フェラーリのデザインはやさしい?ー意味を探る。
フェラーリの経営に触れた記事があります。
かつてF1に出ている英国のスポーツカーメーカーとぼくは仕事をしたし、トリノでスーパーカーのプロジェクトに関わっていたり、F1のマネージメントを脇で見ていたこともあります。また、フェラーリのあるプロジェクトに関与していました。
だから、今は縁がないですが、この記事にある世界の「匂い」は分かります。
ところで、次のような言葉があります。
1980年、フィアットは小型車「パンダ」を発表しました。発売後の10数年、イタリアでの年間販売台数が15万を上回る(1985年前後に下回る時期もありましたが)ヒット作です。それまでの所得の低い人のための小さなクルマから、若い感度のある人たちも満足できる小さなクルマに意味を変えた代表作の一つです。
この「パンダ」をデザインしたカーデザインの世界の巨匠、イタリアのジュージャロの言葉が上記です。
本稿では、たった1つのことに触れます。
「意味を探る難しさ」です。
パンダは小さなクルマでありながら、家族でアウトドアの遊びをする装備を持ち込むのも可能なスペースを確保していました。しかし、パンダが大成功したのは合理的な設計だけでなく、前述したように、「小さなクルマは貧乏な人のクルマ」という概念を覆した点にあります。
もちろん、ジュージャロ1人の発案でこうしたコンセプトができたわけではないですが、フェラーリのような一つイメージが固定化されたクルマよりも、まったく新しい意味を探る方がよっぽど難しいと語っているのです。
これと同じことを語っているのが、やはりイタリアのデザインのマエストロであるエットーレ・ソットサスの言葉です。
1950年代末以降、ソットサスはオリベッティのデザインコンサルタントを長く務めます。その活動のなかで生まれたデザインでよく引用されるのが、ヴァレンタインというヒット作のタイプライターです。20世紀のイタリアデザイン史を語るうえで欠かせない製品です。
ですから、多くの人は「オリベッティの仕事は大変だったに違いない」とソットサスに声をかけたのでしょう。しかし、彼はそうではなかった、というのです。彼によれば、メンフィスの方がよっぽど難しかったのです。
メンフィスとは1981年から6年間に渡って続いたグループです。ソットサスとミケーレ・デ・ルッキがはじめ、多くの仲間とおこなったポストモダンの活動結果は、多くの記念碑的作品を残しています。
上の写真はソットサスによる本箱です。機能的にはまったく用を足さないものです。
(日本における1980年代からはじまったイタリアブームはちょうどこの時期と重なるため、「イタリアデザインとはカラフルで機能を求めないものが特徴」との印象を残すことになります)
これらの2つの例から、新しい意味を探るのに巨匠たちがいかに苦労してきたかが分かります。ただ、新しい意味を探し当てたがゆえに巨匠としての地位を確実なものにしたのです。
最後に。
フェラーリのデザインは簡単なのか?という問いもでてきそうです。
フェラーリは、レーシングカーをそのまま市販する、という半世紀以上前の意味の探索に起点がありました。いくつかの対抗馬はここまで長期の実績をあげることができず、したがってフェラーリは、これを超える意味を求められる状況にないとぼくは解釈しています。
だから、ジュージャロはパンダのデザインほどには苦労しなかったのです。
冒頭の写真©Ken Anzai