お金の共通認識から、成長と分配を考える
前回、成長と分配に関する論考を行い、成長がなくても配分でき、従って、GDPの成長と国民に分配できるかには直接は関係ないことを書きました。
ここでお金についての基本的な疑問を4つ提示しました。これらの疑問に関する共通認識がない状態で、お金に関する議論をやっても意味がない、と思われるぐらい基本的な問いです。実は、私自身が以前は分からなかった疑問でもあります。
前考では、この答を書きませんでした。答がほしいというフィードバックもいただいたこともあり、ここでは、私なりの答えを書きたいと思います。
[疑問1]
そもそも社会の中のお金の総量は、何で決まっているのか。お金の総量が社会の富の総量だと思うと、これは社会で活動をする上でも、政策を判断するにも、最も基本的な問いだと思う。どんな手段により、社会の中で、お金は生み出され(お金の総量が増え)、どんな手段によってお金が消える(お金の総量が減る)のか。
[答]
社会のお金の総量が増えるのは、銀行が融資を行うことによってです。あなたが1千万円の住宅ローンを組んだ時に、あなたの銀行口座に1千万円のお金が発生します。この時に、1千万円のお金をどこかから移動させる必要は銀行はありません。お金を無から発生させる権限を認可されている特別な法人が銀行です。
逆に、お金の総量が減るのは、融資したお金を返済することによってです。社会からお金を吸い上げているためです。
この総量の制約下で、国民(ここで国民を法人や個人とします)や政府が、お金をやりとりします。この時に、一方にお金が増える時、他方ではお金が減ります。すなわち、政府の黒字は、国民の赤字です。政府の赤字は、国民の黒字です。その意味で、政府の黒字化政策(例えば、消費税の増税などのいわゆる財政健全化と呼ばれる政策)は、国民を赤字化する政策なわけです。
企業や個人の間で経済活動を行っても、このお金の総量は変わりません。総量の範囲の中で、お金を移動させて循環させているだけです。従って、経済活動が活発になっても、分配の原資であるお金の総量は増えたりはしません。
GDPは、このお金のやりとりの多さを示す尺度なので、GDPが増えても減っても、分配の原意が増えることも減ることもありません。
[疑問2]
経済活動による利益は、富を生み出すとものと素朴に思っていたが、そもそもお金を生み出すものなのか。誰かが利益を出した時、その原資はどこから来るのか。単に誰かから奪ったものなのか。「ドラえもん」で、「ジャイアン」が、「のび太君」からおやつを奪うのと何が違うのか。もしも、利益が誰かから奪った結果だとすれば、なぜ利益を生むことが「いいこと」とされているのか。
[答]
企業の利益は、お金を生み出しません。世の中のお金の総量を増やしません。企業の利益は、誰かの利益を減らすことで生まれます。誰かの黒字は誰かの赤字です。
その意味で、利益とは誰から奪ったものです。お金の総量が一定の中で、他の人のお金を自分のところに移動させただけです。利益を生むとは、他の子のおやつを奪ったことと捉えることができます。利益はその意味で、手放しで良いこととはいえません。
しかし、利益は以下の意味で、重要な指標です。
まず第一に、利益は顧客に価値を提供し、他社に比べて相対的に価値の高いものを提供したことを意味します。その意味で、社会に役立っている証拠です。第2に、利益がなければ、企業は持続的に存続できません。企業の存続は、人々の努力が継続的に報われる容れ物として、社会に必要です。加えて、企業には、想定外の変化に適応するための原資が必要です。利益が変化への適応を可能にします。さらに、次への新たな投資の原資となります。
その意味で、一定の利益を出すことは「いいこと」です。一方で、利益を出した人は、そのお金は他の人から奪ったものであるという認識とそれによる社会的な責任を負うことを忘れてはなりません。
[疑問3]
GDPが増えると、国民に配分するお金の原資が増えるという議論があるが本当か。GDPの定義に立ち戻ると、GDPはお金が社会で活発にやりとりされていることである。従って、社会に配分するお金の総量は、GDPが増えても減っても変わらないのではないか。
[答]
GDPはお金の移動の尺度なので、分配の原資となるお金の総量を増やしはしません。お金の移動と反対向きに、サービスやモノが生産され、供給されます。GDPは、この生産や供給が活発に行われている尺度として重要です。
経済活動とは、結局、人のために何かをやってあげることです。逆から見ると、人から何かをやってもらうことです。このような助け合いが高度に行われることで豊かな生活が可能になっています。GDPが増えれば、誰かにやってもらうことの総量(あるいは原資)は増えます。生産の総量が増えるからです。ただし、無限にこのような経済活動やその尺度のGDPを増やす必要があるかは議論のあるところです。それについては、今回は議論しません。
[疑問4]
国の借金(政府の債務)が増えるのは、なぜ悪いことのか。そもそも、あらゆる事業活動には、初期投資が必要で、そのために事業を始めるときや拡大する時にお金が必要で、そのために資本調達が必要になる。国(政府)の活動についても、資金調達(あるいは増資)にあたるものが原理的に必要なはずだが、それを賄う仕組みはどこにあるのか。国債がそれに当たるのか。その意味で、国債とは借用証書(債券)に近いものか、それとも株式に近いものか。
[答]
政府の赤字や借金は、国民(企業や個人)の黒字です。それ自体は悪いことではありません。重要なのは、むしろ国民の黒字です。
国債は、形のうえでは債券という形態をとっていますが、実態としては、限りなく資本金に近い性格のものです。なぜなら、政府が日本銀行というお金の発行機能を有しているからです。円建ての国債がデフォルト(債務不履行)に陥ることは原理的にありえません(これは総裁選で高市さんが明言していたことでもあります)。
重要なのは、お金はサービスやモノの生産と供給を行うための手段だったということです。お金は目的ではありません。そして、サービスやモノの生産と供給は、我々が幸せな人生や社会生活を送るための手段です。他に様々な手段がある中の手段の1つです。しかも、最も有効な手段でもありません。
実際、幸せに関する研究により、メンタルなウエルビーイングやソーシャルなウエルビーイングの方が、収入などの経済的なウエルビーイングよりも幸せに遙かに強い影響があることが分かっています。
お金の共通理解の上で、より幸せな社会に近づきたいものです。