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客を泊めないホテルの客室で

新型コロナウイルスの影響で引き続き旅行関連業界は大きな影響を受けている。ホテルもその典型的な業界で、オンライン予約サイトを見ても、ごく限られた例外を除けば全館満室の表示を見かけることはない。

そんなホテル業界であるが、新しい動きが出てきたので、ここではそれをまとめてみたい。

これまでもホテルが新型コロナウイルスに感染した人のための一時的な療養施設として国・自治体から一棟まるごと借り上げられる動きは昨年からあり、いまでも療養専用として借り上げが続いているホテルもある。

この他にデイユースとして、昼の間だけ宿泊を伴わない形で客室を提供するプランが非常に多くのホテルで設定されるようになっている。

かつてはデイユースの設定があるホテルは非常に少なく、昼間落ち着いて仕事をするためにホテルの部屋を使おうと思ってもそれがなかなか叶わなかった経験があるが、今ではこうしたプランがあることがもはや当たり前になってきている。

例えば東京都は多摩地区のホテルの部屋をサテライトオフィスとして使うことを推奨し、利用者の自己負担は1,000円(施策開始当初は500円)で料金差額を東京都が負担するという新たなホテルの客室の利用の試みを継続している(執筆時点で2021年10月末まで実施が決定)。

1ホテルあたり1日数室~10室程度の設定のようだが、対象ホテルのホームページで見る限り、特に平日はほとんど満室の日が続いており利用者はそれなりにいるようだ。私も比較的空いている休日を狙って、いくつかのホテルを利用してみたが、同じビジネスホテルといっても仕事をする環境という目線で見ると、これほど違うのだということを改めて感じた。

これまで、特にビジネスホテルは言ってみれば仕事が終わって寝に帰る場所であったのだが、デイユースとなると昼間仕事をする場所になる。ちょっと疲れてベッドで仮眠をするということはあるかもしれないが、基本的には部屋に備え付けられているデスクと椅子そして照明やインターネット回線が一定以上に整っていなければ仕事にならない。寝に帰るだけであればさして気にならなかった、インターネット回線のスピードや椅子の座り心地、デスクの大きさと言った客室の「執務環境」がホテルごとに大きな違いがあることを改めて感じる。これは、これまでのホテルの客室をそのままデイユースプランとして販売しているものなので致し方ない。

しかし、ここにきてデイユース専用の客室を作るホテルが現れてきた。

実際に大森の東横インでテレワークルームを利用してみたのだが、特筆すべきだと思ったのは、原則として宿泊を前提としない客室の作りになっている、つまりベッドがないことだ。

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部屋の大きさは他の一般の客室と同等なのだが、デスクは大きくなっており、その代わりこれまで大きな面積を占めていたベッドのスペースにはソファーが置かれている。簡易ベッドにもなるような大きさと造りであるがベットに比べれば小ぶりで、フロントの方によると、原則として宿泊予約は受けておらずデイユースが原則だという。

バスやトイレについてはこれまでの客室と同様に設置されているので、例えば夏に一時外出して汗をかいたような時には、自室のなかでシャワーを浴びることもできる。

人を泊めるために存在するホテルが人を泊めない客室を作るということは、非常に革新的な変化ではないだろうか。ホテルが自分たちのビジネスドメインを「宿泊施設」からお客様のニーズに合った形でスペースを提供するということに変えることに他ならないからだ。まだまだテスト段階ではあるだろうが、設備投資をして部屋の作り替えを行っている点で、既存の客室をデイユースとして販売するのとは異なる次元に踏み込んだ動きであり、次の時代のホテルの姿を模索する動きなのだと感じた。

新型コロナウイルスが発生し、人々が顔を合わせることをできるだけ避けるようになり、また旅行を伴う出張を避けるようになってきたために一気に増えたのがオンライン会議だ。オンライン会議に参加するにあたっては、例えば自宅で他の家族がいれば声を出すことに多少なりとも遠慮があるだろうし、また機密事項について話し合わなければいけない場合、たとえ家族であっても、まだ公知となっていないことを聞かれることには問題があるだろう。

