見出し画像

「自分の手柄にしない」ことをポリシーにしないと、もしかしたらチームが暗くなる、と言う話

以前マーケティング責任者として勤務していた会社でのことである。

当時その会社では、業容拡大に伴い、(筆者が管掌していたマーケティング部門を含む)営業機能全体を引越すことにした。

それにあたり、新オフィスの装飾や柿落としのパーティを、筆者が担当することとなった。
ので、その時付き合いのあった広告代理店にお願いして装飾を企画し、パーティは営業部門全体から3名ほどの若手を指名して実行部隊を組成した。

装飾の方はスムーズに行ったのだが、パーティの企画・実施はかなり難航した。社長や株主も招いてのこと、あまりハメを外す感じでもいけないし、かといって退屈なのはなお悪い。筆者は頭を捻りながら座を盛り上げる企画を考え、進行を練った。

パーティ当日。

座も終盤に差し掛かり、仕込んでいた企画も完了し、上司が中締めを宣言した。酒も進んだ筆者のところに、ある人が歩み寄りこう言った。

「いやー、今回は本当にAさんやBさんが頑張りましたね」

Aさん・Bさんは、パーティ実行部隊の若手のことである。
酒が入っていたこともあってか、筆者は、カチンときた。パーティの実行にあたっては、誰よりも自分が頑張ったつもりでいたからだ。そしてその人の言葉に冗談めかして

「いやいや、俺の仕事ですよー」

と返すと、その場は鼻白んだ空気に包まれた。

翌朝、出社してみると、何やら空気がこわばっていた。
若手の社員に話しかけても、何というか妙にギクシャクした対応なのだ。

なんとも言えない居心地の悪さを感じながら仕事していたら、実行部隊の一人が教えてくれた。前日の筆者の発言「いやいや、俺の仕事ですよー」が実行部隊に、ひいては彼ら・彼女らと親しい若手の間にショック・波紋を読んでいる由。

これには参った。

実行部隊の面々が、実際にどのように動いてくれたか、と言うことを解像度高く想像してみれば、次々降ってくるタスクを、本来の仕事もある中で献身的にこなしてくれたことはすぐに分かる。

それをせずに「俺の仕事だ」などと嘯ける無神経さ・傲慢さは、一体何事であろうか?

一度口から出てしまった言葉を戻すことはできない。
事実、このギクシャク感が解消されるまでには、何週間の時間を要した。その間は相当のロスがあったし、何よりオフィスの空気が悪く、全員が何やら優れぬ気持ちを抱えているようだった。

筆者はそれ以降、自分が相当程度関与した仕事でも、自分の手柄にするのは、固くやめる事にした。

さらに。

この気づきを得る前も、筆者は長い事社会人として働いていた。
であれば、それまでの間、自慢げに、何かをさも自分の手柄のように語ることを何回繰り返してきただろう。冷や汗が出る。

筆者がその業としているマーケティングは、コミュニケーションや商品開発など、社会の中で目立つことが多い。
ので、自分の担当した仕事に、普段の生活の中で触れるたびに、あたかも自分が会社を支えているような愚かな錯覚を強めてきていた、と言う感覚が今はある。

会社と部門は、人体と臓器の関係に似ている思う。
臓器はどれが欠けても、人体という複雑なシステムが運営されるのに支障をきたす。それと同じように、会社の部門も一つひとつが全体を支えているのだ。

会社の外だって同じである。
マーケティングは、広告代理店などのパートナー企業と共に行うことが多いが、彼らからの支援も重要な臓器の一つだ。

このように考えてみれば、全ての仕事は、全ての部門・組織の仕事であり、誰かに属していたりとか、誰かの手柄であったり、ということはありえない。

それを理解せぬ者が「この仕事は俺の手柄だ」などと口走れば、組織のワンチーム感に冷や水をかけ、以降のチームワークにヒビを入れるだけである。

「仕事のポリシー」と言うには、あまりにプリミティブなことでいささか恥ずかしいが、上記のストーリーから、筆者がポリシーの一つにしているとして「自分の手柄にしない」を挙げることにしたい。

読者の皆さんは、いかがお考えだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?