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損得勘定もできない人間は、損得感情の赴くまま餓鬼と化す

公明党の18歳以下一律給付のゴリ押しからドタバタとなっている給付金問題も含めた財政支出が今日閣議決定されたようだ。

事業規模78.9兆円ともあるので、一体中抜き業者にどれだけ利益が供与されるのかっていう話もあるが、今回の給付金騒動の最大の問題点は、国民同士の分断と対立を招いたところにある。

「18歳以下の子どものいる世帯2000万収入の富裕層に金を渡して、たとえば19歳の大学生を抱えるひとり親200万世帯は見殺しにするのか?」とか、所得制限の話が出ても「専業主婦で旦那が1000万で子ども2人の世帯には1円も配らないのに、共働きでそれぞれ900万の世帯は1800万の収入があるのに配るのか」とか、いろいろ。

そもそも、本当に経済的に困窮している子どもたちに支援をすることに誰も反対などしなかったはず。スビートが重要だというなら全員に配って、高所得者はあとから課税すればいいだけ。

なんでそれができずにグダグダするのいえば、これが困窮者支援政策でもなんでもなくて、ただの公明党の選挙対策だからです。次の参院選挙で公明党がどや顔したいだけの話でしょ?国民はみんな見透かしているし、あんまり舐めない方がいい。

「無理がある」のは公明党の方ですよ。

本来誰も文句言うはずのない困窮者支援にこんだけ非難が集まってしまったのは、人間の損得感情を知らなすぎるお粗末さによる。誤字ではありません。損得勘定ではなく感情です。

損得勘定はとかく道徳的によろしくないことと言われたりもしますが、損得勘定は大事。それができない人間は社会生活が送れないに等しいのだから。そして、同時に、どんなに合理的な人間であっても不合理な選択をします。実は、それもまた社会の中での人間の生きる術なのである。

胸に手を当てて考えればわかるが、人間誰しも、相手に損をさせられるなら自分が損をしても構わないという意地悪行動をしがち。なぜ、そんなことをするかというと、それが感情的に得だからだ。確かに、金銭面など物理的に損を被る可能性はあるかもしれないが、それを差し引いたとしても感情的には得ならば断行する。それが人間というもの。多くの不合理な選択はそうして実行されている。それが損得感情。

損得勘定と損得感情は、その両方とも誰もが内包するもの。当たり前の話であって、別に悪いことではないし、捨て去る事もできない。だからこそ、感情と勘定のいい塩梅で付き合っていかないといけないわけです。

実は、恋愛や結婚だって、損得勘定と損得感情のバランスの中で動いているもの。どちらが欠けてもよくない。東洋経済オンラインでの連載でそのことを書きました。興味深い思考実験の結果を公開しているのでぜひお読みください。

嬉しい感想もいただきました。

ところで、厄介なのは、損得感情が行き過ぎること。かなり危険な思想になる。

最近一部界隈で炎上している温泉むすめの話、ご存じでしょうか?

少し前に日経やNHKでさえ取り上げた松戸警察のVtuberの話もそうなんですが、

自分の感情の得だけのために、相手方の感情を害するにとどまらず、相手方及びその家族や関係先である多くの人々の収入や生活までも損に陥れようとする動きです。得するのは「不快だ。削除しろ。謝罪しろ」と最初に騒いだ人間の感情だけであって、それ以外、今まで何か月も準備してお金をかけて汗水流して作り上げたものを破壊されるだけではなく、そうした関係者の生活と尊厳と生命までを脅かす行為であることに間違いはない。

損得というと、浅はかな人は主観的な得だけを求める概念だと思うようですがとんでもない。得をするためには、自分の得だけ求めたら実現できない。

たとえば、ホールケーキを8人で分けるとしましょう。全員が自分の得だけを考えて奪い合ったら、最終的にはケーキを分けるのではなく、自分以外の7人を殺してしまえばいいという判断になる。まさに上記の界隈の人間のやったことはそれそのもの。

8人で分けるという前提にたった時、自分の取り分が最大になる=自分が一番得をするということは、きれいに8等分するということになるんです。冷静に考えれば。

損得を勘定するということは、自分だけではなく周囲の人たちも含めての最大公約数の得を考えなければ成立しない。シェアとは根本的には自分の得をまず第一に考えられないとできない話なのです。

