テクノロジーの未来について、過度な悲観も礼賛もしたくない
はじめまして、明日開催されるCOMEMOリアルイベント「COMEMO FES」、セッション2の「テクノロジーに優しさは込められるか」に登壇をいたします、市原えつこと申します。
© etsuko_ichihara
「死者と49日共生することができるロボット」「触ると艶かしくあえぐ大根」「都市のナマハゲ」などを作っている、謎のデジタルシャーマンです。よろしくお願いいたします。
http://www.sensors.jp/post/funeral_technology.html
明日のイベントのトークテーマに関連してひとつ物申したいことがございます。
人工知能が仕事を奪う、といたずらに警鐘を鳴らしまくり不安を煽るマスコミの論調に中指を立てたい
いきなり強い言葉を使ってしまって恐縮ですが、お笑いに特化した人工知能「大喜利β」を開発するベンチャー「株式会社わたしは」代表の竹之内さんよくボヤかれている内容でして……
http://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/1063592/022100008/?rt=nocnt
竹之内さんはややパンク精神の強い方ですが、それにつけても巷で流布する人工知能をとりまく言説に過剰な悲観論・焦りを促すようなものが多すぎるのは私も気になっているところであります。
そもそも、仮に実際にAIから仕事を奪われたとして、労働から解放されることは人間にとって悪いことなのかどうかが疑問です。
例えば、件の「株式会社わたしは」は、新入社員を「会社のヒモ」にするという謎すぎる経営判断を下したのですが(下記参照)
http://blog.etsuko-ichihara.com/himovisor
労働から解放された会社のヒモは動画制作にハマり、中国語を習得し、中国市場の巨大動画サービス「ビリビリ動画」の日本人配信者としてジワジワと人気を集め始めているようです。
心底楽しそうにイキイキと活動をする会社のヒモのその後を観察するにつけ、「人間、誰しも無理に働かなくてもいいんじゃね?」という疑念を持たざるを得なくなってきました(とりあえず私は、今すぐに確定申告から解放されたいです)。
その一方で、逆に技術革新が人の苦しみを全て救済するとはとてもじゃないけど思えない
技術革新に対する度を越した悲観がナンセンスな一方で、逆に過度な期待や礼賛も失望を生むと考えています。
人間はどこまでも難儀で業の深い生き物です。太古の昔から人間はずっと、恋愛・男女関係・痴情のもつれについて悩んだり、地域社会や所属集団での人間関係に悩んだり、死の恐怖に苛まれたり……ヒトのそういった本質は表面的な生活が便利になろうが、そうそう変わるものではありません。
科学技術の進化は、人間のこんがらがった深い業まで救済できるのでしょうか?
https://japan.cnet.com/article/35082102/
SNSが発達することにより、かえって社会の中でいらないものが見えるようになってしまい、日常的に感じる劣等感、焦燥感が強まった側面もあります。
整形や自撮りアプリでどこまでも美しく加工された「盛り」イメージやインスタジェニックなキラキラ写真が流布することの空虚、LINEいじめ、ロシア発祥の死のゲーム、、、現状でも既にいろいろと綻びが生まれている。もしもバイオテクノロジーの進化で寿命が伸びて老いない身体を得ることが可能になったとしても、それはそれで何かと面倒臭いことが起きそうな予感しかしません、だって人間だもの。
そもそも「老い」や「死」は本当に不幸なことなのか? ということも、49日ロボットの開発を進行する中で疑問に思っています。
「死」というのは1日の終りに安らかに眠るようなもので、それが訪れないというのはまるで永久に終わらない1日を過ごしているようで地獄じゃないかなと。
明日3/10、鶯谷・ラブホ街のダンスホールで会いましょう
……などなど、とりとめなくなってきましたが、政治思想のごとく過激に右左に振れて報道されがちに感じる未来構想について、柔らかい頭と適度に楽観的で地に足のついた中庸の観点からみなさんとディスカッションしたいと思います。
それでは明日、現場でお話しましょう!! 49日ロボットも連れてきます。