標準化とご当地主義の功罪:日本が生き残れる標準化の在り方とは
みずほ銀行が今年に入ってから6度にわたるシステム障害を起こしたことが問題になっている。同行は過去にも大規模な障害を幾度となく起こしているが、この記事にもある通りシステムの開発管理が多数のベンダーにわたって複雑化しており、それが一つの原因になっているのではないかと推測される。
実はこの問題は何もみずほ銀行に限らず、日本社会に広く存在している問題である。
この記事が指摘しているように、各自治体が運用しているシステムも大きく見ればみずほ銀行と同じような問題を抱えていると考えることができるだろう。
みずほ銀行は複数の銀行が合併して出来たものであり、各銀行のシステムをそれぞれを引き継いだ結果が、複雑な運用管理体制につながっているのではないだろうか。
今後デジタル庁が自治体のシステムを標準化していく上で、このみずほ銀行の教訓を生かし、同じ轍を踏まないようにすることが重要である。
こうした ITシステムに限らず、日本は伝統的に個別の顧客のニーズに対応し、きめ細やかなおもてなしを利用者に提供することを旨としてきた、といってよいのだろう。
これは裏返せば、標準化とは逆を行く発想である。記事の言う「ご当地主義」を重視し個別性を重んじれば、標準化とは反対の方向に物事が進んでいくのは当然のことだ。
すでにハードウェアの世界では、かつては個別化が当たり前だった鉄道車両でも標準化・基本構造の共通化が日本でも定着し始めている。以前は各鉄道事業者や製造メーカーが個々に設計して独自の車両を開発してきたが、昨今では共通となる車両のプラットホームを利用し、そこにモジュール的に各鉄道事業者のニーズに合わせたカスタマイズを施すという開発手法が日本でも一般的になってきている。
すでに走り始めている相鉄のこの車両も、開発製造元はJR東日本系列の会社であり、JRを走る車両と基本構造は共通のものだ。日本の鉄道メーカートップである日立製作所など、各社も独自のプラットフォームをもとに納入先の鉄道事業者のニーズに合わせた車両を製造・納入している。
目に見えるハードウェアの分野ではこうした動きが進んでいるが、広義の「ソフト」の分野は日本ではまだまだこうした取り組みが十分ではないと感じる。目に見えるハードウェアと目に見えないソフトウェアの違いが影響しているため、意識されにくいからであろうか。
意識的ではない部分があるために、作ろうとしているソフトウェアが標準化とは逆の方向に進んでいることに気が付きにくい。それが結果的にトラブルに対する脆弱性や、開発のみならず保守・メンテナンスを含めたコストの増大を産んでいるのだと思われる。
外資系流通のメトロが日本撤退し、過去にもカルフールなどが日本での事業に苦戦したという点を見ると、標準化されておらず複雑な日本社会の仕組み(広義のソフト)が外資に対する参入障壁になっているとも考えられる。これによって自国の産業を保護できている、という考え方も成り立つだろう。
だが、これは全体としては顧客・エンドユーザーのベネフィットに結びついているわけではなく、中間コストが増大しているだけである。もちろんそこで雇用が守られるという効果はあるかもしれないが、言うまでもなく日本はこれから働き手が少なくなっていく社会である。今後は「雇用を守る」という発想よりもむしろ、いかに限られた働き手が必要な場所で必要な仕事をしてもらえるのかということが重要であり、そうした最適配置を通じて雇用を守っていくことが必要になってくる。頭数としての雇用者数を守れば良いというのは既に過去の話である。
このメトロ撤退の記事の後半で印象的なのは、なぜマクドナルドやスターバックスが日本でも成功したかという分析だ。この記事によればライフスタイルを提案することによってエンドユーザーつまりは消費者に受け入れられ、日本に定着できたと分析している。価格の安さが受けたのではなく、新たなライフスタイルを提案したというところにポイントがある。
みずほ銀行など銀行にしてもそうだが、最近になってようやく振込手数料などの引き下げの動きが出てきているが、これまではどの銀行もサービスが横並びであった。手数料だけでなく提供するサービスの内容をソフトウェアを最適化することによってより柔軟に作ることができるようになれば、ユーザーに対して新たな銀行の体験、ファイナンスに関する新たなライフスタイルを提供する基礎にならないだろうか。
行政システムのデジタル化についても同様であり、デジタル化 やDX を推進したり、それについてこれない住民をどのように対応するかという視点も非常に大切だが、一方でデジタル化することによってこれまでの行政の概念を変えるような体験を生みだし、お役所仕事とは思えないような行政のサービスのあり方を提示できるのであれば、これもまた住民のライフスタイルを変えていくことに繋がっていくだろう。
どうしてもソフトウェアの標準化というと、素っ気ないスピードアップやコスト削減という点に目が行きがちであるが、そこだけを目指してしまうとまさに標準化に優れた外資系の草刈場になってしまう恐れは否定できないだろう。しかし日本のユーザーが望むライフスタイルを提示すること、価格や効率などではない面でのメリットをどのように築くかという点にフォーカスしてソフトウェア面での標準化を進めていくのであれば、それは銀行であれ行政であれ、日本らしいあり方として外資系が容易に参入できない障壁とすることができるのではないだろうか。提案される新たなライフスタイルが魅力的なものであれば仮にデジタルに疎い人であってもそれを使いたいと思うようになるだろうし、それが使いやすい仕組みになっていればなおさらその利用のハードルは下がっていくであろう。
例えば。従来であれば S・M・L や大・中・小というドリンクのサイズの呼び名を、ショート・トール・グランデと、分かりにくいかもしれないが斬新な呼び名にしたスターバックスが、そのほかの点も含めて全体的に新しい顧客体験を構築したことで、今は年配者にも受け入れられている。これも新しいライフスタイルの提案だったということができるだろう。
DX というと、どうしてもデジタルの無味乾燥さやデジタルが苦手にな人にとってのハードルにフォーカスが当たりがちだが、いかに魅力的で快適なライフスタイルを提案できるかという観点を念頭において進めていけば、目指すデジタル化や標準化を達成しつつ、日本らしく、かつ外資系に席巻されてしまわないものになるのではないだろうか。
デジタルにも文化性が求められているということを改めて指摘しておきたい。
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