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本当は、誰かと一緒に、話をしたい

誰かと、なにか話をしたい。今日も一日、誰とも話さなかった。単身の人が増えて、誰かと人と話をする日常が減って、スマホが増えて誰かと対面で話をすることが減って、テレワークが増えて、オンラインミーティングでパソコン越しに話をしても対面で会社の人と会話することが減って、外に出ることが減って、誰かと話をすることが、格段と減った。今日も1日、誰とも話をしなかった

誰かと、なにかを、話をしたかった

1.散髪店の風景

 
散髪屋さんに、なんのために、行きますか?

長くなった髪を切ってもらうために、理髪店に行く。髪をきるという機能的に捉えたら、そうである。では、散髪をするという本質で捉えたら、髪を整えてもらうため、すっきりするため、清潔にして貰えるために、理髪店に行くということとなる。理髪師と2人で、1時間、散髪店という時空間を共有するとも捉えられる。
 
3年前にコロナ感染が広がり、緊急事態宣言が発令され、感染リスクを恐れ、理髪店が開くことができなかった。ウイズコロナのスタイルが広がり、理容店に行く人が戻った。それだけでない。
 
中国人が日本の理髪店・美容室に行く人が増えている。北京や上海でも、日本人の理髪店・美容店が増えている。なぜか。日本人理髪師の洗練された技が人気で、とても繁盛している。日本人理髪師に散髪をしてもらうと、理髪したその日の仕上がりだけでなく、2週間後、3週間後の髪の状態が違うと、日本人の技はすごいと評判のようだ。
 
日本人も、最近、理容店に行く人が増えている。散髪店に来店いただくサイクルが早くなっている。なぜか?理髪店に行くということは、髪を切って整えて貰えるだけでなく

話ができることが楽しいから行く

行きつけの理髪店の理髪師は、私の中学時代の同窓生の女性で、決して饒舌ではない。むしろ話下手で、聴き上手。施術中、お客さまが話をされるのを、そうですかそうですかとじっと聴いている、まるでカウンセラーのよう、まるで聴き役のように。お客さまは、散髪をしてもらう1時間、眼を閉じ、話をしつづけている。散髪が終わると、お客さまは、こういう。今日は、いっぱい話ができて、すっきりしたわ

 今日はありがとう、よう聴いてくれて
   また聴いてや

と言って、店を出ていく。同窓生の理髪師も、お金をもらって、いろいろな話を聴かせていただけることが楽しいと喜んでいる。それだけの話かというと、それだけではない

彼女の理髪店の来店サイクルが、1か月に1回のご来店から、3週間に1回になった。住宅街にある彼女の理髪店には、地元に住んでいる方だけでなく、遠くからの方も、外国人の方も来店され、予約困難店になっている。


理髪店は、頭を整えるだけの場所ではない

 2.ネイルサロンの風景

…そんな話を、船場の経営者にすると
 
そうなんや。うちとこのビルの2階に入ってくれているネイルサロンも、おんなじや。そこのネイルサロンは若い女性が経営していて、すごい人気で、ネットでPRしているだけで、いつもいっぱい、予約はなかなか取れないらしい


なんで、そんなに人気なんや?
と訊いたら

1時間半から2時間、ジェルネイルをしている間、目の前のお客さまと、お喋りしているんです。お話したくないという雰囲気の人には、お話はしませんが、何気ない話を問いかけると、1時間半から2時間の施術中、お客さまとずっとお話しています。お客さまは、いっぱいお話をされて、佳い気分になって、「お話もしてくれて、ありがとう」と言って帰って行かれる。ネイルの出来栄えだけでなく、


 みんな、誰かと、話をしたいんです

 コロナ禍になったから、そうなったのではない。技術の進歩による時短、効率性、利便性と引き換えに、社会全体で会話が減った

一日、誰とも会話をしないこともある、会社でも、お店でも、家でも。街は、どんどん無言化していく。街にはいっぱい人がいるけれど、誰とも話をしない。無言じゃない、スマホがあるよというが、スマホでつながって誰かと話をしているといっているが、誰かと面と向かって、会話したいという思いは募る。

街が無言化しているのは、最近の話ではない。
60年前にスーパー・コンビニが増えだし、深夜のテレビショッピングに物を買うようになり、職場のIT化で隣りに座る同僚にもメールを送るようになり、ガラケーで自席で電話する声が職場から減り、スマホでサクサクと調べものができるような気になり、会社内をうろちょろしたり現場に行くことが減り、コロナ禍の行動制限で出歩かなくなり、テレワーク・リモートワークで会社や現場やお客さまのところに行かなくなり、オンラインミーティングが主流となって対面会議が減って、オンラインショッピングが増えて、飛沫が飛ぶから黙食してください、マスクはずっとつけたままで…街から会話量がぐんと減った

コロナ禍で加速したが、その前から無言化は進んでいた。「流通近代化」という名の「販売の場」の変革のなかで、起こっていた。

販売の無言化―流通近代化が生み出したこと

昔は、買い物は、近所のお店でしていた。それが、勤め先の近くやロードサイドの商業施設でするようになった

たんに、お店の場所が変わっただけでない。お店とお客さまの関係、商いの仕組みが変わった。近所のお店で買っていた時、近所のお店の人は、なにをしていたのか?

