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塩梅の妙 ─ “これでいい!”の次の瞬間、“これでいいのか?”を問い始める。

「あんばい」という言葉がある。
具合よく並べたり、ととのえたり、物事を進めることを「按配」というが、もとは日本料理で塩と梅酢それぞれを加減して、味の加減をしていた「塩梅(えんばい⇒あんばい)」が言葉のルーツ。

日本料理の形は、季節、食材、人の体調によって常に変わる。
器も料理の順番も変えるが、味つけも大きく変える。料理に使う醤油や塩の配分は、冬の7対3の配分を、初夏には4対6とし、夏には3対7と、季節ごとに旬ごとに変えるのが本物の料理人。しかし近年、料理本やネットのレシピに料理ごとの調合・配分比率が書かれているため、その比率で1年間同じ味つけをしようとする。しかし季節、食べる人のコンディションによって、「美味しい」と感じたり、感じなかったりする。

それは料理だけではない。
前につくったやり方で、次に再現したら同じものになるものもあるが、同じようにしても同じものにならないものがある。そもそもなにかをつくるときに1回で、「これだ!」というものができあがることなど、そうそうない。こうしたらいいのかな、この方がいいのかな、となんどもなんども「塩梅」を求めて、いいもの、美味しいものをめざして、つくってきたのが日本の仕事の流儀だった。しかし今の日本のモノづくり、商売開発、人材育成で、これが抜けてしまっている。

マニュアル、ガイドブックに書かれた「ノウハウ」や「レシピ」の「何対何」が、標準化、スタンダードとなってしまう。それをみんなは疑いもせず受け入れようとする。しかしなかには、「本当にいいのかな?」ということもあるが、「王様の耳はロバの耳」をおそれ、みんなが「これでいいのだ」といいだすので、「ちがうのではないか」といえなくなる。今の日本の社会には、そういうこと、話がいっぱいある。

モノづくりは、「塩梅を求めつづける」スタイルをとる人がプロ。
塩梅を求め、トライ&エラーしてつくったバランスした状態を固定したものとして考えるのではなく、常にバランスを求めていく姿勢・スタイルをとってきた。何度も何度も工夫して、バランスした状態ができたからといって、その状態を固定化して考えるのではなく、常に「バランスを求めていこう」としてきた。

「これでいい」とおもった、
その次の瞬間に、「これでいいのか?」の問いから始めないといけない。しかしそもそも「これでいいのか?」というのは、「これでいい」が実現していないといえないのだ。「これでいい」という状態があってからの「ズレ」を「これでいいのか?」と問いつづけるのがプロだった。

しかし現代の様々な問題は、「これでいい」ができていないことからおこる。
“こんなことでいいのか?”“わが社は、こんなことでいいのか?”という前に、「これでいいだろう」ということを実現する、示さないといけないのに、それができていない、していないところが多い。
「これがいい」ができたうえで、「これでいいのか?」と考え、問題提起しなければいけない。「これでいい」がないのに、「これでいいのか?」はない。

自転車の運転を考えたらわかる。
それは、自転車の運転はバランスをとりつづける。これなら、もう大丈夫、走れるという状態を固定していたら、転(ころ)んでしまう。自転車の運転で、つねにバランスをとっているのは、まさに「塩梅」を求めつづける姿そのものである。右に倒れるでもなく、左に倒れるのでもなく、いつも両手でハンドルをとりながら、バランスをとりつづけないと転んでしまう。

私たちが失くしつつあることは、
1回できあがった「バランス」を固定化するのではなく、「これでいいのか」「次はこうした方がいいのか」と「塩梅」を求めつづけること。この「塩梅」を求める心、スタイルを多くの人が忘れつつある。そこからも、日本の力がおちていく。


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池永寛明(大阪ガス エネルギー・文化研究所)

過去と現在・未来をつなぎ、内と外をつなぎ、多層的な情報を編集・翻訳し、中長期ならびに技術と社会をつなぐ文化の方法論から、生活・社会・経済の今とこれからのあり姿を考え、発信していきます http://www.og-cel.jp/

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コメント1件

いつも、目から鱗で感謝いたします。
「これでいいのか?」は、自分のなかで完結している場合と、社会や組織のなかで発する場合とは少々異なるかもしれません。前者は芸術家や職人の世界でしょうが、後者において「何かが違う」という感覚を保ち、言葉を発するには、相応の軋轢や葛藤に耐えねばならず、かなりしんどい。気配りと忖度が混同され、「言わずが花、知らぬが仏」の慣習が残る日本ではなおさらかと。そのなかで、凄まじい正義感、強く真実を求める心、より良くありたい向上心、さらには、ある種の「鈍感力」をもつ人達こそが、「これでいいのか」を発し、行動し続けるのではないでしょうか。
ご指摘とおり「塩梅」はバランスを求める落ち着いた印象ですが、「塩梅を求め続ける」と言った場合は切磋琢磨の激しさが伝わります。できることなら、そのような人達を許容する社会や組織が増えてほしいと感じます。
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