「天災にも魂はある。賢明な人生の師になり得るのだ」
大惨事の渦中にあっては、大きな声で叫ぶのではなく、丁寧に言葉を選びながら静かに語るのがいいです。ややもすれば、普段とは違う大きな声を出してしまう・・・。
このおよそ2か月、静かに(しかし力強く)語る大切さを思い出せてくれたのがブルネッロ・クチネッリです。彼は一代でトップファッションブランドをつくりあげる一方、「人間主義的資本主義」と称される経営姿勢を貫いてきました。
ほぼ突然と言っても良いイタリア全土封鎖から1週間を経たとき、つまり病に苦しむ人たちがいて、その人たちを助ける人がいる。そのまわりの多くの人が不安のどん底か、空元気を披露しているとき、3月17日、彼は中部ウンブリア州の小さな村、ソロメオから世界の国々の人に向かって、次のような「春の便り」と題したレターを送ったのです(訳はブルネッロ・クチネッリの日本法人のサイトに掲載されている文章ですが、一部、全体の調子を合わせるために調整しました)。
燕は誰がよこすのだろう? 3月の初旬、仕事で家をあけているとき、いつも家に電話をしてソロメオに燕が戻ってきたかを聞く。それには二つの理由がある。一つは子供のころから燕が好きだったこと、もう一つは燕が戻ってこなくなった地域もあると耳にしたことがあるからだ。燕がその場所に合わなくなってしまったからだろうか、少々心配だ。
今年もまた燕の到来を心待ちにする時期が来た。燕が戻ってきてくれること、それは誇らしいことだ。3月の半ばになると燕の楽し気な鳴き声と共に彼らの調和のある飛翔が楽しめる。事実、燕たちは突然、昨日飛来した。古城のオフィスの中で、一人で朝の思いにふけっていると、虫を懸命に追う燕の姿がみえた。
彼らは同時に、天地至上の贈物を歓待する場所、つまり屋根のひさしの下を往来する。毎年燕を目にするたびに幸せな気分になるが、例年より気持ちがうかないこの時期、燕に再生の象徴を見る思いがした。
数日前、我々はみな航海者なのではないだろうかと思った。このイメージが気に入っている。なぜならダンテは、人間は人生を渡る航海者だと見なしているからだ。この時期、船乗りとしての人間の性をより強く感じる。オデュッセウスは嵐の時に自らの体をシャフトに括り付け、コロンブスは母なる大地の預言的メッセージである鳥の出現を待って水平線に目を凝らした。
優秀な航海士は、船は軽ければ軽いほど操縦しやすいことを心得ている。今、我々の健康に責任をもつ人の指示に従い、幸せな生活の為には不可欠だと思っていたいくつもの小さな習慣を軽減させている。家族の中でお互いより身軽になり、驚くべきことに結局のところ、ひと昔前の調和ある生活があることに気づく。誰もがつらいことの中にも、喜びがあることに目を向けることができればと思う。
今日の苦悩の中にも、我々をより精進させる道徳的反応といった良い面がある。そして明日、今の苦悩が記憶と共に朽ち果てる時、この時期を思い返し「天災にも魂はある。賢明な人生の師になり得るのだ」というアリストテレスの言を心に刻みたい。
愛すべき航海士の友よ、私といっしょに、皆の独創的気質でもって、素晴らしい大事業の誕生を見、日々活気を与え続けてきた。一直線に伸びる美しい畝を父が嬉しそうに眺めるのを見ながら、少年時代の私が鋤の柄をまっすぐ維持したように、皆にも各人の帆船の舵を取ってほしい。
現在の危機に責任をもつ素晴らしき科学者、政府、医療機関が規定する措置を尊重し、辛抱強くしっかりと守ってほしい。事態を認識するも心配しすぎることのないように。皆の中にこれまでの生活が戻ってくるという確信を持ち続けて欲しい。
これまでにも世界のどこかで今以上に辛い時代、事象はあったがどれも過去のものとなっている。灰色の雲が通過し、燕が飛び交う空青空が現れよう。燕は誰がよこすのかわからない。それでも今年もまた燕はもどってきた。
燕は春の到来を告げる象徴として古くから語られてきました。3月17日の状況は下のグラフを見ると分かります。ひたすら事態は悪化する一方です。紫色の折れ線が感染者数です。青が回復者、赤が死亡者の累計です。
これは、ぼくが毎日見続けているサイトにある5月8日時点のデータです。それから2週間少々を経た日のことです。4月2日、上図でみるとピークが過ぎたと確認された頃のレターが次です。
痛ましい夜の影を後にし、ついに新しい時が湧出し始めた。
尊敬する友人たちよ、私にはこの新しい時が、素晴らしいチャンスに満ちているように見える。新たな清水の運び手、アイデアの創造主のように、それを取り巻くものすべてが、これまでとは違った生きる欲望に溢れている。私はすでに経済成長が訪れることを確信している。熱意が私たちの心を動かすだろうということも。