① 近所の人のこと、お客さまの情報をもっていた
②よく知っているお客さまに相応しい提案をしてくれた
③対話しながら、なにがお客さまにとって佳いのかを一緒に吟味してくれた
④お客さまが最適な商品を選択できるように、サポートしてくれた
⑤購入と同時に、お金のやりとりをその場で行なった
⑥商品をその場で手渡ししたり、お店の人が配送してくれた
⑦買ったあと、使い勝手や不具合など困りごとがあったら、お店のひとがお客さまのところに行って解決してくれた

お店とお客さまのこれら「販売接点」がバラバラになった。お客さまと近所のお店の一気通貫の販売プロセスが、「流通の近代化」の名のもとに、バラバラになった。お客さまが買い物をする場面がひとつひとつ、無言となっていった

こうして、公設市場が消え、シャター商店街が増え、地域で作ったモノが地域で流通しなくなり、地域内で経済がまわらなくなり、お客さまと地域の店人が会話していた場所が減って、街が無言となった。そして

買い物をする楽しさやワクワク感が
無くなった
 

さらにスーパーやコンビニは、コロナ感染リスク対策のため、人手不足のため、経費削減のため、セルフレジ化にして、ロボットも導入して、流通DX化が必要だと言って、無人化を推し進めているが

それ、誰のためなんだろう?

ロボットが出迎えてくれ、入店から退店までお店の誰とも会わない、無人化した店が、未来の店だといい、さらに無言化を強めていき

 
今日も1日、誰とも、話さなかった

を増やしていく。お客さまは、そんな無人化、無言化した店を求めているのだろうか。誰かとも接点のない場、誰とも語らない店に行きたいだろうか。誰のための店なんだろう?

3.あべのハルカスの展望台からの風景

あべのハルカス展望台

あべのハルカスの展望台。日本一高いビルの展望台から、西に沈む夕陽をよく観にいく。いつも、多くの人が、夕陽を観ている。

1000年前の日本人も、西に沈む夕陽を観ていた。西に沈んだ夕陽を見て、丸い形を心にとどめ、極楽浄土を想った。日想観と呼ばれていた。

四天王寺は、日想観の中心地だった。四天王寺の西門は、極楽浄土への東門と言われ、西方浄土への往生を祈る人々が集まった。

そこは、この世の出口であり、あの世への入口だった。彼岸の中日に、西門から海に沈む夕陽を拝んで、念仏すれば、極楽浄土まちがいなしと信じられていた。

雄大な茜の輝きを見せて西の海に沈んでゆく夕陽に、祈った上町台地のこの地は、「夕陽丘」と呼ばれた。太平洋戦争に敗れた廃墟のなか、復興を祈り、復興博覧会が開催はれた場所が、日想観 の中心だった夕陽ヶ丘であり、そこに母子の街がつくられた。

四天王寺 西門

西は海。えべっさんは西の海から来られた。新たなこと、得難いことは、西の海の向こうから、やって来た。時として、それは異なるものだったり、意味が分からない、変なものに見えたりしたが、それを、受け入れ、対話して、学び、自分たちのそれまでのコトやモノと混ざり合わせて、新たなるものをつくり、成長させてきた。

四天王寺、あべのハルカスが建つ、その地から、1000年以上も前から、西の海に、日が沈む様を、誰かと一緒に観た。見終わったあと、美しいね、綺麗いねと、語りあう
 

人はひとりで生きていけない
誰かと対話して、こころを満たす

技術開発は大切である。もっともっと進歩させないといけない。しかし技術だけでは、well-being、人は佳く生きられない。技術は、社会と、人と接続してこそ、活きる

しかしモノやコトをつくったり、施設や街をつくったりする人・企業は、そんな人の心の像に目を向けていないことが増えたような気がする

人は誰かとつながっていたい
誰かと、なにかを話をしたい

人と人がつながる場と対話を、家庭、地域、社会のなかに、いかにつくりなおすかが、何よりも大切ではないだろうか。

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