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ダイバーシティは「個」の単位へ

私を含め現代日本を生きる大人にとって、自分の生きてきた、たった数十年間の中で大きく変わったことのひとつに、「世の中こうあるべし」という規範が崩れたという事実があるのではないだろうか?

もちろん、法の枠組みはあるし、善悪の基準もある程度存在する。しかし、就職先を含む暗黙の序列や社会が目指す将来像は、格段に曖昧になったと感じる。日本の中でさえ異なる価値観が混在し、もはや何が主流なのか定かではない。

この変化には、インターネットの普及とそれに伴うメディアの変化が大きく寄与していることは間違いないだろう。大量生産と官僚制を特徴とする近代のキーワードを「一般性」とするなら、「人それぞれ」の価値観を是とする後期近代(現代)のキーワードは「個別性」だと解説する経済教室の記事は腑に落ちるものだ。

記事によると、個別性を重視する社会は、とりわけ「あれかこれか」の選択を迫る選挙との折り合いが悪い。判断が難しいので、棄権や白票が増える。その結果、極端な主張をする「凝集力の強い」集団(極右や極左のイメージだろう)が空白を埋めるように台頭し、社会全体に不利益をおよぼす危険が高まる。過程が民主主義にのっとっているだけに、厄介な問題だ。

では、個別性の時代は、ビジネスにどのような影響を与えるのだろう?一般性の時代には、多数派の決定に従うことが暗黙の了解だった。そのうち、働く女性のような「少数派」を不利に置かないようにという配慮が閾値(しきいち)を超え、「ダイバーシティ」がはやり言葉のようなった。さらに、多様性のある組織のほうが革新を起こしやすいという積極的な説も、市民権を得ている。

しかし、ビジネスの感覚はそこで止まっている。あくまでも、分かりやすい軸で切った多数派(例えば男性)と少数派(例えば女性)の混合を想定したダイバーシティが前提だ。一方で、個別性を重視する社会では、少数派(極端には個人一人一人)が無数に共生し、もはや多数派と少数派という構図が存在しない。

例えば、男女の軸にしても、2014年の段階でFacebookは58種類のジェンダー選択を用意していた。性別で二分するという考え方自体が、急速に古くなっている。

そのような多様性を尊重することは、不可逆な時代の流れであり、画一的な押し付けに息苦しさを感じる個人にとっては朗報だ。しかし、ビジネスにとっては、組織をひとつの方向にまとめることが益々難しくなることを意味する。

記事が指摘するように、「私は私、あなたはあなた」と、多様性を認めながら自分の世界に踏み込ませない。すなわち、見かけは寛容なようで、本質的には不寛容な態度がデフォルトとなるからだ。

ビジネスの世界では、常に判断が求められる。しかし、組織に共通する暗黙の規範なくして、ある決断の良し悪しを決めることは難しい。ダイバーシティが個人の単位にまで及ぶとき、何が組織をまとめるのか?せめて目的意識をそろえよう、というパーパス経営はこの「個別性」の時代にふさわしい。「一般性」の時代には暗黙知だった「組織の存在意義」を言語化することで、個の単位にばらばらになった価値観の一部をつなげることができる。

さらに、リーダーに求められるのは、自分の信念にもとづく判断を、多様な価値観を持った組織のメンバーに分かりやすく説明する能力だろう。必ずしも、大多数がその決断を心から支えるとは限らない。しかし、経営陣の判断は選挙のように投票で可否が決まるものではない。

いま社会の中枢にいる40~50代は、ほぼ大人になってから一般性から個別性へ大きな環境変化を経験している。ゆえに、個別性の時代を頭で理解したとしても、考え方のデフォルトは、まだまだ「一般性」を無意識に想定することが強いのではないか?しかし、若い世代は既に「個別性」を所与としている。経営層には、この差を自覚して組織をけん引する意識が強く求められている。

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