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フォロワーとの関係でリーダーの心得を考える

リーダーシップと対(つい)になる概念はフォロワーシップである。

リーダーがいかにあるべきかをフォロワーとの関係で考えると、良質なフォロワーによる良質なフォロワーシップを最大限獲得するためのものが、リーダーの心得、とも捉えることが出来る。裏返すと、リーダが良質なリーダーシップを発揮するためのフォロワーの心得というものがあるはずだ。

そして、リーダーの心得にせよフォロワーのそれにせよ、その目的はリーダーとフォロワーの属するチーム・組織が、構成するメンバーの総意としてゴールとすることを、スピードや質・量において、より良く達成することにある。

会社員時代の自分を考えると、年功序列をはじめとするいわゆる日本型雇用の仕組みのなかで、リーダーとしての上司に対しては、いろいろと思うところもあったと同時に、自分がそのフォロワーである、という意識は希薄であったと振り返ってみて感じる。

組織のゴールも、時にリーダー個人の出世欲や名誉欲を満たすこと等にすり替えられてしまうこともあり、組織全体としての最適な状況を導くゴールとは言えない、といったこともあったように思う。

この状態は、ゴール設定が、リーダーとフォロワーが共通の利益として、つまりその総意として共有できていない、ということであると思う。こういう状態では、フォロワーが適切にフォロワーシップを発揮できる状態とはいいがたく、結果としてリーダーシップもまた十全に発揮することは出来ないということが出来る。

会社員を辞めて独立してから、自らも組織(と言っても実質自分一人しかいないのだが)を代表して経営する立場となり、同時に、取締役だったりメンターやアドバイザーだったりと名称や権限と責任の範囲は様々であるが、他の組織のリーダーのフォロワーの役割を務めさせて頂くようになってから、フォロワーシップの重要性について考えるようになった。

なぜ、会社員時代にはそうした意識が希薄で、むしろ、独立して一人になり、自分の会社においてはリーダーもフォロワーも自分だけ、という状況になってからこのようなことを考えるようになったのかというと、おそらく、自分のなかでリーダーとフォロワーの立場が併存するようになったからではないかと思う。

やはり、自分がなってみないと分からないことはあるもので、リーダーになることもそうだが、同時にリーダーになったことがあればこそ、フォロワーシップが発揮できる、ということもあるように思う。そこには、ある意味で対等な立場にありながら、役割分担をするという構造がある。どちらが偉いとかいうことよりも、意思決定の責任はリーダーに置きつつも、最もよくゴールを達成できるフォーメーションを組むという意識だ。

従来のリーダー論は、どうしても、一方通行的に組織の階段を昇りつめていくモデルで語られていて、そこを降りることは不祥事や業績不振で降格されるといったネガティブな状況しか想定されてきていなかったように思う。

しかし、そのような考え方では、若くても有能な人・リーダーとしての資質・才能がある人が、リーダーの役割を担うことが難しくなる。また、組織の階段を昇ったが、実はフォロワーシップを発揮した方が組織全体としての目的を達成するために理に適うといった状況で、それをすることも難しい。

特にテクノロジードリブンな産業構造の変化が起きている現在、日本はその流れに乗り遅れつつあるなかで、そうした変化をとらえた対応は若い人の方がはるかに上手(うわて・じょうず)であるだろう。その時、年配者の役割は、リーダーの若さゆえに起こりうるネガティブなインパクトを軽減するフォロワーとなることができるなら理想的であると思う。テクノロジー面は若い人にかなわないとしても、人間関係など、人の集団のなかで起きる理屈や理論では物事が進まない場面において、年齢を重ねることによる経験・知見を活かせる場面があるのではないだろうか。あくまで、メインはテクノロジーに対する柔軟な対応のための判断であるから、リーダーは若い人たちである方が合目的的であるし、そこに、役割分担としてはフォロワーとしてだが、人間的には対等な立場で、年配者がリーダーをサポートするといったことができるなら、新しい状況や変化に対しても、柔軟に対処しやすいと思うのだ。

そうであるなら、現代におけるリーダーの心得は、リーダーとしての責任は全うしつつ、フォロワーとのフラットな関係を維持し、自分の不足する部分を補ってもらうこと、と言えるだろうし、最適な結果を生むことを共通のゴールとして、必要に応じ適材適所でリーダーとフォロワーの役割を入れ替わること、それを厭わないこと、と考えられるかもしれない。

これは「ティール組織」の考え方とも一脈通じる部分があるかもしれないが、従来の常識を超えた変化が起きている時代だけに、リーダーの心得についてもまた、これまでの常識とは異なってくるのが自然だ。

何が正解かということは見えないが、これまでの常識が不正解であるということは、どうやらはっきりしてきている。日本の企業で、従来のリーダーのスタイルで「失われた20~30年」に時価総額を世界の先進国平均レベルで伸ばした企業はほどんどないからだ。

「働き方改革」や「早期退職」「優秀な若手に対する初任給の積み増し」などに加えて、「リーダー」のあり方も変えていくことが企業の生き残りのために求められていると思う。


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