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マジョリティは、マイノリティをナチュラルに搾取しているかもしれない。という少し怖い話。

あなたはポリアモリーという言葉を知っているだろうか?

「複数恋愛」や「複数愛」と訳されることが多く、

・お互いに合意の上で
・複数の人と
・同時に
・性愛関係を築く
・ライフスタイル


のことだ。

最近はテレビや雑誌で特集されることも増えてきた。

私自身も兼ねてから、日経COMEMOのキーオピニオンリーダーとしてポリアモリーについて発信してきた。


当然、批判されることも多い


批判のパターンもいくつかあるが、特に私のような男性の立場からポリアモリーを発信すると「それは相手にガマンを強いているだけで、ただの性的搾取だ(要するに、ただヤりたいだけでしょ?)」という内容の批判が多い。

それが発展して最近は「ポリアモリー(なんてトンデモない考え方)を広めると、搾取される女性が増える」という批判も出てきた。

果たして私(たち)の発信は、被害者を増やすことにつながっているのだろうか。

例によって図解を交えて、改めて整理してみた。

今日はそんな話。

■男女の経済格差とポリアモリー

まずは(私に向けられた)冒頭の批判を、構造的に考えてみる。

構造で考える際に重要なポイントは「立場を逆転させても同じことが成立するか」という視点だ。

例えばポリアモリーを主張するのは男性で、それを受容するのは女性、という部分を逆転させてみる。

この状態も「ポリアモリーは搾取」という印象になり得るだろうか。おそらくそう捉える人は少ないだろう。

だとしたら次は「なぜその印象にならないのか?」と考えてみる。

それには2つの背景がある。

まず女性がポリアモリーを主張した場合に「ポリアモリーは搾取」の印象を持たれないとしたら「女性は男性ほど性欲が強くない」という印象があるからだ。

もちろん実際は人それぞれだが、全体傾向としてはデータも存在する。これは世界共通の印象だろう。

もう1つの背景は日本特有で、いわゆる「男女の経済的格差」の問題だ。日本はジェンダーギャップが大きく、男女の賃金格差は先進国の2倍もあると言われている。

つまり日本では、

・女性は男性より収入が低い(ことが多い)
・女性は男性に経済的に依存せざるを得ない(側面がある)
・男性にポリアモリーを主張されたら(自分の指向と違っても)女性がガマンするしかない
・男性はポリアモリーという概念と、経済格差を利用して女性を(性的に)搾取することができる

結論:日本でポリアモリーは広まるべきじゃない


というロジックが、冒頭の批判の本質ということになる。

なんだか、もっともらしい気はする。

だけどもう少し、考えを煮詰めてみたい。

■格差で指向を押さえつける構造

先ほどの批判は、日本の経済状況を鑑みて「(少なくとも今の)日本でポリアモリーは広まるべきじゃない」という内容だった。

ただ日本における男女の賃金格差の改善を待たないと、ポリアモリーという関係指向(パートナーとの関係に対する希望)や、ライフスタイルが認められない、というのも少しおかしい気がする。

経済的なアップデートも、価値観のアップデートも同時になされるべきだ。

そして何より、批判の対象となるべきは「格差を利用して搾取する」という構造そのものなはずだ。

そこでまずは、ポリアモリー批判の本質をフレーム化してみた。

「格差を利用した搾取」が問題であるなら、経済的な格差はその一面に過ぎない。両者間に「差分」がある限り、それを利用して相手を押さえ込む構造こそ、批判の対象になるべきだ。

では、先ほどは男女を逆転させたが、次は「ポリアモリー(複数恋愛)」と「モノアモリー(単一恋愛)」を逆転させてみよう。

ちなみにモノアモリーとは、恋愛関係を1対1で捉える、現在の日本では多数派の価値観のことだ(あまりに普通過ぎて、名前を知らない人が多い)。

例えばこんな2人がいたとして、この状況は問題視されるべきだろうか。

おそらくこれだけだと「価値観の不一致」という状況に過ぎない。価値観が合わなければ、別れればいいだけだ。

では、ここに経済的な格差を加えてみる

Aさんは(男女合わせた)平均年収である414万の賃金を得ており、Bさんは貧困の基準となる年収127万円だとする。

すると構造はこうなる。

こうなると話は「価値観の違い」で片付けられなくなる。BさんがAさんと別れられない理由に、経済的な格差が加わった。

AさんはBさんがポリアモリーを指向しているのを知っているが、それを経済格差によって押さえつけている構造になる。

私は実際、このケースに遭遇したことがある。

彼女は元々ポリアモリー指向を持っていたが、経済力の高いモノアモリー指向の男性から結婚を懇願され、彼の子供を産んだ。
彼は彼女のポリアモリー指向を知っていたが「結婚すれば変わるはずだ」と信じていた。
彼女自身も「結婚したら自分の指向は変わるかも」と思ったが、結婚後もポリアモリー指向は変わることはなかった。
しかし今はパートで働く程度で収入が少なく、子供もいる。

彼女は「ポリアモリーに戻りたいが、彼が許してくれないし、もう戻れない。」と悩んでいた。

もちろん一度法律婚をしてしまうと、そこには法的な制約もあるが、構造としてはこのケースも「男女の経済的格差による抑え込み」に当たるのかもしれない。

ただ、冒頭の批判をする類の人は、果たしてこの構造も批判するだろうか。
そうならないとしたら、もう少し根深い問題が日本にはある気がする。

■多数派による少数派の指向搾取

もし冒頭の
・ポリアモリー男性が、モノアモリー女性の指向を押さえ込む
状況が批判され、

・モノアモリー男性が、ポリアモリー女性の指向を押さえ込む
状況が批判されないとしたら、そこにはもう1つの「見えない格差」が存在する。

それが「理解者格差」であり「普通格差」だ。

現在、モノアモリー(恋人は一人派)はマジョリティーで、理解者が多く、普通と言ってもらえる。

それに対して、ポリアモリー(恋人は複数派)はマイノリティーで、理解者が少なく、普通と言ってもらえない。

そこには格差がある。

だからポリアモリー指向の人のBさんは(自分の指向を隠して)モノアモリーのAさんとさえ付き合ってさえいれば「普通」を獲得することができる。

逆にポリアモリー指向をカミングアウトすれば、Bさんは「普通」は失うことになる。

普通を失うのが怖くて、Bさんは自分の関係指向を押さえ込んでいる。

もしAさんが「普通」という格差を盾にして、Bさんの関係指向を押さえ込んでいるとしたら、それは批判されるべき「格差を利用した搾取」になっていないだろうか。

そしてこの「Aさん」とは「世間」というマジョリティでもある。

日本は特にこの「普通」を盾にして、マイノリティの指向を押さえ込む傾向がある。そしてマジョリティ側にいると「批判されない」というメリットがある。

ただ自分がマジョリティ側にいる時、人はこの隠れた格差に気づきにくい。

だから気づかないうちにマイノリティ側の指向を押さえ込んで、自らは「批判されない」という対価を得ているかもしれない(見えない内に搾取をしているのかもしれない)。

だからポリアモリーのようなマイノリティについて語る時、マイノリティの指向を批判する時、こうした「隠れた格差」や「隠れた搾取」について、常に考えを及ばせる余裕は持っていたい。

ポリアモリーがこの日本でどこまで広がるかはわからないが、少なくともこれをきっかけに「マジョリティであることの危うさ」にも目を向けられるべきだと思う。




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小島 雄一郎
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