米国・大統領選挙を「クズ男に惚れる女心」から紐解いてみる

いよいよ来月3日に迫ったアメリカの大統領選挙ですが、9月30日(日本時間)に行われた最初の討論会がまるでコントみたいだったという感想しか沸かず、「大統領ってこういう人がなるもんだっけ?」と苦笑したものです。

その後、トランプがコロナに感染したりもありましたが、復帰後も相変わらずトランプとバイデン両陣営の「足の引っ張り合い」合戦が続いています。

いちいち細かいことは書きませんが、「トランプもトランプなら、バイデンもバイデン」としか思えない。世論調査では、いまだにバイデンのほうが優勢ですが、その差は急激に縮まりつつあって、4年前の直前の逆転劇の再来を予感させます。

そんな中、バイデン陣営の危機感の表れだと思うのですが、オバマ前大統領がバイデンの応援演説をしたというニュースもありました。

客観的にオバマの演説を聞くと、熱く良いことも言ってるのですが、それでもその中身は実はトランプを盛大にディスっています。正直どいつもこいつも相手を下げることでしか自分を保てないのかよ、と思います。

「自由の国アメリカ」のいう「自由」とは、他人を罵倒する自由なのかな?

ただ、さすが前大統領だけあって、演説の仕方に抑揚があり、エモーショナルな組み立てをしています。しかし、オバマが良い演説をすればするほど、バイデンの影の薄さが際立ち、かえってバイデンの支持率を失わせるという皮肉になっている気がします。オバマとバイデンの演説を比べると、「ああ、しょせんバイデンは副大統領までの器」なのかな、という気がしてしまいます。

正直、個人的には大統領選挙なんて1ミリも興味ないし、トランプとバイデンのこと、別にそれほど詳しく知っているわけではないので、あくまで表面的な話になりますが、一般的にトランプのイメージは「ツイ廃の悪人」で、バイデンは「温厚な善人」という感じではないでしょう?

トランプの場合、多少失言や素行の悪さがあっても「トランプだから仕方ない」と思われてしまうという(逆説的な)強みがありますが、バイデンは一見善人っぽいので何か問題がひとつでも発覚すると、とたんに幻滅を誘ってしまう弱みがあります。

これ、何かに似てるなあ、と思ったら、「クズ男ほどモテる。やさしく真面目な男ほどモテない」という恋愛における法則と酷似しています。

イケメンかどうかとか、年収が高いかどうかは横に置いておいて、単純に性格だけで判断すると上記のような事例は多々あります。しかも、クズ男に酷い目にあった女性ほど、次も、その次も、同じようにクズ男に惚れるわけです。

「水清ければ魚棲まず」という言葉もありますが、やさしくて真面目な男には物足りなさを感じてしまい、逆に、問題のあるクズ男(濁った水)を選んでしまう。

この部分、非モテ男が陥りがちな罠なんですが、馬鹿正直で素直で相手に合わせるやさしい男なんてモテないです。だって、そんな男、退屈だもの

嘘もつけないような男は本当に恋愛なんてできないですよ。

ある意味、自分の欠点を相手に隠そうとする男より、欠点は欠点として明らかにしたうえで、それを上回る長所を訴求できるほうが恋愛では勝者になるわけです(結婚相手としていいかどうかは別。あくまで恋愛)。

「見た目強面の男が捨て犬を拾ったシーンに胸キュンする女」なんて、テレビドラマでよくありがちなベタな設定ありますが、そういうマイナスからプラスに転じるギャップの大きさが「脳のバグ」を引き起こすのです。恋愛なんてしょせん脳のバグなので。

逆に言えば、第一印象プラスだった人は、割と容易に誰かの足の引っ張りによって貶めることが可能です。なまじ最初高い点数だっただけに落胆度も高くなります。

テストで、いつも30点しか取れなかった不良が、ある日頑張って60点をとったらみんな見直すし、感心するでしょう?でも、逆に、いつも100点しかとらないガリ勉が70点しかとれなかったとしたらどう思います?それでもまだガリ勉くんのほうが点数は上なのに、印象では「不良が頑張って、ガリ勉は怠けた」という印象のほうが強くなると思うんです。

トランプがやっていることは、ガリ勉の足を引っ張って相手を下げることなんですが、バイデンもそれに乗っかってしまうと最悪です。不良がガリ勉のテストの点を下げるために彼のノートを破り捨てたとしても、褒められたことではありませんが、「まあ、そういうこともあるよね」と思われる。でも、その不良と同じことをガリ勉がしてしまったら(というか、不良はノートすら取ってないけど)もうガリ勉は終わりです。やっていることは、二人一緒でも、最初の立ち位置が違うだけでその後の印象は180度変わる可能性があります。

なのに、バイデンはトランプの挑発に乗って、同じことをやっている。トランプの思う壺です。

トランプなんかの(といっては失礼かもしれないが)挑発に簡単に乗って、「目には目を」的な行為をしてしまうような人が大統領になったら、それこそ対中国、対ロシアの外交なんてできるの?と思ってしまいます。

話がそれましたが、政治(民主主義)と恋愛はとても似ていて、大体が感情によって支配されています。熱狂といいかえてもいい。本人は理屈で熟考しているつもりでも、熱狂した感情によって動かされていますし、その自分の行動を正当化するために後で理屈付けしているだけなのです。

恋愛でクズな相手を選び続けてしまうのは、個人の問題で済まされるかもしれませんが、米国の大統領を選ぶ大衆の選択でさえ、根本のメカニズムはそんなつまらないことで左右されています。

では、クズ男を選びがちな女性は一生クズ男に苦しめられるの?

困ったことに、「相手はクズ」と認識しているならまだマシなんですが、クズ男に引っかかる女性というのは、それがわからない。あくまで結果論。最初は、むしろ、「今度の男は前の男よりクズじゃない」と思って付き合うあたりが、恋愛脳のバグ性を証明しています。

さらに困ったことに、客観的に見たらクズらしさ満載の行動をされても、いろいろマヒしていて、それをクズ行為だとは思わなくなってしまう場合も多いのです。

なので、たとえば双方を知る友人などに「あいつ、クズだから、付き合うのやめなよ」と言われてはじめて気づくものだったりします。その時点でそういうアドバイスもらっても、なお「そんなことないよ」という人もいるけど。

ここでいう「友人」を政治に当てはめると、それは歴史です。熱狂やバグの渦中においては、誰も気づけない。50年後、100年後になってようやく後世の人々が気づくものなのでしょう。

ちなみに、50年後、100年後になって「クズじゃなかった」と判明することもありますけどね。何がクズかの判断は時代によっても変わるということで。



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