで、支持者を惹きつけてきた。国民の対立を公然と煽る、おそらく米国史上初めての大統領だ。2020年大統領選の行方はまだ分からない。しかし、ギンスバーグ判事の後任選びにより、トランプ大統領は、最高裁において、保守・リベラル間の対立構造を強めるレガシーを向こう数十年に渡って残す可能性がある。

今日は、以上です。ごきげんよう。

(Cover picture by yashmori)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
篠田真貴子| エール |『LISTEN』監訳
真(まこと)てふ 貴きものを心にて 永き世ゆかむ 人と和みて Listen, learn, and love life エール株式会社取締役 https://www.facebook.com/makiko.shinoda