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『えんとつ町のプペル』と誰もが複業社会【日経COMEMOテーマ企画】

「複業」はお金ではなく、自己実現と成長が主題

近年、注目を集める「複業」は大企業を中心として推進しようという動きが強まっている。「複業」は、収入増を目的とした「副業」とは異なり、成長や自己実現などのキャリアの文脈で語られる。そのため、複数の企業で働くだけではなく、週末起業やフリーランス、プロボノやボランティア活動も入ってくる。

広義な意味で言えば、会社員をしながらガンプラのコンテストに出展して世界大会を目指すモデラ―や、インターネット上で趣味の漫画やイラストを公開しているのも「複業」だ。必ずしも「複業」から収入を得る必要もない。そういう意味では、収益化が保証されていない状態で動画投稿を始める Youtuber は、近年、最も人気のある「複業」だと言えよう。中には、人気バイクVlogerの「稀に暇なOL_なっちゃん」のように本業があることを売りにしている Youtuber もいる。

このように、「複業」は誰もが行うような社会に変わってくるのだろうか。日経新聞では、「#肩書を複数持つ必要ありますか?」というテーマで記事を募集している。しかし、そこに違和感がある。これだけ失敗が許されず、夢を語る人に対して冷たい現代社会で、成長や自己実現のために「本業」以外に精を出すことを企業や世論は許してくれるのだろうか?夢に挑戦した結果や過程で、ネットや周囲からの誹謗中傷に晒されて、心が折れることはないだろうか?

「複業」は自分の夢に対して真摯でいること

自己実現や成長を目的とする「複業」は、自分は何をしたいのか、何をしているときが幸せなのかという夢の有無が大切だ。夢というとたいそうなものに聞こえるかもしれないが、「今夜はカレーライスが食べたい」だって日常生活の中の立派な夢だ。自分の「したい」「好きだ」という声に素直になり、真摯に向き合うことが夢を持つことになる。

夢というと、11年前の頃を思い出す。大学院の入学前、会社を辞めて入学までの暇な時期に名古屋のホテルでアルバイトをしていた。そこのアルバイト仲間は、外資系の有名ホテルだったこともあり、サービス業界で一旗揚げようという夢のある若者が多かった。そのときの友人の一人は夢を叶え、現在は銀座の有名フレンチレストランのソムリエだ。しかし、ただのフリーターでしかなかった11年前、彼の「一流店のソムリエになる」という夢は冷笑の的だった。

夢を語る若者に対して、周囲の人々は冷たい。現実を見ろと言い、厳しいことを言ってくる人もいる。親であっても、背中を押して応援してくれるとは限らない。

若者の夢を叶える応援をしているラーメン屋「夢を語れ」の代表である西岡氏は、米国ボストンで成功をおさめた後、日本に帰国して積極的な店舗展開をしている。そこには、「米国で若者に夢を語ってもらっていた時、日本と韓国の若者は夢を語ることができない」という問題意識が背景にある。自分の夢を語ることに対して、日本と韓国の若者は臆病だ。

ホフステードのIBMでの調査やハウスのプロジェクトGLOBE、メイヤーのカルチャーマップなどの意思決定に関する国際調査では、日本人の特異性を明らかにしている。日本人は不確実性を嫌い、理不尽なことでも上位の人の言うことに対して異を唱えることはしない。「夢」は不確実性の塊だ。不確実性を嫌う社会では、夢を追うことは推奨されにくい。また、親や学校の先生などの年長者からの意見が若者の意思決定に及ぼす影響は大きい。年長者や上位者が過去の経験から導いた意見は、あたかも正解のように扱われ、自分の夢について考える機会すら持ったことがない若者も多い。

つまり、文化的に日本の社会は若者が夢を持ちにくく、持っていたとしても挑戦することが難しい構造的な問題を抱えている。しかも、「空気を読む」という日本社会の特徴も、夢に挑戦することを躊躇させる。夢を明らかにして行動することは、周囲との足並みを崩し、出る杭として打たれる対象になりやすい。

複業は「えんとつ町」で星空を信じるのに近い

企業で働いている人が、複業をしたいと言ったとき、職場の人はどのような反応をするだろうか。「それは素晴らしい。やりたいのなら挑戦しなさい。」と言ってくれる企業や上司を持った人は幸せだ。しかし、「そんなことよりも本業に専念しろ」と叱責されたり、「やっても良いが本業との関係を考えろ」と制限がかけられることが多いのではないだろうか。

本業以外に何かを挑戦しようとする話を聞くとき、お笑い芸人の西野亮廣氏を思い出す。お笑い芸人として人気絶頂だったとき、絵本作家に挑戦し、クラウドファンディングや企業経営など、新しいことにどんどんと挑戦していった。しかし、世の中の反応はそんな西野氏に冷たく、「本業のお笑いだけやっていればよい」という声は少なくなかった。

そんな西野氏が率いるアーティスト集団の作品『えんとつ町のプペル』は、煙突だらけで煙で空が覆われた町が舞台だ。ゴミ人間のプペルは化け物だといじめられ、煙突掃除の少年ルビッチは「煙突の煙の向こうには星空がある」と言って嘘つき呼ばわりされていた。西野氏は作品の舞台であるえんとつ町のことを『夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会の風刺』と述べている。

複業を本気でやりたいのであれば、人々は自分の「好き」「したい」という内なる声に素直になり、夢を見つけることから始めなくてはならない。夢はなんだっていい。

複業が当たり前になる社会は、「えんとつ町」ではあり得ない。プペルとルビッチのように「えんとつ町」でも夢を持って諦めない人はいる。作者である西野氏もそのような人の1人だ。しかし、そのような社会でも頑張れる人は一握りだ。当たり前の社会と言えるほど、大きな変化は起きない。

また、社会はより大きな世界とのかかわりの中で相対的にあり方を決める。厳しい環境でも生き抜く人材だけに頼ると、しっかりと環境整備ができた諸外国に置いて行かれる。結果として、途上国日本ができあがりかねない。

複業が当たり前とするために、夢に寛容になり、夢を応援できる社会を作ることが重要だ。文化は一気に変わることは難しいが、自分の行動や周りの人間関係を変えることはできる。複業を推進したいのならば、まずは自分の行動と自分の周りの意識を変えることから始めよう。他人の夢に寛容になり、応援できるようになったとき、誰もが複業で自己実現や成長に結びつけることができる。


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