製造業は「安い日本」に戻るのか~国内回帰論への淡い期待~

日本企業の国内回帰について
ドル/円相場は政府・日銀の円売り・ドル買い為替介入などを挟んで乱高下しています。もっとも通貨当局の思惑を想像しても真実は分かりようもなく詮無きことではあります。。重要なことは、史上最大規模の介入規模にもかかわらず、その効果が短期のうちに搔き消されてしまうという現実をどう理解するか、でしょう。もちろん、介入実施前と比較して安価でドルを調達できた輸入企業にとってはメリットですが、やはりファンダメンタルズに逆らう為替介入の寿命は長くないということが改めて白日の下にさらされているようにも感じられます。現状を俯瞰し理解する努力が必要だと言えます。

周知の通り、円売りを支えるファンダメンタルズの筆頭が貿易赤字です。長期的な視野に立てば、2012~13年頃を境として趨勢的に貿易黒字が稼げなくなり、そこから際立った円高・ドル安を経験しなくなっているのは明らかでしょう:

今年の円安相場を駆動しているのが内外金利差の顕著な拡大であることは確かでしょうが、莫大な貿易赤字が意味する「円を売りたい人の方が多い」という客観的な事実から目を逸らすべきではないという点も強調したいところです。貿易赤字が残存する限り、今後訪れるだろう揺り戻しとしての円高局面が過去1年の円安局面ほどの迫力を伴うとは思えません

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA200NQ0Q2A021C2000000/

しかし、裏を返せば、こうした「安い日本」の状況を活かして国内への生産回帰が本格化した場合、輸出増加を背景として貿易赤字が一段と縮小し、需給面での円売り圧力が和らぐという展開も描くことはできます。実際、そのような期待混じりの報道も散見され始めています。以下は一例です:

しかし、こうした報道で紹介されるケースが日本経済全体をどれほど規定する話なのか確信は持てません。そもそも報道されるのは著名な大企業ばかりで、実際はそれに付随して多くの中小企業が海外進出しています。当然、それらの企業が大企業と同じ体力で動けるわけではありません。また、日本企業の海外生産移管は長い年月をかけて進んだものであり、これを国内回帰させる意思決定があるとしても、やはり同じくらいの月日を要するはずです。

なにより、日本企業がなぜ海外生産移管(国際収支上は対外直接投資)を進めたのか。その点を今一度思い返す必要があります

その背景には断続的に発生する円高があったと思われますが、今年の円安だけで「もう円高にならない」という判断に至るのかは疑義があります。例えばサブプライムショックのあった2007年に円高へ転じてから、2012年までの約5年間、日本経済は超円高に苦しみました。その後に対外直接投資の大きな波が到来しています:

それ以前にも円高は事あるごとに日本経済を襲っており、特に自動車企業などは「円高との戦い」が社史に刻まれているはずです。そこまで慢性化して初めて海外生産移管という経営判断に至ったのであって、2022年の円安が如何に苛烈であっても、単年の相場動向だけで戻るという話にはなりにくいように感じます。2022年の苛烈な円安はあまりに激烈であったため、多くの市場参加者が相応の調整を予想しています。企業行動に変化が出るとすればその「相応の調整」がさほど起きなった場合ではないかと思います

その時、日本企業は円高・ドル安はもはや「円相場(円買い)の押し目」という常識に切り替え、円安の不可逆性を認めた上で国内回帰に踏み切るかもしれません。しかし、その展開には時間を要するはずです。

人口減少という制約
さらに言えば、日本企業が海外進出へ踏み切った根本的な理由の1つに少子高齢化で縮小する国内市場という人口動態要因もあったはずです。この問題は継続中であり、むしろコロナ禍では保守的な高齢者層に配慮し、生産年齢人口を冷遇するという防疫政策が鮮明になったばかりです(この点も現在進行形の問題と言えるでしょう)。

人口減少は財・サービスの需要先として魅力が薄れるという論点だけではなく、供給元としての魅力も薄れるという論点をも孕みます。筆者が日々、事業法人の方々と面会した際にも国内回帰の可能性は頻繁に話題に上がりますが、仮に工場を作っても「働く人が確保できない」という懸念を口にするケースはかなり目にします。生産年齢人口の減る国では工場の稼働率を上げること自体、難易度が高いという事実は知っておきたいところです。実際、2013年以降、アベノミクスに沸いた日本経済において製造業の稼働率は殆ど横ばいでした:

著しい人口減少を経験する日本において「横ばい」は前向きな評価になるかもしれませんが、円安効果をふんだんに活かし、稼働率を高めるにはやはり人口が必要であるのも事実でしょう
 
「円安+経済安全保障」で考える必要?
もっとも、採算度外視で日本の生産能力を増強しようという潮流が勢いづく可能性はあります。それは経済安全保障の論点ゆえです。パンデミックや米中貿易摩擦で断続的にサプライチェーンが寸断された近年の経験を踏まえれば、コストの問題は脇に置いても国内で製造した方が安全という考え方はあり得ます。国会における主要争点でもあります:

経済安全保障の観点ならば公的補助ありきで中小企業も動けるケースが出てくるかもしれません。「円安+経済安全保障」まで包括的に考えた時、製造業の国内回帰の可能性は完全に否定されるものではないでしょう

もっとも、上述してきたように、経営上の効率性を考えた上で海外へ打って出たはずであって、採算度外視で国内回帰を進めるにも限界はあるように思います。上では言及を避けましたが、円高や人口減以外にも、地震や台風といった自然災害を回避するための海外生産移管という側面も相当あったはずであり、国内回帰でサプライチェーンの脆弱性が増すという側面も相当にありそうです。「安い日本」を背景として再び貿易黒字立国に戻るという展開は今後も報道上は盛り上がる公算が大きそうですが、机上で想像されるほど簡単な話ではないことは知っておきたいところです。

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