なぜ購買力平価は無力になったのか?~「過剰な円安」の意味~
約1年半にわたって円安・ドル高が続く中、購買力平価(PPP)に照らして乖離が大きすぎる状況、言い換えればPPP対比で「過剰な円安」は長続きしないのではないかという照会を未だに受けます。本当のところは事後的にしか分かりませんが、このような疑問について筆者は2点指摘する必要があると思っています。第一に、ドル/円相場がPPP対比で上離れし始めたのは今に始まったことではないということ。第二に、「過剰な円安」と言い切るには輸出数量増加を伴う必要があること、です。双方の論点は合わせて理解すると良いでしょう。PPPの裏返しとも言うべき実質レートで見ても半世紀ぶりの円安は相変わらず新聞紙面をにぎわせています:
まず現在の水準をおさらいしておきたいと思います。長らく実勢相場の上限と見られてきた企業物価ベースPPPは6月時点で92円と実勢相場(6月時点の141円)に対して50%以上、円高・ドル安です。もはや何の参考にもならない尺度になり下がってしまったと言えます。次に、歴史的にはプラザ合意直前の著しい円安・ドル高でしかタッチしたことの無かった消費者物価ベースPPPは108円と実勢相場に対して30%以上、円高・ドル安です。歴史的にはタッチすることすら殆どなかった尺度でも今のドル/円相場を捉えることはできていません。なお、元々輸出物価ベースPPPは殆ど用いられることがありませんが、一応示しておくと、現在は60円です。
かねてPPPは切れ味の良い尺度ではないものの、これほど実勢相場から乖離することもありませんでした。円高局面では頻繁にその水準への回帰が議論されたものだが、もはやそういった声はありません。あまりにも使えなくなったので口にする人がいなくなったというのが実情に近いと思います。
「過剰な円安」と言える条件
ここで強調したい1点目として上述した「ドル/円相場がPPP対比で上離れし始めたのは今に始まったことではない」という点に戻ります。図に示すように、長年参照されてきた企業物価PPPは2013年以降、はっきりと上抜けされており、そこから二度と割り込んでいません:
よって、PPPと実勢相場を比較するにあたって、大きな変化見られ始めたのは最近1~2年というよりも最近10年と考えるべきでしょう。では10年前に何があったのでしょうか。この点、過去のnoteで繰り返し議論している論点ですが、日本で貿易黒字が消滅し始めたのが2011年以降であり、その後、貿易赤字が定着、拡大するような動きがみられました。
ここで強調したい2点目である「『過剰な円安』と言い切るには輸出数量増加を伴う必要がある」という事実が重要になります。結局、PPP対比で「過剰な円安」という評価が現実化するには、その「過剰な円安」によって輸出数量が増加し、貿易黒字が積み上がり、それが実需の円買いとなって現れて円高になる必要がある。そこまでのルートが確立して初めて、最初の水準が「過剰な円安」だったという話になります。しかし、もはや「円安→輸出数量増加」という経路は機能していません。2021年以降、これほど円安・ドル高が進んでも輸出数量は目に見えて減少しています。2013年以降のアベノミクスでもそうだったはずです:
もちろん、「過剰な円安」かどうかは色々な尺度があるので軽々に断言はできません。しかし、PPPが円高・ドル安へ修正されるための経路として輸出増加や貿易黒字増加は必要な現象であり、それがもはや期待できなくなっていることは知っておきたいところです。周知の通り、足許では消費者物価指数(CPI)に関して日本は米国よりも高い状態にあります:
仮に、こうした状態が慢性化すると、PPPはかつてのような円高水準ではなく円安水準を示唆するようになっていくでしょう。現時点ではそこまでの未来を確実視することはできませんが、人手不足が慢性化する社会において名目賃金が上がらないということは基本的には有り得ず、日本がデフレと呼ばれるような環境はもはや相応しくなってくると筆者は感じています。
これは言い換えれば「インフレの米国」と「デフレの日本」というPPP計算上は圧倒的に円高が正当化されやすい構図が既に変わっているという話であり、PPPもこれからは少しずつ円安・ドル高方向へ修正されていく可能性を示します。「修正されるのは実勢相場ではなくPPP」という目線であり、これまではそれほど注目されてきませんでした。需給構造もこれに伴う物価環境も、今の日本経済は大きな変化の過渡期にあると考えた上で、中長期の見通しを検討していくべきだと思います。