逆に、損得感情は自分が損や犠牲になっても厭わないという愛も含むが、同時に憎しみや怒りも含む。往々にして、自分が損してまで相手を傷つけようとする行為にもなる。その悪感情は伝染しやすい。最終的には芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように全員が損するだけ

これも拙著「ソロエコノミーの襲来」にも書いたように、人間は感情によって行動し、やった行動を理屈付けしているだけ(私は理性的に判断して動いたなんていうのは後付けの理屈です)なので、仕方ないといえば仕方ないのですが、だからこそ、感情を勘定する客観的な冷静さが必要なのです。


よくこういうことを言う人がいます。

結婚を、まず先に損得で考えている人は、結婚とは一生無縁でしょうね。独身でいた方がいい。男女共に相手を深く傷付けるだけです。

新興宗教とかがよく使う手ですが、こういうことを言う人間から離れた方がいいです。こういうこと言う婚活コンサルとか仲人がいたらモグリなので信用できない。

損得で考えようがいまいが、一緒に暮らす以上相手を意図せずに傷つけることはある。一生一回も傷つけない・傷つけられない関係性など存在しない。傷をつけることが悪いのではなく、つけてしまった時どう介抱したほうがいいのか、今後起きないためにどう話し合えばいいのか、そういうことをひとつひとつ積み上げていくのが結婚ではないの?言ってしまえば、傷をつけ合い、互いに痛みを知り、傷つく前より互いに強靭な身体(=関係性)になっていくもんですよ。

人間関係なんて所詮すべて摩擦。摩擦である以上傷つくこともある。しかし、摩擦であるからこそ温かくもなるんです。損得を全く考えていない相手と何十年も子どもを抱えて生活なんかしていけるわけがせない。

耳障りのいい言葉だけをいって、現実を見せないようにするような甘言には惑わされない方がいいです。

政治も自分達の選挙のことばかり考えていると、その蜘蛛の糸、切れますよ。

備考

今回の記事にもたくさんのヤフコメが付きました。、備忘録として以下何個かピックアップとともにレスも掲載します。

近年、未婚の男女が増えているとはいえ結婚している、もしくは結婚したことがある人の方がまだまだ多いのはなぜか。そこを考えた方がいいのではないだろうか。結婚している人たちのほとんどが損得勘定で考えて、得をするから結婚した、というわけではないだろう。損得ではない何かがあるから結婚するのではないか。私は損得勘定なんかで考えるものではないものだと思っている。あと、私は40過ぎの未婚のおっさんだが結婚願望は昔からあった。しかし結婚どころか未だに彼女すらできたことがない。結婚したかった。

途中までこの方は既婚者できっと幸せな結婚生活を送っているのだろうなあ、と思って「うんうん」と納得しながら読んだらまさかの最後、まるで落語のようなオチでしたw


損得勘定で判断している人は、”現在”の損得しか見ていないと思う。その先10年後はどうなっているか、その時の損得はどうか、そういった長い視点で考えだすと今の損得なんてどうでもよくなったりもします。そもそも損得でしか考えていない人と一緒に住む時点で、こちらが損をしますし(笑)

結局、この人も損得で物事を考えているというのを最後に自分で暴露しているという…。自己矛盾であり、自己論破の典型。ありがとうございます。


結婚をしない(出来ない)人はきっと変わった性格をしているんじゃないのかしら。当たり前の人生や当たり前の幸福って事があります。

2015年くらいまで、僕の記事に対しては8割くらいこういう反応だった。いまではほぼ見かけなくなっていたのだが、まだこんなこと書く人がいるのですね。相変わらずお元気そうで何よりです。

結婚なんて所詮趣味の一つだな。余裕があればやればよろし。自分の場合は金銭的には明らかに損だけど結婚したよ、趣味だから気にならんな。

これはひとつの真理。結婚もひとつの消費だし、そもそも恋愛強者とは恋愛オタクだし、家族が大好きな親は家族オタク。そこへの出費も時間も全く無駄とは思わないもの。



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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。