こうしたことを考えると、壁の薄さの問題はあるかもしれないが、ホテルの客室は独立した個室になっており、オンライン会議の内容を部外者に聞かれにくいという点では適した場所になるだろう。

コロナの流行が落ち着き、治療法のめどがたつなどすれば、オフィスに戻って仕事をする動きも徐々に復活してくると思うが、オンライン会議の利用が2019年以前のように少ない回数に戻るかというと、なかなかそうはいかないだろうと思う。感染の危険が落ち着いたとしても、コスト削減や業務のスピードアップ・効率化のために引き続きオンライン会議は一定以上の数で残りそのぶん出張は減るであろうと思われる。

そうなると、今のオフィスもオンライン会議に対応した作りになってるかといえば必ずしもそうとは言えないことに気がつく。オンライン会議は1か所あたり1人かせいぜい2人程度が参加するのが一般的だと思うが、今のオフィスにある会議室は一般的に少なくても4名、多ければ10名以上が収容されることを前提に作られている。そしてコロナ以前には、会議室はなかなか予約が取れないことがどこの会社でもよく見受けられていた。今後、オフィスに人が戻り、オンライン会議のために広い会議室を少人数で占有するとなると、ますます会議室スペースは足りなくなってくるだろう。

こうした時に、例えばオフィスに隣接してビジネスホテルがある場合、そこにオンライン会議を意識したデイユース専用の部屋があるなら、そこをオフィスの一部として使うことが今後考えられるかもしれない。ホテルからすれば回復しきらない出張による需要を、こうしたオンライン会議などデイユースの利用によって少しでも売上を確保する動機がはたらくのではないだろうか。場合によっては、ワンフロアを特定の会社と契約をして借り上げてもらう形でオンライン会議専用フロアとして使う、といったことも考えられるかもしれない。

もう一つの変化は、顧客の変化である。これまでホテルの客室は基本的にはそのホテルから遠く離れた人々が利用する場所であった。しかしデイユースが見込むお客様は、そのホテルの近くで働いている人や近くに自宅がある人であり、これまで客室を使うとは考えられなかった人たちだ。これもこれまでのホテルが想定してきた顧客層とは地理的に全く異なる人々にマーケットを求めることになる。

こうして「オフィス」と「ホテル」の客室の垣根が曖昧になっていくのだが、もうひとつ、「自宅」もまたそうした曖昧なスペースの中に入ってくる。

在宅勤務という働き方の形態自体が自宅とオフィスの区別を曖昧にするものであったが、出張先のホテルの客室と同様、これまで多くのビジネスパーソンにとって自宅は寝に帰る場所であって仕事をする場所ではなかった。このため自宅の造りも、帰ってくつろぎ食事をしそして寝るための場所として作られてきた。しかし今後在宅勤務が定着し自宅から仕事をすることが当たり前になるのであれば、自宅の間取りもまた変化していかなければならないだろう。

ホテルのシングルルームであれば、ベッドのある場所と執務デスクは同じ室内にあっても大きくは問題ないが、自宅の場合、寝室は家族と共有していることも多く、そうなれば寝室とは別に仕事のスペースが必要になるだろう。夫婦共働きであるなら夫婦がそれぞれに仕事のスペースを持たなければ2人が同時にオンライン会議をすることが難しくなってしまう。

こうして考えてみると、「オフィス」と「ホテル」と「自宅」がこれまでは機能的に分離されそれに応じた設計がされてきたが、この3つが「仕事をする場所」という点で共通項を持ち始めている、というのが現在の状況であり、今後新型コロナウイルスの感染がおさまってもこの動きについては2019年以前の状況に戻ることはないだろう。

このようにホテルのあり方が変化してきており、自宅もまた仕事の場となるのであれば、自宅の作りもこれから変わっていかなければならないし、変わっていくはずだろう。そうなったらオフィスの在り方も変わるはずだ。泊まれないホテルの客室で、そんなことを考えた。



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