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過去最高にアラフォーサラリーマンに響く「問い」だ。→ #それでも家を買いますか #日経COMEMO

2020年、最後に投げかけられたCOMEMOの「問い」は、2020年で一番響く「お題提起」となった。

だって

なのである。
(*ちなみにヘッダー画像の物件ではない)


-完-


・・・で、終われないのがCOMEMO。平凡なアラフォーサラリーマンである僕なりの経験値と、僕なりのオピニオンを書いていこうと思う。

これまでの住処遍歴

幼少期〜大学生までは、実家にて暮らしていた。
僕が小学3年になるとき、両親は千葉県佐倉市に戸建てを買い、それまで暮らしていた江戸川区から転居した。(東京江戸川生まれ・千葉佐倉市育ち)

就職した企業は全国転勤で、入社〜研修後の6月に配属先が決まった。配属先は、「東京・調布」となり、実家からの通勤となるかと思いきや、当時の就職先の就労規則「100分ルール」(だったと思う)が適用され、Door to Doorで100分を超えると、「社宅適用」となり、思わぬ一人暮らし生活が始まった。

当時の社宅規定では、都内1DLK単身だと7万5千円まで(!)、自身で好きな物件を選び、会社から補助がでる形での借り上げ社宅だった(個人の契約ではなく専門の法人が間に入る)。

当時から変わらず、仕事に対してピュアな精神を持っていた僕は、勤務店舗となる調布パルコの目の前の物件(徒歩5分かからない)を初の一人暮らし賃貸をスタートさせた。

(今、興味本位でググったら、当時住んでいた物件がHitした(笑))

ちなみに、勤務地から一番近所に住んでいた&最若手だったこともあり、10時開店前、日の出前の早朝の商業施設内でのドラマ撮影ロケ協力をけっこうな期間させていただいた。(残業ならぬ、「早出」がとんでもない時間数ついていた。)

その後2年後、大分に転勤するのだが、ほぼ同時期に結婚しており、2LDKの物件となった。当時住んでいたフロアとは違うがここ。

ここも勤務地から5分もかからないところだった。「市役所の隣、という好立地でこの価格!」という東京と地方の差を初めて体感したのもこのときだった。(ただし、このときも借り上げ社宅。)

こちらには2006年〜2008年の3年間住み、温暖な気候と美味しい食べ物に感動の日々だった。それまで九州とは何の縁もなかったのだが、余生は地方・九州でくらしたいなぁ、となんとなく思い始めたのはこの頃だった。子どもが生まれたのも、この土地だった。

2009年〜2010年は、静岡へ。

当時、担当してくれた不動産会社さんがミラクルな物件を紹介してくれた。

「新築一戸建て・3階建て・90平米・オール電化・駐車場2台付き」11万円くらいで借りれた記憶がある。当時二人目の子どもが生まれ4人暮らしに。(当然、借り上げ社宅で自己負担ほぼなし。)

その後、なんというタイミングか、2011年3月、東京(本部)転勤へ。本社のある神泉に通いやすいところ、という理由で井の頭線沿いを選ぶ。本部には1年だけ在籍し、その後滋賀県大津へ。

この物件、めちゃめちゃよかった

勤務地からはちょっと距離はあったものの(といっても自転車で10分くらい。琵琶湖のほとりをサイクリング)、春の三井寺の桜や、週末ごとの琵琶湖の花火をベランダから楽しめた。

というか、春と夏の記憶しかない。

なぜなら、2012年3月に赴任して、2012年8月に転勤を命じられる。大津勤務は、半年間だけで、東京本部に戻ってくるのである(笑笑笑)。

別に、なにか***なことがあった訳でもなく、「たまたま」です。

以降、東京本社に在籍することになる。ちなみに(当時の制度で)「東京に戻ってから3年間は社宅手当があった」のだが、以降はなくなり、2016年から初めて、個人での賃貸契約を結ぶこととなった。このときに、「世の中の社会人ってすごい...!」って思ったのと同時に、「就労における手取り以外の所得=福利厚生の重要さ」や「賃貸って、究極の月額課金(サブスク)だな..」と思ったものです。

総合職・全国転勤が当たり前だった環境から

若い頃は、当たり前のように受け入れていた状況だが、ライフステージが変わると、転居・住居選択というものは、けっこう大きな選択なんだな、と今になって感じている。「総合職・全国転勤が当たり前」という就労環境にしかいなかったので、「居住の自由」という選択はないものだと思っていた。

転職したりすることで、環境が変わる(変える)ことで、変わるのだ、とも。

そして、昨年から、多くのサラリーマンが、自身の意思とは関与しないところでの環境変化により、居住に関する意思決定を再考するタイミングにきている。

たまたま小生の周囲には、IT系従事者が多くなっていたため、「パソコンとwifiがあれば、どこでも働ける方」を目にしてきた。実際、小職自身も、そうであるのだが、「家族のライフステージの変化」が、居住に大きく関与している。

「選択」

個人的な提言だが「衣食住における選択」、さらには「職業の選択」は、自由である、ということを現世に生きる社会人はもっと認識してもいいかもしれない。自由が当たり前過ぎになり、選択を忘却している傾向さえあるかもしれない。選択をしているつもり、になっている。

意思を持って生きることができる時代。

会社から与えられた環境・制度・仕組みがあたり前、だと思うところから疑いを持ち始めることが1つのきっけかになるかもしれない。(僕は「社宅制度」という便利なものに頼りすぎてしまった感。)

「それでも家を買いますか」という問い、「賃貸か/分譲か」のような問いは、20代の僕にとっては、まったく興味関心のない設問であった。正直なところ、今の僕にとっても、あまり興味関心はなく、変化したライフステージに順応する形で、今の形を選択している。

界隈で、声の大きな、影響力の大きな方々の意見が耳に入りやすい時代かもしれないが、自身の選択に意思を持つことで、自信につなげていけばいいのでは、と思っている。

明日着る洋服。明日食べるランチ。日々の暮らしでも「なんとなく」よりも「よし!これ!選んだ!」と選択していくことで、自身の歩みを刻む。住処においても、洋服やランチと同等に、並列に、意思をもって、選択していくことを2021年の決め事、にしてもいいかもしれないい。

最後に

参考になるか、わからないが、僕の友人で「意志のある選択」をされている、尊敬する方々をご紹介して終える。


ヘッダー画像はこちらから。「マンション」って英語だと「(large) apartment」って言うんですね。


#日経COMEMO #それでも家を買いますか

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島袋孝一*しまこ*
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