論理の力 ~「仮説の土台」と「裏付けの援軍」
こんにちはメタバースクリエイターズ若宮です。
今日はちょっと改めて「論理の力」について書いてみようと思います。
論理は「仮説の土台」と「裏付けの援軍」だと思う、という話ですチェケラ!
新しいことを起こすにも「論理」はやっぱりだいじ
僕は企業での新規事業を長くやり、起業家としての経験を通じて、ロジックだけではいけないゾーンがあると痛感してきました。
とくに「イノベーション」とは価値を革新するものであるため、現在の価値観からは導出されませんし、理解できないことも多いものです。そこで論理を超えたものとして課題解決ではない「アート思考」のようなアプローチも必要になります。
「アート思考」とか言ってるので「感性の人」だと思われがちですが、僕自身はゴリゴリのロジカル人間です。むしろロジックが強くて論理に偏りがちだからこそ、論理ではカバーできない感性的・直感的なものを意識したいと思っていて(元々アートな人には「アート思考」は不要)、それらをどうやって論理と組み合わせて活かすかが大事だと思っています。
企業などでアート思考の講演をすると、「やっぱこれからはアート思考ですよね。ロジカル思考やデザイン思考はもう古いですね!」と言われることがあります。ですが僕はそうした理解は間違いだと思っています。「ロジカル思考」「デザイン思考」「アート思考」はそれぞれ得意領域のちがう相補的なもので、たとえば新規事業は0→1、1→10、10→100とフェーズごとに使い分けるものだからです。
感性を大事にすることと「論理」をないがしろにするのはちがいます。
僕はメンターやアドバイザーとして起業家の卵や企業の新規事業の相談を受けることも多いのですが、その中には論理的な思考や仮説が足りないことも結構多く、そういう時には「論理」がまず大事だよ!というお話をします。
論理の力①:「仮説の土台」
「論理の力」には大きく分けると2つあると思っているのですが、その一つ目が「仮説の土台」です。
新しいサービスや事業を考える際、まったく仮説の無い状態で進めるとうまくいきません。油田を探す時に、ただ適当に掘ってたまたま当たることを期待するのはあまりにも「当てずっぽう」です。いきなり掘り始めるのでなく、まずは大体この辺かな?と当たりをつけ、仮説の段階で絞り込む必要があります。
「ロジカル思考」というのは基本的に「絞り込み」の思考です。売上が落ちている時、それを「来店者数」と「客単価」に分け、さらに「来店者数」を性別や年代別に分け、という風に、いわゆるMECEに分解することで課題のポイントをより明確にできます。
「絞り込み」という論理の力を使うと、あてずっぽうで進めるより成功確率が高まります。特にスタートアップや新規事業ではヒト・モノ・カネ・時間というリソースが限られており、全くの当てずっぽうではすぐに資源が尽きて死んでしまうので絞り込み仮説が必要なわけです。
また、一定絞り込んだ仮説を持っていれば、最初に掘ったところが仮に外れていてもピボットしやすいというメリットがあります。それが全く無いと毎回毎回行き当たりばったりになってしまいます。
ただし、論理の重要性とともに大事なことは、論理はあくまで「仮説の土台」でしかないと理解しておくのが重要ということ。絞り込み、立てた論理仮説を地盤にしつつ、それを超える「ジャンプ」が必要なのです。
論理からの「思考の飛躍」
ロジックは絞り込みや当たりをつける上で必要であり、たしかに有用ですが、それのみでアイディアや事業が生み出せるわけでもありません。
大企業からの新規事業の相談では、話を聞いてみると理論上の検討ばかりしていて実行に移せていないこともけっこう多く、あーでもないこーでもないとすでに一年半も議論している、みたいなケースが割とあります。
仮説を立てるのはいいのですが、それだけではダメで、当たり前ですが掘らなければ油田は出ません。仮説はあくまで仮説でしかないのに、仮説の確からしさを論理で「証明」しようとして、リスクややらない理由が増えて行動できなくなっては本末転倒です。
