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観光地とは何なのだろう?- 丹後で考える(前半)

この一週間、京都府の日本海側にある丹後にイタリア人のビジネスパートナーと共に滞在していました。この地域のさまざまな地区を訪れ、さまざまな人と話してきました。そこで感じたこと、考えたことを二回に渡ってメモしておきます。

まず、天橋立があれだけ美しい風景でありながら、なぜ、滞在中の記憶としてさほど強いインパクトを残していないのか?を考えたいです。ここからスタートとして、ぼくたちが見えていない風景とは何か?に触れます。

天橋立が記憶のなかでベストではない。

京都から天橋立に出かける日、雪のため電車が運行中止になり、急遽、高速バスに乗ることになりました。途中、かなり雪が吹き付けたこともあり、京都の記憶がそこで切断された感もあります。しかも、五分ごとに雪と晴れが繰り返す、その変幻自在な天候そのものが強烈であったのは確かです。

よって山の上から眺める天橋立も頻繁に変わる風景は、美しく、幻想的です。

冒頭の写真と数分違いの天橋立

それにも関わらず、何か、「風景の教科書」を見せられているような感じがあるのです。自分の立っている場所の背後には土産物の店がありますが、自分の視界には一切そのようなものが入ってこない。

それでも、山をケーブルカーで降り、クルマで丹後の別の場所に移動しているとき、ぼくの頭の中には、あの美しい風景と土産物店が既に一緒になっていたことで、「日本の景勝地を売っている観光地」とのカテゴリーにおさまるのです。

天橋立の成り立ちやそれにまつわるエピソードがあり、それを伝えるのは良い。が、それを強く繰り返し言い過ぎ、経済的な目的が見え隠れすると、「観光地化している」と否定的な受け取り方をされるのでしょう。

丹後地方に広がる田んぼやちりめんを作る家内工業の建物が集まる町で時間を過ごせば過ごすほど、つまりは観光地化していない地域にいる時間が長いと天橋立を対比せざるを得ない罠にはまります。

この田んぼをもっている若手の農家の方とも話しました

だからか、滞在5日目に行った伊根町の海沿いに立ち並ぶ舟屋の風景にも敏感になります。ヴェネツィアのムラノ島などを思い浮かべる、ロマンティックな雰囲気があります。

伊根町の風景

漁村としては成立しがたい地域の建物がリノベーションされ、今は別荘やゲストハウス、カフェやレストランとなっています。田園風景では見かけない、しかし、天橋立にいた韓国や台湾から来た若い女性たちがグループで歩いています。「あ、観光地なんだ」と気づきます。

人は好きで「観光客」をやっていないことも多い。

観光、あるいはツーリズムそのものは否定されるものではないはずですが、「観光地」「観光地化」はネガティブな印象を与えがちです。これは、なにも、大型バスで大量に人が集団で一斉にやってきて、急に騒がしいと思ったら突然誰もいなくなる現象への嫌悪だけでなく、そこに生活する人たちのリズムを不要に崩していくからです。団体ではなく、個人の旅であっても、それがあるキャパを超えれば同じです。

リズムを崩すとは不動産価値の急上昇を招き、ローカルの人が住みずらくなるジェントリフィケーションも指します。エアビーアンドビーや飲食店など、外から来る人たちを経済的目論見の対象に入れ込んだ場合、この現象が生じます。

他方、見知らぬ土地を訪れる人は、あまり観光客とは呼ばれたくないとの本音もあります。「観光客も行かないような場所に行った」と他人に自慢するのは、その証拠です。

人がいない海岸を歩く

人は良く知らない土地では、おススメの場所に行き、仕方なく「観光客」を演じるしかないのです。本当は、農家の生活も知りたいし、家内制手工業の現実も見たいけれど、そうしたところが誰にでもオープンになっているわけではないから、観光地に留まるしかないわけです。

例えば、トヨタの自動車生産現場は多くの人が見られるようになっています。また、セラミックの工房を見学して職人の仕事を知ることも可能なところがあります。これらは観光の範囲として存在感があります。

弱い産業革命を再び知る

しかし、家内制手工業の現場は、そもそも何処にあるのか、どうやれば見れるのか、あまり良く知られていない為、ビジネス目的以外でそこに外の人が足を踏み入れる機会は限定的です。

この不可視構造が、実は、人々の現実への認識を著しく阻害しているのではないか、という事を今回の旅で考えました。機械による大量生産と人の手を使った職人仕事をどうしても対比してしまうのは、家内制手工業が見られないからではないか、と。

このような機械が家屋と思われるなかで動いている

そして、今、盛んに語られる20世紀的社会の行き詰まりは、18-19世紀頃にあった工業のあり方、特に産業革命の主役だった繊維産業の家内制手工業のレベルをもう一度、知ることで新しいイメージが描けるのではないか、と丹後で考えました。天橋立と丹後の田園風景の中間にある風景を見ることで、ぼくは気づいたのです。

朝鮮半島から流れ着いたボトル
海岸クリーニングの結果、集まったプラスチップのキャップを自ら製作した機械で作品をつくる人たちもいる。こうした活動が織機の音が聞こえる地区で行われている。

この先は後半に書きます。


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