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「わかりやすさ」を求め過ぎるというリスク
白か黒かをハッキリさせたい。世の中には、そんな風潮が蔓延してますね。「どっちとも言えない」みたいな姿勢は、すぐ批判されたりします。日和ってないでもっとハッキリさせろ、ということでしょう。とにかく「簡単に、すべてをわかりやすく説明すべき」という社会からのプレッシャーは、ますます大きくなるばかりだと感じます。
だからこそ、いつも一言でズバッと断言する人に支持が集まりがちです。その方が分かりやすいし、聞いていて気持ちがいいのだと思います。そしてそのように何でも「言い切れる」人こそが、優秀で頼もしいリーダーであると見なされる風潮が強まっています。
しかし、それは本当でしょうか? ものごとをわかりやすく説明できる能力はたしかに重要ですが、白か黒か、善か悪かを独断でズバズバ斬るだけの人が本当に優秀なリーダーとは限らないはずです。むしろこれは、歴史に悪名を残した独裁者たちに共通する性質でもあります。だからこそ、これを単純に理想的なリーダー像に強く結びつけるのは危ういと思うのです。
「彼は〇〇な人間だ」「あの件は〇〇が悪い」という分かりやすい言い切りは、伝わる力は強いものの、一方で大きなリスクもはらみます。強い表現を使えば使うほど、"味方" からは熱狂的な支持が得られるでしょう。しかし、複雑で曖昧な(そして多くの場合に重要な)要素を切り捨ててしまうと、ものごとの本質的な理解からは遠ざかってしまうことになります。
人間は、それほど単純なものではないはずです。いつも一つのわかりやすい理由から動くのではなく、実際にはいろいろな要素を抱えて悩み、迷いながら行動する。複雑と矛盾の極み、それこそが人間という存在だと思うのです。
だからこそ、「複雑なものを複雑なまま受け止めようとする」姿勢や努力は、とても重要だと感じます。こういう時代だからこそです。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD076EX0X00C25A1000000/
SNSが荒れるのは、「断言が好まれる」という性質が大きく関係していると思います。特にXのように短文投稿がメインの場だと、言葉はますます先鋭化していくようになります。言葉や意味をできるだけ尖らせた方が、人の注目を得やすくなるからです。
たとえば誰かの発言の一端を聞いただけで、勢いのまま「なんてひどい人間だ」とか「そいつの考えはおかしい」と脊髄反射で反応するような人が増えています。強い言葉のほうが目を引くし、拡散にもつながりやすい。結果として、多くのリアクションやコメントを集めることになります。
しかしながら、すぐ反応する前に少し冷静になって考える時間を取ると、相手の発言を取り巻く事情を理解できることがあります。そうすると、思考停止による全否定ではなく、(少なくとも一部は)相手に共感できる部分が見つかるかもしれないのです。
人間、シンプルに判断してしまう方が、楽なんですよね。きちんと考えることはしんどいし、時間もかかる。だから、どうしても安易な判断や言い切りに走ってしまいます。これが単純さ、分かりやすさへ走ってしまうリスクです。この風潮が強まると、さらに世の中の分断は進んでいくことになるでしょう。
いま、「きちんと考える」という姿勢はあらためて大切だと思います。しかし、情報の取得量が膨大になればなるほど、それら一つひとつを自分の頭で考える時間はどうしても減っていきます。そして、無意識のうちに分かりやすさ、シンプルさだけを求めてしまう。
これは、ある意味では人間としての退化といえるかもしれません。複雑なものを複雑なまま受け止めようとする努力、これを決して放棄してはいけないと思うのです。
忙しい中でも「考える時間を意図的に確保する」ことを、意識して続けていきたいと思います。
SNSでのコミュニケーションにおいても、見た目のシンプルさに誘惑されず、複雑さや多様性に向き合う姿勢を忘れないことが大切ですよね。安易な断言に流されず、自分なりに、ものごとの本当の背景をきちんと理解しようとすること。
あらためて、気をつけていきたいと思っております。