何よりも、私たち自身がこれまでとは違った存在になる。私たちだって、時のように、何らかの方法で新しくなる。変化を遂げた何かが、これまでとは違う美しく魅惑的な次元で、私たちに物事や人生を指し示してくれるは
ずだ。
昨日まで当たり前のように目にしていたパンが、新たな驚きをもたらし、さらにパンがなくて困っている人の存在にも気づくことができるだろう。誰もが、自分の中に今までにないもう一人の人間を発見する。それがまさに兄弟というものである。
変化を遂げた何かのおかげで、私たちの目には家族がまるで社会の新芽のように映ることだろう。そうして、水、麦畑、果実園、それから私たちに栄養を与える動物たちもこれまでとは違った様相を見せるだろう。
それにより、自然、公平、調和といった言葉が新たな意味を帯び、やがて聖なるものへと変化していく。そうした価値は、私たち一人一人の心に脈打つ神のリズムなのだ。
親しい友人たちよ、私は確信している。きっと新しい時が私たちにとって、さまざまな事柄の関係を善良な元の姿に戻すための魅力的なチャンスであるということを。人文主義と技術、精神と調和、利益と貢献といった事柄の関係性が必ず修復されるはずだ。問題の背後には必ずチャンスが潜んでいることを自覚しなくてはならない。
あの偉大なミケランジェロは「人生は芸術的な形をしており、まるで芸術のように、それを生きるためには手よりも心を必要とする」と常に言っていた。だから、これは、たった一人だけでなく世界中のすべての人に関わるチャンスだと私は言いたい。私たちの目や心だけでなく、存在すべてが、運命によって運ばれてきた宇宙の贈り物を受け取る準備ができていることを願っている。孔子の言葉の中に私を魅了した一句がある。
「遠くのことを見通せない者は、近くの不幸にさらされる」
日食の終わりが到来し再び太陽が命を彩る時、私たちの心はきっと喜びに満ち溢れることだろう。しかしそれは、慎重さを要する瞬間でもある。もし今のペースを保ち、痛々しい苦境の経験から生まれた規則を尊重し続け、神の言葉に集中したなら、これまで通りの自然な生活に戻ることができるだろう。そこにはきっと新たな価値も加わっているはずだ。
そしてまた「人間らしい」と呼ぶべき世界の美しい姿が私たちを魅了することだろう。
そして4月22日、それまで食や医療以外の生産や建設現場が活動停止していましたが、一部の州では活動がはじまりました。ブルネッロ・クチネッリもじょじょに活動を再開したようです。
私たちは仕事を再開いたします。今回のことでお亡くなりになられた方々には哀悼の意を表します。
私たちが喜びと希望に満ちた新たな生活を再び始めることが、何よりも(お亡くなりになられた)方々の思い出に対して報いることだと思っています。
非常に困難な時は過ぎ去りました。やがてあなた方にも夜明けが戻ってくることでしょう。それは我々にとって既に輝かしい光となっています。クリエーションからもたらされる贈り物のように、美しきものの数々と調和を保ちながら、私たちは愛を持って一生懸命、再び共に働くことでしょう。
この一連の文章には「闘う」といった戦場をメタファーにする表現は一切使われていません。ひたすら、自然のなかで翻弄される人間が一喜一憂しながら生きていく姿を示しています。自然を恨むことなく、自然に感謝しながら(だが、地球環境問題には言及せず)、アリストテレスの言葉を引用しています。流行の言葉やコンセプトとは無縁の独自のメッセージがあります。
高級ブランドはこの数か月、どこも社会的責任を果たすべく積極的に動いています。医療施設や医療従事者への寄付金、あるいはマスク、防護服、医療器具のコンポーネントの生産などです。
一方、ラグジュアリーの新しい意味として、特に若い世代から社会的責任が希求されています。この動向とその背景について昨年末に以下に書きました。
多くのデマ情報が飛び交う現在、いかに「まともな情報」をとるかが注視されていますが、同時に今後のあり方についても「予測」「予想」「なって欲しい姿」が多く出回っています。そのとき、言葉を丁寧に選びながら深い指針を発信しようとしているか、その態度と姿勢を見分けることが大切だと思います。その一つのモデルとしてブルネッロ・クチネッリに学ぶ点は多いと感じています。
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