見出し画像

短歌の対話型鑑賞について

5・7・5・7・7の三十一文字で、さまざまな風情や情緒を描き出す「短歌」という表現があります。「あります」というのもおこがましいほど、多くの人が短歌という言葉を知っているでしょう。

しかし、「短歌を知っている」とは一体なんでしょうか?短歌という表現方法は知っているけど、最近の歌人の作品はほとんど知らない、という方も多いでしょう。最近売れている歌人を知っているけれど、歌集を読み込んだことはない、という人もいるでしょう。歌集を読み込んではいるけれど、短歌を創作することはしていない方もいるでしょう。逆に短歌の創作はしているけれど、歌集を読むことがない人もいるでしょう。

さて、何をもって短歌を知っていると語ることができるのでしょうか?

この問いの答えが知りたくて、ぼくはいま、短歌に強い関心を持っています。俳句や川柳との違いについてももちろんまだ語れないですし、「なんかよくわかんないけどすごい面白い!」という風に思っているんです。

短歌の対話型鑑賞

短歌の魅力に取り憑かれたのは、あるときふと「短歌で対話型鑑賞したらどうなるんだろう?」と考え、ぼくが所属するMIMIGURIのメンバーと一緒に実験してみたことがきっかけでした。

対話型鑑賞とは?

対話型鑑賞とは、絵画のようなアート作品を鑑賞しながらおしゃべりする方法です。

一つの絵を複数人で見ながら「この絵って、こういう意味があるんじゃない?」「こんなことを感じた」などとおしゃべりしていきます。その際、ファシリテーターが「それは絵のどの部分からそう感じたのですか?」と問いかけていきます。

そうすると「右上のXXX色のかたちが、ZZZを表していると思ったから」というように、絵の中にある根拠を示しながら、解釈を語ることができます。絵の中にある事実と、そこから生まれた解釈を往復しながら、絵の意味を探求していきます。この手法は、企業や行政でも、社員・職員の研修として多くの場で活用されています。

短歌で対話型鑑賞をやってみる

この活動を、短歌でやってみたのです。

選んだ短歌は、井上法子さんの『永遠でないほうの火』から以下の歌でした。ちょっとこの場でやってみましょう。

では、次の歌を、じっくり読んで、皆さんが何を感じ、どんなイメージが思い浮かんだか、考えてみてください。

短歌の対話型鑑賞 ー会話録

煮えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火

井上法子『永遠でないほうの火』

ファシリテーター
「いかがでしょうか?この短歌を読んで、感じたこと、考えたことはどのようなことでしょうか?」

Aさん
「この歌を詠んだ人は、疲れているんじゃないか?」
「"見すえる"という言葉から、すわった目でじーっとみてる感じがするから」

Bさん
「この人は怒っているんじゃないか?」
「"煮えたぎる鍋"という言葉から、怒りを感じた。」
「"煮えたぎる鍋を見すえ"という表現から、怒りながら、怒りをおさめようとしている気がする」

Cさん
「見すえるって、鍋に対して使う言葉じゃないよなぁ。一体鍋のなかには何が入っているんだろう?」

Aさん
「ただ水が沸騰しているように感じる」
「"見すえる"という言葉から、透明な水がイメージされたから」

Bさん
「味噌汁を前にぼーっとしていたら沸騰してしまったんじゃないか」
「"見すえる"という言葉が、目を座らせてぼーっとしているように感じたから」

Cさん
「そこにあるのが"永遠じゃないほうの火"なのだとしたら、"永遠の火"とは何を指すのだろう?」

ーーーーーー

こんなふうに、対話型鑑賞のプロセスを進んでいきます。たった三十一文字だけれども、いろんな解釈を巻き起こす歌人の歌は、さすがはアートであると感じます。

いつ、短歌を対話型鑑賞するか?

さて、企業活動のなかで、「短歌の対話型鑑賞」というニッチな活動を機能させることができるとしたら、いつでしょう。

たとえば、みんなで句会をすることもできるでしょう。「この会社で働いていて、もやもやすることを短歌にしてみましょう」という簡単なワークショップをし、もやもやをシェアするのもいいかもしれません。

また、企業理念の開発・浸透を図る際に「言葉とはさまざまな解釈をひきおこすものである」ということを分かち合うために、歌人の歌を引用して対話型鑑賞をしてからメインワークに入るのもよいでしょう。

企業理念の言葉を借りて、短歌を詠んでみることもできるかもしれません。さまざまな活用方法を考えてみたいと思います。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、赤ちゃんの発達や子育てについてのリサーチのための費用に使わせていただきます。