伝統工芸を現代につなぐ 〜江戸小紋の工場を見てきた
こんにちは、電脳コラムニストの村上です。
全国各地に伝承される日本の伝統工芸。担い手不足が叫ばれる中でも、興味を持った次の世代にバトンが受け継がれているものもあります。伝統工芸というと地方の印象がありますが、大都市・東京でも江戸文化を受け継ぐ工芸がたくさんあります。しかし、着物文化の中で育まれてきたものが多く、着物を着る方が少なくなった今では需要自体が先細りとなっています。この技を活かし、現代に合った商品を開発しようと努力している職人たちがいます。
わたしは茶道を稽古するようになってから、着物を着る機会が増えました。茶道具(特に茶盌)もどんどん増えてしまっているのですが、現代の職人を応援する意味でもなるべく骨董ではなく今のものを求めるようにしています。着物はたくさんの工芸品があるのですが、その中でも江戸小紋には以前から興味をもっていました。今回こ゚縁があり、新宿の閑静な住宅街にある江戸小紋の老舗、廣瀬染工場の4代目である廣瀬雄一さんに工場をご案内いただきました。
江戸小紋は室町時代くらいから、当初は着物ではなく武具に家紋を入れる染めものとして用いられていたそうです。江戸時代に入ると武士の裃(かみしも)に染められるようになり、参勤交代の際の正装としても使われることになります。そのときには他藩との違いを出すために「定め柄」が生まれました。その後、江戸の町人文化としても広がっていき、多種多様なシャレの効いた柄が増えていきました。
江戸時代では断続的に「ぜいたく禁止令」(奢侈禁止令)が出されましたが、このときに洒落者は江戸小紋の柄を細かくすることでぱっと見は無地に見える(華美ではない)ように仕立てることが流行し、その要求と共に小紋の技術も向上したと言われています。
一番下の行儀は、仙台藩伊達家の定め柄。たくさんの点が斜め45度の角度でお辞儀をしているように見えることから、礼を尽くすという意味合いがあるそうです。ちなみに、「お行儀が良い」の語源とも言われています。
このような細かい柄をどうやって染めているのか。型紙を使って糊をのせ、染めない部分をつくることで表現します。ですので、型紙の出来が非常に重要です。伊勢型紙と言われる和紙を3枚繊維を互い違いになるように柿渋で張り合わせたものを用い、専門の職人により模様が抜かれていきます。
1つ1つ彫刻刀で模様を抜いていくわけですが、素人目に見てもものすごい集中力と技能が必要なことは明白です。
この型紙を用いて、着物であれば反物に糊をのせていきます。
見て分かる通り、反物の長さよりも型紙のほうが小さいわけです。ではどうするかと言えば、ぴったりと合うように模様を継いでいきます。もちろん考えるまでもなくそうなんだろうなと思うわけですが、やるとなると大変なことです。模様がちゃんと揃うように、型紙には「目印」が刻まれています。
わかりますでしょうか。ちょっとだけ丸が飛び出た箇所がありますよね。これが、継ぎの目印です。実際に見てみると思わず半笑いになってしまうくらい難易度が高そうです。。。廣瀬さんはなんてことない感じで、ササッと目印に沿って型紙をのせていきます。
うまく型紙がのったら、糊をヘラで均一にのせていきます。
継いだところを再度みてみましょう。先ほどの写真と同じ場所で撮影したものです。
工場見学では、江戸時代から受け継がれている貴重な見本帳や型紙のコレクションも見せていただきました。型紙は柿渋で丈夫につくっているものの、和紙ですので何度か使うとダメになってしまうそうです。一部が切れてしまって染めには使えなくなったものなどを研究のために保管しているとのこと。当時の仕事がわかるものとして、現代の職人には貴重な資料でしょう。
知れば知るほどその技術の奥深さに驚愕しっぱなしの工場見学でした。反物、型紙、染めそれぞれの職人のタッグによって生み出される、江戸の美学。ストールやネクタイなどの小物もありますので、ぜひご覧ください。
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※ タイトル画像が筆者撮影