「論理」というのは基本的に分かっていること、つまり「過去」に向いています。過去の情報や経験に基づいて仮説を立てることはできますが、未来を完全に予測することはできません。なので仮説をもったら、その上でジャンプするしかない。
極めて論理的な分野であるサイエンスにおいても、新しい理論は証拠や知識の単なる積み上げだけから出てくるものではなく、一瞬のひらめきや事故のような偶然による飛躍から生まれます。
こうした「思考の飛躍」のためにこそ「土台」に意味があるのです。「土台」とは乗り越えられるべきものであり、そこから踏み出す意識を常に持たなければなりません。
よく「守破離」の話をしますが、論理がステップ1の土台であるというのはそれとも似ています。型を守り、型を破り、型を離れる。ステップ1として型どおりにすることが重要ですが、それだけでは次のステップに進めません。真に成し遂げるべきはあくまで型を破り離れることなのに、型を守ることを絶対だと思い込み、そこから出るのを恐れるのは正に本末転倒です。
「仮説の土台」という論理の力は、逆説的ながら「踏み台」として超えられることによってこそ価値が生まれるのです。
論理の力②:「裏付けの援軍」
論理を「仮説の土台」とし、最終的にはそれを超えたジャンプをする。
創作やものづくりの経験がある人、起業家の方々にはこの感覚がわかるんじゃないかなと思いますが、「論理や言葉では説明できないゾーン」に入ったと感じることがあります。自分にはほとんどクリアに「見えている」のだが、それを説明する概念が足りない。どうもまだ自分でもしっくり来る言葉がない。
こういう判断は「直感」とか「感性」と呼ばれますが、単に論理がないわけではありません。それはwithout logicではなくbeyond logicなのです。
まだうまくしっくりくる言葉がない。自分には見えている世界が他の人に伝わりにくく、理解されづらいので歯がゆい思いをすることもあります。
しかし、やがてこの論理を超えたゾーンも徐々に概念として説明可能な「分かる」状態になっていきます。「論理の裏付け」が遅れてやってくる。これが論理の2つ目の力が「裏付けの援軍」です。
先に述べたように、論理や言葉というのは過去に向いています。何かを指し示すためには、それが定義として確立されている必要があり、本当に新しいものには「名前はまだない」のです。この名前のないものが普及するにすれ、徐々に了解されるようになる。数字的なエビデンスも出てくる。そうして初めて論理的に説明できるようになります。ここに時間的な遅延があるのですが、論理を「援軍」と言い表したのはこの時間軸を示したかったのがあります。
故に「裏付け」はしばしば「後付け」の説明になります。しかしそれは辻褄合わせの「後付け」ではありません。「後付け」でも「裏付け」ができることで多くの人に理解され、次のステージに進むための基盤になります。企業やサービスがスケールするためには、この論理的な裏付けが必要なのです。
成功し、上場した起業家が創業からのストーリーや戦略をきれいな言葉で語っている時、それは多分に「後付け」だったりします。立ち上げ当時は言葉はまだなく理解されづらいものだった。それを乗り越えて論理を獲得したのです。
「論理」はとても大事です。論理なく(without logic)、感覚や感性だけで進めるのはリソースが有限である以上、限界があります。
なので「仮説の土台」として論理が必要です。しかし、論理だけでは未来に進めません。そこからさらに進むためには「土台」(「踏み台」)から踏み出し、論理で説明できない不確実な領域にジャンプする必要があります。
この時、実践は一度論理を追い越します。
仮説の土台から「曖昧」や「漠然」としたゾーンに入り、そこが再度論理の「裏付け」(「後付け」)によって踏み固められる。するとそれは次の地盤となります。このプロセスが繰り返しによって先に進んでいける。
論理は大事だけれど、論理に留まりそこを出なければ未来には進めません。「論理」を「踏み台」の「土台」として、そして「後付け」の「裏付け」としてイノベーションの歩みを進めていきましょう。