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想いや対話が「買いたい!」を創造する。

日々、色々なモノやサービスを買っている。でも、ファストフードの食事、電車の切符、ティッシュやお茶など、無意識な買い物が多いのに気づく。スマホを見せると阿吽の呼吸でバーコード決済が始まり、瞬時に決済が終わる。

小さな頃、キャベツと言われたのに白菜を買って帰った失敗があった。「大きく安いキャベツを見つけた!」と誇らしげに家に帰ったのを覚えている。当然、キャベツではないので、色々な意味で家は笑顔に包まれた(笑)。ショーウィンドーのケーキを買って、両手で箱を水平に持ち続けて、潰さず無事に家まで持ち帰れた時はなんとも言えない達成感があった。買い物は感情を揺さぶる一大イベントだった。でも今は、こんな感動は遠い過去の思い出になってしまった。淡々と記憶にも残らない買い物が増えてしまっている。

ふと、「葉っぱ付きの大根」の記事が目に止まった。近所で取れた野菜を軽トラで売りにくる80代のお婆さんと娘さんの話だ。記事を読み終えた瞬間から、この「動く八百屋さん」で買い物をしたくなった。通いたくなった。四里四方に病なしを実践しているという。「暮らす場所の16キロ以内で採れたものを食べていれば健康でいられる」という意味らしいが、この言葉に込められた想いはとても記憶に残る。さらに、レシピありきでスーパーで材料を揃えるではなく、出会った野菜で何をつくろうかと考える。自分の実力では野菜スティックが精々だが、何かを作りたくなる衝動に駆られる。「馴染みの客になりたがりや」という言葉が記事に出てくるが、図星だと感じた。

タンザニアの行商人の記事も見つけた。「馴染み」というキーワードで検索した結果だ。20年前と現在の話で、古着の行商人の奮闘が書いてある。かつては「売れるかどうかわからない衣類を何十枚も担いで住宅街を練り歩く」というスタイルだった。でも、しっかりと工夫していた。馴染みの客を増やすべく、日々の観察の中で、客の好みや給料日を覚えて、仕入れる古着やその日の行商ルートを決めていたという。

今は、行商人にはスマホが普及している。チャットアプリで得意客からのリクエストが次々に舞い込む。決済はスマホで完結し、行商人のネットワークにより即日配達まで実現されている。デジタル化が進み、ギグワーカーによるギグエコノミーが生まれているのだ。でも、20年経っても貫いていることがある。「たくさん売るだけが商売じゃない」ということだ。客の懐の余裕を見極めて商売をする。そして、馴染みの客を深く知るが故に、「いつも同じような服ばかり。たまには冒険しよう。君にはこの色も似合うと思うよ」と助言する。こんな行商人との駆け引きも楽しんでみたいと思った。

そういえば、昔から自分が食事に行ったり、服を買ったりする店は、馴染みの店である傾向が強いと思う。一度行って気にいると、より正確に言えば、一度いって相性の良い人に出会うと、通い続ける傾向にある。もちろん、気に入った服や食事があるのが前提だが、馴染みの店になるかどうかを直感している気がする。そこには、なんとも言えない温かな雰囲気があり、その一方で強い想いやこだわりがあり、もっと深く知りたくなるのだ。

スノーピークは、そうした想いやこだわりの強い会社だと感じてきたが、アウトドア派でもなかったので、実は今までしっかりと体験したことがない。でも、前社長の「高くてもよいモノを買ってくれる人に向けた製品を作るべきだ」という思想には賛同しかない。「自分が本当に欲しい製品を作ろう」という決意の下、「クリエイティビティ」、「永久保証」、「革新的なプロダクト」というキーワードにたどり着いたという。

「すごいからと言って、その製品がすぐに売れるとは限らない」というのも面白い。「売れないからといって、すぐに廃番にすることはなく売り続け、3年くらい後になってから売れ始めることが多い」というのもなんとなく分かる。一酸化炭素中毒から非常識とされた「テント内に炭火スペース」、自然保護運動の人も納得の「地面を焦がすことなく焚き火ができる製品」などが当初全然売れなかった製品だという。こうしたことを知れば知るほど、引き込まれていく。今度、自分のガレージハウスの計画作りの一貫として訪ねてみようと思う。新たな出会いが楽しみだ。

共同購入サービスの記事も目に入ってきた。生協などで以前からある取り組みだが、デジタル化で効率化が進んでいると言う。昔からあった「近所同士」から「条件の合うメンバー」、「仲間同士」での活用が容易になっている。いずれの場合も、レシピの共有、生産者のこだわりや食べた感想を話し合うなど共通の話題が生まれ、コミュニケーションが活発になる。本質的な価値は、やはり「井戸端会議に花を咲かす楽しみ」、つまり「交流する楽しさ」なのだと思う。あ、そういえば、先日友人からこだわりのパンを分けてもらった。久しぶりに目玉焼きとソーセージを料理して食卓が華やいだのを覚えている。

いま、記憶に残らないほどのスムーズな買い物に囲まれている。ともすると、そのスムーズな買い物に慣れ、それがないと不快に感じる自分がいる。何かが違う気がする。「欲しい!」や「買いたい!」という強い衝動がとても少ないことに気づく。これが、知らず知らずに自分が「馴染みの人や店」を欲していた理由だ。自分のことを分かっている人から買いたい。強い想いやこだわりのある人を深く知り、対話をして、もっと繋がりたい。そうした想いやこだわりを買いたいと改めて思う。豊かな国、日本。こうした想いやこだわり、そして対話に溢れる国にしていきたいと思う。さあ、想い、こだわり、そして対話を価値に仕立てていこう!


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