メイクはマナーか娯楽か?パワポで整理したら、すっぴんで出社できる未来が見えてきた。
今月の日経COMEMOのテーマは「会えない時代になぜ装う」。
この時代におけるメイクの意味を問うものだ。
メイクに疎い僕は、今回のテーマはスルーしようとしていた。しかし先日、電通若者研究部で実施したインターンシップの発表会に参加し、少し考えが変わった。
このインターンシップは、学生たちがそれぞれ「私がほうっておけないこと」をテーマに持ち寄り、その解決アイデアを発表するもの。
参加した12人の学生のうち、2人が「ほうっておけないこと」としてメイクの話題をあげていた。
1人は「男性だってメイクがしたい」という男子学生の課題意識から生まれたアイデア。
もう1人は「高校生はなぜメイク禁止なの?」という女子学生の課題意識から生まれたアイデアだった。
なるほど。
確かに今、メイクの意味が変わりはじめているのかもしれない。
そこで例によって、パワポを立ち上げ、メイクについてのモヤモヤを整理した。すると見えてきたのは「すっぴんで出社するのが当たり前の未来」だった。
今日はそんな話。(読了まで約3分)
■そもそもメイクは誰のためにするのか
メイク素人としてまず考えたいのは、その理由。
つまり人はなんのためにメイクをするのか?という疑問だ。
「自分の気分を上げるため」
という内発的な動機もあれば、
「しないと周囲に言われるから」
という外発的な動機もあるだろう。
「また、コンプレックスを隠したい」
というマイナスをゼロにするパターンと
「もっとキレイになりたい」
というゼロをプラスにするパターンが存在することに気づいた。
2×2で表現するとこうなる。
もちろん実際にメイクをする際の気持ちは、これらが混在している。
よって、すべてにかかる真ん中を中心として「自分はどっちの方向に寄っているかな」程度に考えてもらいたい。
■お金になるのは、左上のメイク
化粧品会社などがブランドイメージの広告で訴求するのは主に左下だ。
そこにはメイクをすると自分の気分が上がる、自分を好きになれる、と言った「娯楽としてのメイク」でポジティブな表現が並ぶ。
一方、販売促進用の広告となると、その表現は左上に傾く。
シワを隠せる。シミを隠せる。など、ユーザーのコンプレックスを刺激して、その解決方法として自社の商品を売り込む。
どちらが目先の利益に近いかという視点で見れば、左上であることは明らかで、通販のダイエット商材などが顕著な例だろう。
つまり目先の経済を回そうとしたら、人のコンプレックスを刺激すればいい、ということになってしまう。だが、最近この流れに対する業界の取り組みとして、このニュースが話題になった。
確かに商品に効果があれば、一時的にコンプレックスが解消され、自己肯定感は高まるかもしれない。
一方で、この手の広告は社会的にコンプレックスを認定する行為にもなる。そもそも、それをコンプレックスに感じていなかった人にまで「それは恥ずべきことです」と押し付ける行為だ。
太っていてはいけない。
シミがあってはいけない。
シワがあってはいけない。
どんどん社会の生きづらさが増幅する。
この流れには、そろそろ歯止めをかけなければいけない。
■メイクは娯楽ではなく、マナー
一方でノーメイクはマナー違反、という世間の声もある。
ノーメイクで出社するのなんて、だらしがない。
結婚式でノーメイクなんて、相手に失礼だ。
など、これらの声は「メイクは誰かのためにするもの」という価値観に基づいている。
例の表でまとめるとこうなる。
この右側のゾーンでは、メイクはマナーの一部とされている。
メイクをするか、しないかの基準は自分がしたいか、したくないかではない。周囲の状況に合わせて、するべきか、しないべきか、ということだ。
特に注目したいのは、右上の象限だ。
女性がノーメイクで勤務するのはアリ?ナシ?の議論はこれまで幾度となく繰り返されてきた。
ただ、過去のYahoo!知恵袋の回答などを見ると、この10年で少しずつ変わってきた。会社でノーメイクはナシ派が減り、アリ派が増えてきたように感じる。それでもまだ、ノーメイク勤務は非常識派も根強いし、実際にノーメイクで堂々と出社している人も少ないだろう。
そこで次は、ノーメイク状態である「すっぴんであること」について考えてみたい。
■すっぴんはゼロか、マイナスか
あなたは「すっぴん」という状態を、どう捉えているだろうか?
0を起点とした以下のような図があるとしたら、すっぴんはどこに入るだろうか?
おそらくノーメイク勤務は非常識派の方々は、すっぴんを -1 の位置に置いているだろう。
ただ、このすっぴんを -1 と捉える価値観を「世間の当たり前」にしてしまうのは問題がある。
理由の一つには、やはり男女差が挙げられるだろう。
すっぴんで出社して批判される男性は見たことがない。最低限の清潔感さえ満たせば、一般的に男性はメイクをしなくても出社していい、とされている。
一方で女性は清潔感があっても、すっぴん勤務がNGなのであれば、女性は産まれながらにしてハンデを背負っていることになる。
メイクには時間もお金もかかる。
女性にだけそれを負担させる社会が当たり前だとしたら、メイク減税やメイク休憩、メイク時短勤務といった措置も同時になされるべきだろう。
と、すっぴんの概念を難しく考えてみたが、シンプルに
そもそも「すっぴん」って、ゼロって意味じゃないの?
と考えてもやっぱりおかしい。
言葉の意味からしても男女に関わらず、すっぴんは-1ではなく、0と捉えるのが「当たり前」だろう。
■生きづらさと、美しさ
こうして考えてみると、メイクは「生きづらさ」と密接に関係していることがわかる。
シミやシワを「隠すのが美しい」とする世間は生きづらいし、すっぴんで社会生活を送れない世間も生きづらい。
コロナ禍をきっかけに、こうした美しさの再定義も必要になってくるだろう。
それが結果的に女性らしさ、男性らしさという生きづらさも解消する。そして生きづらさが解消することが、1億総活躍社会につながっていく。
あなたが堂々とすっぴんで出社することは、そんな未来を近づける行為にもなるだろう。
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